気の向くままに

形而上学・倫理学・法哲学・社会学・自然学・美学・その他諸々について書いてみたい幼稚園児のブログです。まあ、しかし焦らずにゆっくりと、気の向くままにいきましょう。

アノニマス 市民的不服従とテロ

塚越健司『ハクティビズムとは何か』(21)

アノニマスの活動は、「市民的不服従」とみなせるようなものだろうか。

市民的不服従とは何か

政治哲学者の寺島俊穂(1950-)は、市民的不服従を「自らの行為の正当性の確信のもとに行われる非合法行為」と定義する。これは国家が定めた法や政策に対し、自分の良心に照らして我慢し難いと感じる市民が、国家に対して抵抗する際の手段である。

この定義を読めば、「非合法だからダメ」とは必ずしも言えない何かがありそうだということが分かる。物事を単純に決めつけてはいけない。

市民的不服従の起源は、アメリアの作家ヘンリー・デイビッド・ソロー(1817-62)の、人頭税[頭割りの均等な租税]の支払い拒否による投獄にある。ソローは当時の奴隷制度とメキシコ戦争(1846-48)に対して個人的に抵抗を実践したが、その後こうした実践は集団的・組織的運動へと発展していった。ソローに影響を受けたインドのマハトマ・ガンディーによる独立運動や、キング牧師の名で知られるマーティン・ルーサー・キング・ジュニア(1929-68)を中心としたアメリカ公民権運動などがその代表である。 

 ソローは、「人間を不正に投獄する政府のもとでは、正しい人間が住むのにふさわしい場所もまた牢獄である」と書いたそうである。(wikipedia

では市民的不服従とはどのような行為を指すのか。それは良心的兵役拒否のように、法に対する拒否、あるいは非協力という形をとるものや、ダム開発を防ぐための、開発現場での座り込みや不法占拠などもある。後者は不法侵入罪や公務執行妨害罪といった罪に問われることも多い。市民的不服従にもそれぞれ区別がある。政治哲学者のハンナ・アレント(1906-75)が、良心的兵役拒否は市民的不服従に該当しないと論じる…

アーレントがなぜ良心的兵役拒否は市民的不服従に該当しない、としたのか。どうも、「個人の良心」を根拠に兵役を拒否するのではなく、「市民」として「社会全体のあるべき姿」を考慮して、兵役を拒否するということらしい。この後、塚越は市民的不服従を、「攻撃的」「防御的」に区分したり、「直接的」「間接的」に区分したりする論者がいるというが、このように区分することに何の意味があるのかよく分からない。

いずれにせよ、市民的不服従は結果的に法を犯すことで逮捕の可能性があるばかりか、むしろ逮捕されることこそ、より社会に当該法の問題をアピールすることにつながる。そしてまた、逮捕を恐れないその行為は、倫理的で覚悟のある者のみが実行可能なのである。市民的不服従に共通することは、それが非暴力的であるということである。無論非暴力の定義も様々にあるが、身体的暴力を伴わないことが、非暴力運動にとっては重要なのである。

例えば「戦争」というような「暴力」に反対する「市民的不服従」であるからこそ、「市民的不服従」は「非暴力運動」なのだろう。

 

市民的不服従の理論とその問題

我々は社会を生きるにあたって、多少の問題があっても「悪法も法なり」として法を遵守していることが多い。そうでなければ、人々の社会生活を保障する安定した秩序が保てないからである。しかし、だからといってあらゆる法に人々が同意しているわけでもなければ、あらゆる法に適応した生活が必ずしも正しいというわけでもない。国家を頂点とする権威がすべて正しくあるわけでないばかりか、近年のアメリカの、法を無視したテロリストの拘束や拷問など、国家の側の不正が問われているのが現状である。

赤字にした部分、例えば消費税法のことを考えればすぐに了解されることだろう。法を守る(違反しない)ということは、「同意」とか「正しさ」を意味しない。

市民的不服従は、既存の秩序、既存の権威の正統性を全て否定し革命を目指すわけではない。あくまで既存の枠組みにおける秩序を認めたうえで、なお「特定の悪法」と考えられるものに限り抵抗を示す。しかし、悪法と考えられるものすべてに法の壁を越えた抵抗を示してもよいのだろうか。

