浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

いくらお金があれば、「健康で文化的な最低限度の生活」を送れるのか?

阿部彩『弱者の居場所がない社会-貧困・格差と社会的包摂』(2)

前回の記事(ケンカツ(健康で文化的な最低限度の生活)、「ふつうの生活」)の続きです。

「健康で文化的な最低限度の生活」を保障する生活保護の基準が、来年2019年度より見直される。生活保護の中核となる「生活扶助*1が、67%の世帯で減額、26%の世帯で増額、国費ベースで160億円の予算削減となるという。

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https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000018.000018247.html

 

生活扶助の基準は、どのように決められるのか。これまで以下のような生活扶助基準の改定方式の変遷があった。*2

  1. マーケットバスケット方式(1948~60年)…最低生活に必要な食費、衣類、家具、入浴料といった個々の品目を一つずつ積み上げて算出する。
  2. エンゲル方式(1961~64年)…必要な栄養量を満たす食品の価格を積み上げる。別に低所得世帯の実態調査からエンゲル係数(食費の割合)を求め、それから逆算して必要な総生活費を算出する。
  3. 格差縮小方式(1965~83年)…一般国民の消費水準の伸び率以上に生活扶助基準を引き上げ、一般世帯と保護世帯の消費水準の格差を縮小させていく。
  4. 水準均衡方式1984年~)…従来の生活扶助基準が一般国民の消費実態とのバランス上、ほぼ妥当な水準に達していたと見たうえで、一般国民の消費実態や消費の動向を踏まえて調整を図る。

飯野奈津子の解説*3によれば、

  • 1965年からの格差縮小方式は、経済成長によって豊かになる一般家庭の消費水準の伸び率以上に保護基準を引き上げる、つまり保護基準の底上げをはかる方法です。その結果、1983年には保護基準が中間所得層の60%に達し、ほぼ妥当な水準になったとされました
  • そこで1984年からは、この水準を維持しようと、一般家庭の消費水準の伸びにあわせる水準均衡方式になります。しかし、その後政府の財政削減の流れが加速する中で、2007年からは、生活保護を受けていない低所得世帯の消費実態との均衡を検証することになりました。

阿部彩によれば*4、水準均衡方式とは、

人々の所得額の標準的な値を求め、その一定割合を「貧困水準=最低生活水準」と設定する方法である。一定割合としては50%が、多く使われているが、EUやヨーロッパ諸国では60%を使っている国もある。(p.72)

この方法の特徴は、「最低生活」の中身を決めない、というところにある。

例えば、ある人(A)は、所得額の8割を食費にあてて贅沢な食生活を送っているかもしれない。また別の人(B)は、Aさんと同じ所得額であっても、食費を削ってでも車を持ちたい、と考えているかもしれない。人の消費パターンでは、このようにある物を他の物に「代替」することがよく行われている。そのことによって、例えばBさんの栄養摂取量が必要最低限以下で、徐々にBさんが痩せていったとしても、それを上回る喜びをBさんが車から得ることができるのであれば、それもあり、とするのである。(pp.72-73)

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http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/289664.html

 

詳細な議論は知らないので、以上の説明からのみ考えてみよう。

問題は、「健康で文化的な最低限度の生活」の生活費をいかにして算定するかである。戦後間もなくであれば、「健康」や「文化」は重視されることなく、「生存のための最低限度の生活費」が算定されたのであろう。しかしそのレベルで据え置かれれば、高度経済成長下の一般世帯と保護世帯の格差が拡大する。それゆえ、格差縮小(保護基準の底上げ)が図られる。それは「健康」と「文化」を考慮に入れた「最低限度の生活」となるだろう。そしてそのレベルは「中間所得層の60%」とされた。その後、少子高齢化を背景とした社会保障費増大の抑制の一環として、生活保護費の削減が要請され、「低所得世帯」の生活費レベルにあわせるようになった。言い換えれば、「健康」や「文化」は重視されることなく、「生存のための最低限度の生活費」に回帰したということであろう。「生活保護費>低所得世帯の所得」はおかしいという理屈がそれを支える。

「健康や文化を重視しない生存のための最低限度の生活費」の算定は、実際にはかなり難しいが、それでも算定できないこともないとは言えるかもしれない*5。しかし、「健康や文化を考慮した最低限度の生活」となると、積み上げ方式ではほとんど社会的合意は不可能であろう。そこで、そのような煩瑣な作業を省略して、「中間層の所得のX%を、生活扶助額とする」とするほうが、「格差」解消にも寄与し、妥当な解決策ではないかと思う。「最低生活の中身を決めない」というのがすぐれたところである。X%を、50%とするか60%とするか、あるいはその他の数値とするかは、民主的な手続きで政治決定すれば良い。

生活扶助額を「低所得世帯」(全世帯のうち、年収が下から10%以内の世帯)のレベルに合わせるというのは疑問である。もし、低所得世帯が、「健康で文化的な最低限度の生活」を送れる状態になかったら、いったいどう考えるのだろうか。低所得世帯を、「健康で文化的な最低限度の生活」を送れる状態にもっていくこと(格差縮小)こそが、めざすべき方向である。それは税制改正(マイナス課税*6)で可能な話である。

社会保障費増大を抑制しなければ財政が破綻する」というのはよく聞く話であるが、財政全般の検討を抜きにして、これを無条件に前提して、生活保護費の削減をしかたないと受け止めるべきではないだろう。

だが、もっと重要なことは、起きてしまった格差を縮小するということではなく、(許容できない)格差が生じないようにすることである。

*1:生活扶助…食事、衣類、光熱水道費をはじめ、通信費、交通費、教養費、交際費、耐久財の買い替えなどにあてるもの(住宅、教育、医療、介護などは別の扶助)。

*2:原昌平「貧困と生活保護(53)低所得化に合わせて基準を下げてよいのか」(2018/1/19) 

*3:飯野奈津子「生活保護 問われる"最低限度の生活"」(時論公論)(2018/2/1) 

*4:阿部彩『弱者の居場所がない社会-貧困・格差と社会的包摂』(2011年) 

*5:阿部彩は上記著作で、「最低生活水準」の算定についてやや詳しく説明している。pp.70~90 

*6:

負の所得税累進課税システムのひとつであり、一定の収入のない人々は政府に税金を納めず、逆に政府から給付金を受け取るというもの。1940年代のジュリエット・ライス=ウィリアムス、後には経済学者ミルトン・フリードマンの著書「資本主義と自由」(1962)により展開された政策アイデアである。(Wikipedia)

給付付き税額控除負の所得税のアイデアを元にした個人所得税の税額控除制度であり、税額控除で控除しきれなかった残りの枠の一定割合を現金にて支給するというもの。(Wikipedia)

税制については、今後検討したい。