浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

杓子定規な考え方を打破する

平野・亀本・服部『法哲学』(45) 

今回は、第5章 法的思考 第2節 制定法の適用と解釈 第2項 解釈の技法 である。

この「解釈の技法」の話は、法解釈にとどまらず、円滑なコミュニケーションのためには、非常に有用な技法である。場合によっては、屁理屈となるのであるが、杓子定規な考え方を打破するのに有効であろう。ここに杓子定規な考え方とは、法文(ルール)を文字通りに解釈し、それを守っていれば良いという考え方である。

f:id:shoyo3:20180413184719j:plain

https://woman.excite.co.jp/article/lifestyle/rid_Fashionpress_34890/

 

本書の説明を聞く前に、長尾龍一の簡潔でわかりやすい説明をみておこう。

法のことばは通常、幅のあるいろいろな意味をもっていて、いろいろな解釈をいれる余地がある。そのうえ伝統的に認められている解釈方法にも、いろいろなものがある。文字どおりの文章上、文法上の意味を認識するのが文字解釈、文理解釈であり、そのほか、代表的なものに次のようなものがある。

(1)拡張解釈・縮小解釈 たとえば「子」ということばが、実子という狭い意味と養子を含んだ広い意味をもつように、広義と狭義がある場合に、広義をとるのを拡張解釈、狭義をとるのを縮小解釈という。日本では拡張解釈ということばは、ことばの枠を超えた解釈の意味に用いられることがある。

(2)類推解釈・反対解釈 条文に含まれないが、類似しているものに適用する場合を類推解釈、適用しない場合を反対解釈という。たとえば、「車馬通行止」という立て札があって、牛の通行も禁止する場合など、直接規定されていない類似のものにも法規を運用するのが類推解釈で、それをしないのが反対解釈である。刑法など刑罰法規においては、類推解釈は類似か否かがあいまいで刑罰権が恣意的に拡張されるおそれがあるため、罪刑法定主義の原則に従って禁止されている。(長尾龍一日本大百科全書

ここで「法」を、様々な組織における「ルール」であると、広い意味に捉えておこう。

この長尾の説明で、いろいろな解釈の仕方があるというのはわかるが、では「どのように法を解釈したら良いのか」がわかるだろうか。例えば、wikipediaの「法解釈」の説明に、

「馬つなぐべからず」という立て札があるときに、牛はつないでも良いのであろうか?

という問いがあげられているが、これにどう答えるか?

現代なら、次のような問いになろうか。

「駐車禁止」という立て札があるときに、自転車は停めても良いのであろうか? 消防車は停めても良いのであろうか?

 

拡張解釈と縮小解釈

法令に登場する文や用語を、その「通常の」意味より広く理解して読むことを拡張解釈または拡大解釈といい、これと反対に、狭く理解して読むことを縮小解釈または限定解釈という。「通常の意味」とは、一般人の間で普通に通用している意味を指すこともあるが、むしろ法律家の間で「通常」と考えられている意味を指すことが多い。

「一般人の間で普通に通用している意味」というのは、一義的に決められるものではない。辞書を引いてもいろいろある。そこで、法律家の間で「通常」と考えられている意味ということになるのだろう。とはいえ、「法律家」と「一般人」の間で、文や用語の理解がそれほど異なるとも思えない。独特の法律用語はあるかもしれないが、ここではそのような用語を問題にしていない。「駐車禁止」の「車」の意味が、一般人と法律家の間で、それほど違いがあるとも思えない。

拡張解釈の例としては、[1]「共同正犯」(刑60)の中に共謀しただけで実行に直接加わっていない者も含ませる場合、[2]不法行為によって侵害される「権利」(民709)を「救済に値する利益」と解する場合などがある。

[1]刑法の「共同正犯」の例は、以下のような話である。

数人が犯罪を共謀し,そのうちの一部の者が犯罪を実行した場合,実行を分担しなかった者にも共同正犯の責任を問うときに,これを共謀共同正犯という。学説の多くは,実行に関与しなかった者は教唆犯ないしは従犯にすぎないとして共謀共同正犯に批判的であったが,判例は一貫して共謀者をも共同正犯として処罰してきた。(ブリタニカ国際大百科事典)