この点に関して寺島は「(市民的不服従の)対象となるのは戦争や差別など、重大な価値剥奪に関わる法や政策であり、それ以外の場合は合法的手続きによる法改正が望ましい」と考える。つまり市民的不服従の対象は、合法的な手続きをとっているのでは遅すぎると考えられる、重要かつ急を要する問題に限定されなければならない。市民が直接行動を起こすことで否応なしに国家や市民に問題をアピールし、社会全体を問題に直面させることで法や権力の在り方に揺さぶりをかける行為こそ、市民的不服従なのである。

赤字の部分、これは塚越の考えだろうか。正しいとは思うが曖昧である。寺島のように「重大な価値剥奪に関わる」か否かが論点であるように思う。

また、市民的不服従は公的なものでなければならない。それは不特定かつ多数の者の利益の増進に寄与するという意味での「公益」に関する抗議であるということを、社会に知らしめることが必要である。市民への問題提起と支持獲得のために行うものであるから、20世紀前半にアメリカで行われた禁酒法に対する密売運動のように、秘密裏に行わたり、あるいは私利私欲のために行われる法律違反は市民的不服従に該当しない。

いずれにせよ市民的不服従は集合的な運動として展開されることで一つの権力が発生し、既存の権力に対する不当性の訴えが効果的に機能する。さらに、物理的暴力を用いた運動ではその圧倒的非対称なパワーバランス故に解決不可能な問題であっても、あえて非暴力を貫くことで、運動の方法論が市民からの支持獲得につながる。暴力対暴力では勝ち目がなくとも、政府にとっては国民の支持を失い反感を買うことは恐怖であるが故に、自ずと法、政策の変更をせざるを得なくなる。

 これは果たしてどうだろうか。市民的不服従が集合的な運動として大規模なものとなる以前に、様々な対策がとられ、市民の支持獲得にはつながらない可能性の方が高いと思われる。非暴力を貫くことで、市民からの支持獲得につながるとも思えない。

 

電子市民的不服従

ところで、サイバースペース上で実践される市民的不服従は、「電子市民的不服従」と呼ばれている。電子市民的不服従を実践する代表的な集団「Electronic Disturbance Theater、電子政府劇場、EDT」は、1960年代の公民権運動の流れを受け継いでおり、リカルド・ドミンゲス、ブレッド・スタルバウムなど計4人のアメリカ人で構成されている。アクティビストであり、パフォーマーであり、加えてハッカーでもある彼らは、注目すべきことに全員が実名を公表している。EDTは電子市民的不服従実行のために、「フラッドネット(FloodNet)」というツールを開発し、仮想座り込みバーチャル・シット・イン)を実行した。

フラッドネット開発の発端は、1997年12月、当時のメキシコ政府与党支持者からなる準軍事組織がチアバス州アクテアル村で45人を殺害した「アクテアルの虐殺」*1にある。これに抗議するためにフラッドネットは開発された。フラッドネットを利用するには、運動参加者がフラッドネットをコンピュータにダウンロードし、EDTが予め告知した日時に、簡単なコマンドを入力するだけでいい。後は予告された時間にフラッドネットが各参加者のコンピュータを媒介に、対象となるウェブサイトに対して自動で再読み込み操作を繰り返す。結果的にサーバーに負荷がかかり、対象サイトの動きを遅くさせるか、あるいはサーバがダウンすることになる。

 話を「サイバー攻撃があった、犯罪者を逮捕せよ」で済ませるべきではない。なぜ彼らは、仮想座り込み(バーチャル・シット・イン)のためのツール「フラッドネット」を開発したか。それは、メキシコ準軍事組織による「先住民の権利拡大運動」(非暴力の運動)に対する弾圧に対抗するためのものであったようだ。

フラッドネットを利用した仮想座り込み抗議は1998年4月、当時にメキシコ大統領エルネスト・セディージョのサイトを対象に実行された。彼らはネット上の大統領官邸に座り込みをすることで、問題を世界に広めようとしたのである。この手法はアノニマスDDoS攻撃の原型であるが、サミュエルはEDTの実践が実名の下に行われていることに注目している。またEDTも自らをハッカー(ここでは孤独な攻撃者を意味している)でもテロリストでもなく、電子市民的不服従の実行者であり、抗議は対象への大規模な損害を想定しているのではなく、あくまでもダメージを与えることで世間の注目を集めることに意味を見出していると述べている。なおサミュエルはEDTの行為をパフォーマティブ・ハクティビズムに分類している。アーティスト志向の強い彼らの活動は、DDoS攻撃の実効性ではなく、象徴的行為としてのパフォーマンスに重きが置かれているからである。EDTもまたハクティビズムの一つに分類される。

