気の向くままに

形而上学・倫理学・法哲学・社会学・自然学・美学・その他諸々について書いてみたい幼稚園児のブログです。まあ、しかし焦らずにゆっくりと、気の向くままにいきましょう。

なぜ「不正」が繰り返し生ずるのか?

塚越健司『ハクティビズムとは何か』(23)

最終章において、サイバーテロやサイバー犯罪について、少しふれられている。「イランのナタンズにある核施設へサイバー攻撃を行った「スタックスネット(Stuxnet)」と呼ばれるマルウェア(悪意あるソフトウェア)が、アメリカとイスラエルの共同開発であった」とか、「未来のテロリストはキーボードによって爆弾以上のことをやってのけるであろう」との警告とか、「サイバー犯罪市場は麻薬市場を上回る」とかの話であるが、これは省略する。東京オリンピックを控え、サイバーテロの話はそれなりに興味のある話題ではあるが、本書を読む上での私の関心事ではない。

 

ハクティズムはどこへ行く

1950年代後半、コンピュータに熱中した若者たちは、時代を経るにつれその活動を変化させていった。本論の議論からわかるとおり、ハッカーに共通したハッカー倫理は、すでにアノニマスにどれほど受け継がれているかは分からない。情報の共有や反権威主義といったハッカー倫理を持つものもいれば、お祭りに参加する、といった気軽な気持ちで参加する者もいるだろう。それらはインターネットの発展によってサイバースペースの住人が増加した故の現象である。国家権力と戦いながら、1996年にサイバースペースへの干渉を拒んだハッカーたちは、その後現実世界の制度を更新するために、ハクティズム活動を活発化させていった。ハクティビズモやウィキリークスは、ハッカー倫理の正当な後継者として、ツールを用いた政策無効化戦略によって、間接的に社会をハックしてきた。ハクティビズムの強みとは、直接デモを行わずとも、否応なしに社会を部分的に改変させることを可能にすることにある。潜在的暴露可能性を世界に叩きつけたウィキリークスは、存在そのものが世界の不正に対する一定の抑止効果を持つ。…

ハクティビズムというこの潮流の原点から現在までの流れを本書は追ってきた。大別すればウィキリークスなどの正統派の創造型ハクティビズムと、アノニマスに代表される新しい直接抗議型ハクティビズムという二つのタイプのハクティビズムが存在する。正統派=創造型ハクティビズムは今後も新たなツールを用いて社会をハックしていくだろう。そしてアノニマスを代表とする新しい直接抗議型ハクティビズムもまた、ユニークな方法をもって直接的に社会をハックしていく。こうした活動が社会運動となるかテロとなるか、それは彼らの今後の活動にかかっている。 

 

本書を読んでの感想だが、ハッカーの反権威主義なるものは、空虚な自由主義であり、リバタリアニズムであるように思われる。ウィキリークスは「不正」を告発するという意味では支持されるものだが、第1に正・不正の判定基準が告発者のものでしかないこと、第2に告発手段が(現行法規上)違法なものとなる場合の対応において、問題を孕むものである。

「不正」については、「企業の不祥事」や「公務員の不祥事」で検索してみれば、イヤになるほど出てくる。「公益通報者保護法」(2004年)という法律も制定されている。この「内部告発公益通報)」とウィキリークスを関連づけて検討してみようかとも思ったが、別の機会に譲ることにする。

「不正」の告発者(公益通報者)を保護するということも大切であるが、それよりも、「なぜ不正が発生するのか? なぜ不正が繰り返し生ずるのか?」という点の解明が不十分なような気がする。なぜ「保身や出世のため」(地位、名誉、安定した生活、落ちこぼれないため等々)」という一言で片づけてしまうのか。そんなことで、「企業の不祥事」や「公務員の不祥事」は、決してなくならないだろう。「法(ルール)」に不備・欠陥があるのではないか? 「組織」が機能していないのではないか? 「倫理感の欠如」にどう対処すべきなのか?

内部告発」や「匿名ツール」も必要かもしれないが、いま述べた基本的な問いを問うことなしには、「不正」は繰り返されるだろう。

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https://twitter.com/yosuke0114/status/883516778743291904

 

今回で『ハクティビズムとは何か』は終わりとする。