[2]民法第709条(不法行為による損害賠償)の規定(2004年改正後)は、次の通りである。

故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。

本書は、2002年の発行であり、改正前の民法第709条は、次の通りである。

故意又は過失に因りて他人の権利を侵害したる者は、之に因りて生したる損害を賠償する責に任す*1

2004年改正で「法律上保護される利益」が追加されているが、これは『権利』という言葉が文字通りに解釈されると、「権利」とは言えないまでも法律上保護されることが望ましい利益が切り捨てられてしまう可能性があるために、あえて確認の意味でつけられたものだそうである。(https://oshiete.goo.ne.jp/qa/1692999.html

改正前でも、「権利」が、拡張解釈により、「救済に値する利益」と解されていたので、実質的な変更はないという。

縮小解釈の例としては、不動産の物件変動において登記なくして対抗できない「第三者」(民177)の範囲から背信的悪意者を除く場合などがある。なお、この場合、登記がない権利者の立場からみれば、対抗できる者の範囲は拡大している。

これは「背信的悪意者排除論」と呼ばれる。

登記なくして対抗できない「第三者」は悪意でも保護されるが、悪意者がもっぱら真の所有者の権利を害する目的でその登記の欠缺を主張する場合には、そのような主張は信義に反し、認められないとされる。(wikibooks民法第177条)

民法に「背信的悪意者」を排除する規定があるわけではない。最高裁が、縮小解釈で第三者から「背信的悪意者」を除いている。

 

類推

ある事項に当てはまることは、それと類似の事項にも当てはまると考えることを類推と言う。法律学に特有の思考様式ではなく、伝統的な修辞学上の技術である。法律の解釈に応用されるときは、「類推解釈」と呼ばれることもある。例えば、法文に一連の類似した言葉が列挙されている場合に、それらは単なる例示にすぎず、それ以外の類似した事項も含む趣旨であるという読み方は類推解釈の例であろう。しかし、このような法文の読み方に直接関わる類推解釈の理解と並んで、類推解釈を推論方法とみる理解もあり、その場合、類推論法と呼ぶのが適切であろう。理論的には、後者の方が重要であり、その場合、類推は推論方法として、単なる文理解釈から区別することができる。

類推解釈を推論方法とみる場合、その推論図式は、

(1) pであればq (pは要件、qは効果)

(2) pとp‘は類似している

故に、(3) p‘の場合もq

というものである。注意すべきことは、(1)及び(2)から(3)への移行は、論理必然的なものではない。法的な類推論法では、(1)には既存の法規範が来る。

この推論図式は、明らかに論理必然的なものではない。しかし、「ある事項に当てはまることは、それと類似の事項にも当てはまることが多い」と考えることは、別段おかしなことではない。

類推の許容性は、(2)の命題が正当化されるかどうか、即ち、両事項が類似しているかどうかにかかっているが、むしろ正確には、類似していると解釈して両者に同じ法律効果を与えるべきかどうかが決定的というべきであり、それを判断するために法律の目的や体系的連関、そしてさらには、法的な正義の考え方が参照されるのである。ちなみに、擬制(フィクション)とは、類似していないものを、あえて同一視することをいう。

法律的には、「類似していると解釈して両者に同じ法律効果を与えるべきかどうか」がポイントである。それは、つまるところ、「目的」と「正義」に適うかどうかである。

 

類推適用

裁判や法律学では、…類推解釈が明示的に行われる場合は実際には少ない。むしろ、問題となっている事項に適用すべき条文が見当たらないとき、即ち欠缺の場合に、当該事項に適用すべき法規範を既存の法規から借用することを「類推解釈」あるいは「類推適用」と呼ぶことが多い。

これは、なかなか有用な解釈技法だと思う。p‘という事実がある。そのような事実に関して直接規定した条文(ルール)はない。しかしp‘に類似したpについて規定した条文(ルール)があるとしたら、類推適用(解釈)が可能である。

p‘が稀なものである場合には、このままでも良いかもしれないが、今後も起こる可能性が高いと考えられる場合には、法改正または制定が必要であろう。

例えば、不法行為に基づく損害賠償の範囲に関して、条文(民709)に規定がないので、債務不履行の規定(民416)を類推適用する場合である。この例では、不法行為債務不履行との類似性はあまり問題とされておらず、部分的に同じ扱いをすべきかどうかだけが問われている。この意味での類推は、「準用する」という明文がない場合に、その文言を補うことに等しい。