パフォーマティブ・ハクティビズムについては、安倍内閣の支持率 55か月連続100%で推移の快挙(内閣府調査) を参照。

市民的不服従は市民がその身体を集合させることによって抗議の政治的正統性を示すが、対する電子市民的不服従は、身体をリアル(現実)の場に集合させるのではなく、孤立した個人をネット上の一つの場に集合させる。フラッドネットなどの専用ツールを用いてネット上に現れた電子的身体は、一人が何人分もの役割を演じることで(フラッドネットは何度も自動でリロードを繰り返し、何百人ものユーザーがサイトを訪れたと錯覚させる)その身体を膨張させる。抗議に参加した電子的身体は膨張し、市民的不服従と同様の、あるいはそれ以上の効果を及ぼし、市民へのアピールを可能とする。

「電子的身体」「身体の膨張」という見方は面白い。

その後も米国防総省世界経済フォーラムなどを対象にいくつかの抗議活動を展開してきたEDTだが、彼らは決して対象に破壊的な被害をもたらそうとするわけではないという。彼らの抗議の目的は、大衆の存在を象徴的にアピールすることであるからだ。

当然これらの行為も法的には問題があり、逮捕の可能性が十分にある。アメリカの政府機関を対象にしたフラッドネットを用いた抗議に際しては、「電子的な座り込みではあっても、座り込みに変わりはない。座り込みなら逮捕されることもある」と、司法省コンピュータ犯罪局の前責任者マーク・ラッシュは答えている。 

 彼らが「破壊的な被害」を意図せず、「軽微な被害」ではあっても、その「違法」であることを理由に、「逮捕」されるだろう。恐らく、コンプライアンス法令遵守)を実践する市民からの支持は得られないだろう。法を、より上位の法や価値理念に結び付けて、その正当性を判断するという思考は、教えられなければ分からないものなのかもしれない。

 

アノニマスと市民的不服従

市民的不服従は法で認められた権利ではなく、逆に法からの逸脱行為であり、常に逮捕の危険性を伴うものであり、その意味で倫理的行為であることはすでに述べた。もちろん、市民的不服従を最終的に正当化し得るのは市民の支持であるとする主張があるように、多数の支持は法や政策の改革を後押しする。とはいえ、DDoS攻撃のみならず、HBゲーリー・フェデラル社の社内メールの公開*2などをみるにつけても、過激化する「一部の」アノニマスの活動には批判も多い(前述の通り、アノニマスは内部に様々な派閥があり、合法的な活動に専念するアノニマスもいる)。

「法からの逸脱行為」というとき、その「法」なるものの解釈如何によっては、「逸脱行為」とは言えない。

「市民の支持(多数の支持)」があれば、問題が無いのかといえば、そんなことはない。多数派が、防衛を口実に先制攻撃を仕掛けたとき(あるいは相手が先制攻撃を仕掛けたように誘導したとき)、それに反対することは(多数派に反対することは)「市民的不服従」になるのかどうか。

こうした行為はしばしば非暴力の枠から逸脱しかねないものである。市民的不服従が措定する暴力とは、概ね物理的暴力のことを指す。インドの独立運動では、警察に殴られても、逮捕されても、抵抗しないことが市民的不服従であった。対する過激なサイバー攻撃は、物理的暴力を伴わないとはいえ、それ自体が強力な暴力として作用するとも解釈可能であり、個人情報の意図的な流出などは暴力的行為であると考えられる。

過激なサイバー攻撃や個人情報の流出は、「暴力的行為」であると言って良いだろう。「不服従」というよりは、「攻撃」である。

また、アノニマスの活動と一般的な市民的不服従との差異としては、責任主体の有無が挙げられる。市民的不服従にすべて責任者たるリーダーがいたわけではないが、大規模な活動になればなるだけ、ガンディーやキング牧師、EDTのメンバーといった人々は実名で活動しており、最終的な責任の所在が明らかである。

なぜ責任者が問題となるのだろうか。ガンディーはイギリスからの独立運動において市民的不服従がしばしば暴力行為へと発展すると、それを戒めるために自ら断食を行い、怒りと悲しみから暴力へと突き動かされる人々を思いとどまらせた。強力なリーダーシップは、非暴力という忍耐を伴う市民的不服従にとって重要な要素であるが、裏を返せばそれは、リーダーシップの不在が市民的不服従の暴走を許すことにもなる。

