浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

入院生活 人の優しさ

先日、腰痛に関する記事を書いて数日後の夜、トイレに行こうと体を動かそうとした瞬間、腰に激痛が走り、全く身動きできないことに気づいた。幸い隣に妻が寝ていたので、救急車を呼んでもらった*1(一人で寝る時は、携帯など外部との連絡手段を確保している必要を認識させられた)。しかし、救急車のベッドにどのようにして移動するのか? 抱えあげて移動されるのはたまらないと思っていたところ、両側から板を差し込み、一瞬の痛みのみで、救急車のベッドに移ることができた(後で知ったのだが、この板はスライディングボードと言い、いろいろな種類があるそうである)。…かくして、約10日間の入院で、少しは歩くことができるようになり、退院となったのだが、椅子に座っていると次第に腰が痛くなり、すぐにベッドで安静にするという状況が続いているのだが、ようやくブログを書くという程度には回復してきた。そこで、今回の入院中に感じたこと、考えたことはいろいろあるのだが、一点のみ、記事にすることにした。それは、「人の優しさ」ということである。

 

1.看護師の優しさ

私が入院したのは、整形外科の病室ではなく、内科の大部屋(4人部屋)だった(空きベッドの関係で)。そこでまず感じたのは「女性看護師さん*2の優しさ」であった。

看護師というのは、①「医師の指示のもと、服薬管理や薬剤の管理、利用者の健康状態の管理・維持、病気の予防。(点滴や注射、胃ろうの交換などの医療行為は看護師の仕事)」の他、②「食事・着替え・排せつ・入浴など、安心安全に過ごして貰うための見守り役」というような介護の仕事もすることになっている(看護師は法律上、介護士の仕事をする事ができる)。(「介護士と看護師の仕事の違い」、https://www.kaigokango.jp/column/3061/より)

私は、①については知っていたが、②についてはあまり知らなかった。…寝たきりの患者には、排せつの処理や陰部洗浄*3が看護の一環となっている。男性患者の陰部洗浄については、基礎看護学実習Ⅱの事前技術練習における教育内容として、(1) 男性の性器の生理的特徴、(2) 男性患者の陰部洗浄の方法、(3) 男性患者の陰部洗浄時の勃起への対応方法、(4) 男性患者の陰部洗浄を実施する時の看護師の態度 があるという。(https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20180330213029.pdf?id=ART0008432709 参照)

上にみたように看護師というのは、医師の指示のもとに行う医療行為と介護を行うのであるから、医師とは比べものにならないほど、患者に寄り添って看護をしている。病状の進捗状況に応じて、患者の個性を考えながら、患者を気遣う、適切な言葉をかける、これが看護師の最重要な役割ではないかと思う。私の場合は、寝返りを打つことができるようになる、一人で尿瓶を使えるようになる、車椅子に座れるようになる、一人で歩けるようになるといった具合に、日一日と回復してきたのだが、その都度、女性看護師から、笑顔や、(常套句ではなく)心のこもった言葉をかけてもらった。このような、その看護師固有の笑顔や心のこもった言葉こそが「優しさ」である。そこには看護師の仕事に対する誇りがあるように思われる。そして、この優しさの発揮には、「性差」があるのではないか、というのが私の仮説である。つまり女性は出産をし、母乳を与え、子育てをする(特に授乳期の約1年間)。ここには女性ホルモンが大きく関わっていると思われ、未婚で未出産であっても、女性ホルモンが出ている限り、母性本能はある。この母性本能が看護に寄与している。それゆえ、私は病棟看護師については、女性看護師が望ましいと考えている。ちなみに、私が入院した内科病棟の患者を担当した看護師は、ほとんどが20代~30代前半*4の若い女性看護師であった。

付け加えて言えば、ナース・センターからときおり聞こえてきた女性看護師の笑い声には、癒しと言うか、母親に抱かれた子どもが感じる安心感に似たものを感じた。

f:id:shoyo3:20180812123321j:plain

 

 

f:id:shoyo3:20180812123341j:plain

2.家族の優しさ

私が入院していたのは4人部屋だったが、カーテンで仕切られ、どんな人が入院しているのかわからなかった。それでも音や声は聞こえるので、あれこれ想像していた。私の隣のベッドには、終末期かもしれないと想像させる患者(おじいちゃん)が入院していた。奥さん(おばあちゃん)は、何も会話できないのに、1日近く付き添っていた。おばあちゃんは運転ができないので、孫娘(20代前半?)が送り迎えしていた。その孫娘の言葉が耳に残り、いろいろ考えさせられた。「おじいちゃん、聞こえる、おじいちゃん、聞こえる、おじいちゃん、おじいちゃん」。孫娘は何度もこの言葉を繰り返していた。悲壮感が漂うのではない、この呼びかけには、優しさが溢れていた。それは、昔ながらの三世代同居家族*5の良さを象徴しているようであった。

さて、ここで少し考えてみよう。もし、おじいちゃんが家族や社会に迷惑をかけたくないと思っていたとしたら、これは何を意味するのか。もしそうなら、本人の意思を無視して、家族のエゴで生命を維持しているだけということにならないか。

社会全体の利益(社会保障費の抑制)を前面に出して、優しさを封じることはできないだろう。逆に、優しさ(や人間の尊厳)を前面にだして、本人の意思や社会全体の利益を考慮しないというのも問題があろう。医療技術の進歩も考慮に入れなければならない。

どうすれば良いのか?

f:id:shoyo3:20180812123707j:plain

*1:幸い、祖母の介護用オムツが残っていたので、救急車が来るまでに、おしっこをしたのだが、オムツを履いたり脱いだりするのも、やっとの思いだった。

*2:看護婦→看護師の言い換えは、一つの流れではあるが、私はそのような言い換えで問題が解決するとは思っていない。性差別用語(?)については、別途検討したい。…ヤフー知恵袋に面白いQ&Aがあった。「看護婦さんは → 看護師。なら、売春婦は → 売春師 になるの? なんかアホな、売春婦の格が上がりましたね」(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12100875967

*3:私は知らなかったのだが、看護師は「お下(しも)洗いますね」といって、肛門や睾丸や排尿器(性器)の陰部洗浄をしていた。

*4:女性ホルモンの分泌量は、20代半ば~30代前半がピークだそうである。

*5:親・子・孫の3世代で同居、または隣居(隣接する敷地に居住)することを三世代同居という。政府はこれを施策として推進しているようだが、もちろんデメリットも考えられ、私は最終判断を保留している。