浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

枡野俊明 セルリアンタワー東急ホテル日本庭園 閑坐庭

末永照和(監修)『20世紀の美術』(20)

本書ではとりあげていないが、前回の「イサム・ノグチ」との関連で、枡野俊明(ますの しゅんみょう、1953 - )をとりあげよう。枡野は、「日本の僧侶、作庭家。曹洞宗徳雄山建功寺住職、日本造園設計代表、多摩美術大学教授、ブリティッシュコロンビア大学特別教授」(wikipedia)である。

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http://www.kenkohji.jp/s/japanese/philospphy/Dphi.jpg

 

枡野は、「庭」について、次のように言う。

私は日頃「庭」を「心の表現」の場だと言っている。それは二つに分けることができる。その一つは、禅僧として今日まで修行を重ねてきた私自身の心の表現、即ち「自己の表現」。二つ目は、客をもてなす亭主の立場に立った「心の表現」である。…今日の茶道の基を築いた村田珠光は、禅僧の行なっている「自己の表現」に、亭主としてのもてなしの気持ちを加え、禅と茶の関係をより深いものにしていった。私はこの二つの精神的表現を総称して「心の表現」と言っている。そもそも禅では、「心の状態」という目に見えないものを象徴化し何かの形に置き換えて自己を表現しようとする。即ち、これが「自己の表現」である。その方法は墨絵・書・庭等様々であるが、表現しようとするものは常に変わることはない。従って禅者にとって「自己の表現」の手法は問題ではない。自分の得意とするものを選べばよいだけのことである。…庭は私の分身、私の心を写す鏡。私が卑しいことを考えていれば卑しい庭しかできず、未熟であれば未熟な庭しかできない。近頃この怖さがよく分かるようになってきた。また一方で、先達の造った庭を眺める時も、今の力量分しか見ることができない。

http://www.kenkohji.jp/s/japanese/philospphy/philosophy.html

これは「作庭家」(ランドスケープ・アーティストと言っても良い)の言葉であるが、アーティスト全般に通じる話だろう。一つ目の「自己の表現」、これは当然だ。二つ目の「客をもてなす亭主の立場に立った心の表現」、これには考えさせられた。「亭主」は「客」をもてなす。アーティストは、受け手を「もてなす」。作品には「もてなしの心」が表現される。アーティストは、客を歓迎し(もてなし)つつ、客に迎合もしない(自己表現)。

 

数ある作品のうち、セルリアンタワー東急ホテル日本庭園(東京都、2001年)をみてみよう。

画像はいずれも、https://www.homify.jp/projects/56865 より。

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この日本庭園は、閑坐庭と名づけられている。枡野はこう述べている。(https://www.homify.jp/projects/56865)

閑坐聴松風」(かんざしてしょうふうをきく)という禅語がある。これは「こころ静かに坐すればただ松風の音ばかり、こころが急いでいれば気づかぬことばかりであるが、澄み切った心で居れば、耳に澄み切った松風の音が自然と聞こえてくる」というものである。これは更に、「こころが自然と一つになって、こころそのものが静寂の中にあれば禅定にいる」という深い意味を持つ。…都心における限定された空間であっても、厳選された樹木や石による庭園芸術として空間が確立されたとき、豊かな自然に負けないほどの力を持つことになる。私はそのような空間を、このホテルの庭園に目指した。ロビーやラウンジ「坐忘」に閑坐し、庭とこころ静かに対峙したときに、深い意味を持つ空間にしたいと考えた。この庭園を私は「閑坐庭」となづけた。それは、日頃の生活で潤いをなくしてしまった心を回復させ、更に心を豊かにし、人間本来持ち併せていながらも、いつもは隠れた存在となっている豊かな感受性や、小さなことにも感激できる柔軟な心を取り戻してくれる役割を果たす空間でありたいと考えた。…今後この庭園が、多くの人々に感銘を与え、また静かなこころを取り戻す場となり、更には本当の自己と出会うきっかけになればと願うものである。

 私は特に禅に関心があるわけではないが、閑坐して松風を聴くことは、確かに、豊かな感受性や、小さなことにも感激できる柔軟な心を取り戻してくれるような気がする。

一方で、日本の空間作りの特徴である外部空間と内部空間の関係性を高めること。そして、その中間領域の充実をはかることに情熱を注いだ。その結果、外部空間の主たる構成要素である「石」が岸に寄せる波のようにラウンジ内まで入り込み、石の「花入れ」として結実することとなった。このように庭園のデザインがインテリア空間に大きな影響を及ぼす結果となった。

「庭」(外部)を「居室」(内部)から眺めるのではなく、庭の構成要素たる樹木や石を内部に取り込む。ボタニカルカフェ(ピアノ演奏のあるボタニカルカフェ 参照)も、そのような外部と内部の融合をめざしているのかもしれない。