「人々は、怒りと悲しみから暴力へと突き動かされる」…「暴力の心理学」については、今後検討することもあるだろうが、「怒りと悲しみ」という要因には留意しておきたい。「犯罪者」の「怒りと悲しみ」はどのようなものであったか。アノニマスが「暴力」に走る時、その「怒りと悲しみ」はどのようなものであったか。

アノニマスにはリーダーが不在である。流動的かつ匿名で、抽象的な理念を掲げることでメンバーを獲得してきたアノニマスにとっては、むしろ人としてのリーダーではなく、その役目を仮面に担わせた方が活動が円滑になる。しかし、抑制の無いアノニマスがその過激さを増していったことから、アノニマスの活動から離れていく者も多いという。(P192)

HBゲーリー・フェデラル事件などに見られる高度な技術を用いた過激な行為は、技術力を持った熱心なアノニマスが引き起こしていると考えられる。そしてまた、リーダー層の活動に吸引されDDoS攻撃に加担する世界中の新規メンバーたちは、自らの行為の犯罪性や思想性、倫理性を考慮せずに、ネット上で繰り広げられる「祭り」的空間に吸引されているという問題が指摘できる。…合法的な運動をモットーにする一派がいる一方で、過激な行動を繰り返す一派の存在。気軽に参加可能となった近年のアノニマスの活動は、危険性を増していく可能性がある。

しかし、リーダーの不在故に、抽象的な目的と拡散する活動そのものが社会運動において重要性を持つものもある。もちろんそれは、スマートモブズやクラウド化する社会運動の担い手たちである。こうした運動が、社会運動の方向へ向かうのか、あるいはテロへと向かうのかは、今後の活動の推移をみなければ判断がつかない。

クラウド化する社会運動」、これは重要な視点であろう。

私は「AI」にも注目している。IoT機器*3によるテロである。北朝鮮の核やミサイルよりは、こちらの方がリスクが高いのではないか。

 

weaponizedcars

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http://www.motherjones.com/wp-content/uploads/2017/08/08142017-weaponizedcars.jpg?w=990

*1:アクテアル虐殺事件…1997年12月22日にメキシコのチアパス州チェナロー地区アクテアルの教会で先住民のツォツィル族45人が無差別に殺害された事件。犠牲者の大半は女性や子供であった。…襲撃を受けたのはツォツィル族の共同体ラス・アベハスに所属している者たちであった。ラス・アベハスはサパティスタ民族解放軍と同様先住民の権利拡大を目指す団体であったがあくまでも平和的な手段のみを用い、武力を用いるサパティスタとは距離を置いていた。しかし、サパティスタの活動を快く思わない制度的革命党の準軍事組織からはサパティスタに対してのものと同様の敵視を受けていた。…1997年12月22日、襲撃は教会で祈りが行われている最中に行われた。襲撃者たちは教会に押し入り、女性を殺害するのみならずその乳房をえぐり取り、また胎児を引きずり出してマチェテで切り刻むなど、被害者に対して執拗な暴行を加えたとされている。(Wikipedia)

*2:2011年2月、アノニマスに関する調査を発表しようとしていたセキュリティ企業の「HBゲーリー・フェデラル」が、アノニマスによって攻撃を受けた。その結果アノニマスが同社の社内メール27000件を公表したことで、機密情報が知られるとともにセキュリティ企業としての信用を損ねてしまった。(本書)

*3:IoT機器…インターネットに接続されたあらゆるモノのこと。特にパソコン・スマートフォンなどのIT機器以外で、インターネットにつながれたあらゆるモノ(テレビ・デジタルカメラ・DVDプレーヤー・給湯器・センサー類・照明機器など)のこと。IoTは「Internet of Things(モノのインターネット)」の略で、あらゆるモノがインターネットを介してつながり情報をやりとりし相互に制御を行うことを表す。2016年3月、横浜国立大の吉岡克成准教授の研究室が、同大のネットワークへの約90万回のサイバー攻撃が、ウイルスに感染した世界各国の火災報知器・IP電話・監視カメラなど361種類・約15万台のIoT機器を通信元としていたことを公表した。(2016-3-24、知恵蔵)