ここでは類推適用=準用である。なるほど、「準用する」という言葉は、便利で使い道がありそうだ。

「類推適用」という言葉は、「帰納的一般化」とでも呼ぶべき、上と若干異なる意味でも用いられる。例えば、「相手方と通じてなした意思表示の無効は善意の第三者に対抗できない」という「通謀虚偽表示」の規定(民94条2項)が、様々な事案に「類推適用」される場合は、その規定及び他の規定(民93条、96条の3、109~112条など)から外観法理に関する一般的規範が帰納的に形成され、これを「適用する」と言う代わりに、それよりも適用範囲は狭いが法律に明文のある規定を「類推適用する」と言われているとみることもできる。 

 

反対解釈

反対解釈とは、類推解釈も可能な状況において、その適用を否定する論法である。例えば、「賄賂を受け取った公務員が懲戒免職になる(という法規範が妥当する)のなら、賄賂を受け取ったが後に返却した公務員も懲戒免職になる」とするのが類推解釈であり、「賄賂を受け取った公務員が懲戒免職になるとしても、賄賂を受け取ったが後に返却した公務員は懲戒免職にならない」とするのが反対解釈である。

「賄賂を受け取った公務員は懲戒免職とする」という規定があったとしても、後で返却した場合にどうするかの規定がなければ、解釈するしかない。これは法の不備であるのかどうか。

反対解釈は、「pであればqである」という法規範があるときに、そこから「pでなければqでない」を非論理的に導く推論方式である。その根拠づけに関しては、類推の項目で述べたのと同様のことが当てはまる。 

 

論理的には、「pであればqである」から、「pでなければqでない」を導けないのは明らかである。

ここで先ほどの懲戒免職の例を図示してみよう。

f:id:shoyo3:20180413185819j:plain

「後で返却した」というのは、どう考えるべきか。図のA、B,Cいずれと考えるべきか。

A:返却したか否かに関わらず、賄賂を受け取ったという事実は消えない。従って、懲戒免職にすべきである。さもなければ、バレそうになったら返却するという行為を招くことになる。

C:返却したということは、賄賂を受け取ったという事実が無くなった(賄賂を受け取らなかった)のと同じである。従って、懲戒免職にすべきではない。

B:返却したということは、結果的に賄賂を受け取らなかったのと同じではあるが、いったん賄賂を受け取ったという事実は消えない。従って、もう少し軽い諭旨退職か降格にすべきである。

本書の説明の「反対解釈」では、「後に返却した公務員は懲戒免職にならない」というのであるから、Cの解釈をするということである。実際には、どういう性格の賄賂なのか、金額はいくらか、返却に至った経緯はどうなのか等の事情が考慮され、Bの解釈がなされるだろう。そしてこのような「事情」をすべて、ルールとして書き込むことは不可能であるから、どうしても解釈が伴う。類推解釈と反対解釈の二者択一ではない。

だが、類推解釈の場合と同様、反対解釈を条文の読み方に関する一連のルールとみる理解も良く知られている。そのようなルールの代表として、「のみ」「にかぎり」といった限定語句がついた文言について、その文言以外の事項については、述語の否定を結びつけるべきであるという文理解釈上のルールがある。例えば「裁判官はこの憲法及び法律にのみ拘束される」(憲76条3項)という条文は、「裁判官は判例には拘束されない」というふうに反対解釈されるのが普通である。

「裁判官はこの憲法及び法律にのみ拘束される」であれば、憲法や法律以外のものに拘束されないのは当然だろう。それは「反対解釈」云々以前に「解釈」でさえないように思うがどうだろうか。

また、条文に一連の類似した事項が列挙されている場合も、列挙されていない事項については、その条文の法律効果は与えられないというルールも、文理解釈上の反対解釈ルールである。先に類推について論じたところで、これと反対の文理解釈上のルールを例示したが、この対立からわかるように、ある条文を類推解釈すべきか、反対解釈すべきかは、文理解釈だけでは決まらない。だが周知のように、罪刑法定主義を奉じる近代刑法では、反対解釈が原則とされている。

列挙と言う場合、限定列挙例示列挙があるが、「列挙されていない事項については、その条文の法律効果は与えられない」というのは、反対解釈というより、限定列挙の場合をいうとしたほうが分りやすいと思う。

罪刑法定主義を奉じる近代刑法では、反対解釈が原則とされている」というが、冒頭の長尾は、次のような言い方をしている。「刑法など刑罰法規においては、類推解釈は類似か否かがあいまいで刑罰権が恣意的に拡張されるおそれがあるため、罪刑法定主義の原則に従って禁止されている」。類推解釈が禁止されているということが重要なのであって、「反対解釈が原則とされている」といっても何のことかよく分からない。

*1:カタカナは読みにくいので、ひらがなに変えた。