浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

幸せホルモン アタッチメント理論 皮膚感覚の身体化認知

長谷川寿一他『はじめて出会う心理学(改訂版)』(16) 

今回は、第10章 感覚 のうち、「皮膚感覚」である。

皮膚感覚は、全身の皮膚に感覚点が点在していて、そこにある受容器に接触する刺激があると、神経の信号として脳に伝えられることにより生じます。皮膚感覚は、痛覚、温度感覚(温覚と冷覚)、触覚、圧覚などに区別され、それぞれに対応する受容器があると考えられています。(本書)

振動感,かゆみ,くすぐったい感じ,しびれ感も皮膚感覚に含まれるが,これらは独自の受容器をもたず,上記5種の感覚の複雑な組合せによって成り立つとされている。(ブリタニカ国際大百科事典)

皮膚感覚については、いろいろ面白い話題があるようだが、ここでは、本元小百合・山本佑実・菅村玄二「皮膚感覚の身体化認知の展望とその課題」

https://kuir.jm.kansai-u.ac.jp/dspace/bitstream/10112/10461/1/KU-1100-20140300-04.pdf

をとりあげよう。*1

身体化認知とは、聞きなれない言葉である。

近年の「身体化認知(embodied cognition)」の興隆は、高次な思考は身体の働きに基づいているという考えが以前に増して支持されてきていることを表している。身体化認知とは、判断や思考など高次な認知処理が、感覚や動作といった身体の働きを基盤にしているという認知理論の一つである。身体化認知の研究例としては、味覚が道徳判断に与える影響、 嗅覚が信頼感や向社会的行動や道徳判断に影響を及ぼすことなどがある。…その流れで、皮膚感覚もまた社会的な判断や意思決定に影響を及ぼすことが明らかになってきている。しかし、なぜ触覚や温度感覚などの皮膚感覚が高次の思考に影響するのかは、十分に議論されているとは言い難い。皮膚感覚が比較行動学・文化人類学神経科学などの学際領域であることが議論を難しくしている要因かもしれない。

はじめにこう述べた後、身体化認知において比較的研究数の多い触覚と温度感覚が社会的判断に及ぼす影響を示した実証研究を概観している。この研究内容(実験内容)がつまらないので、本論文をとりあげないでおこうかと思ったのだが、「背景となるメカニズムの検討」の説明が興味深かったのでみてみよう。

「皮膚感覚が社会的な文脈で判断や意思決定に影響をおよぼす」というのであるが、なぜ皮膚感覚が社会的判断や意思決定に働きかけるのか。3つ挙げられている。

(a)顔や手指などの機能的特徴

(b)皮膚感覚と社会的絆の神経科学的基盤

(c)皮膚感覚と社会性の発達科学的基盤

 

顔・手・指・唇の機能的特徴

最初に、これらの部位に体毛が少ないのは、「接触コミュニケーション」(握手やハグ、キスやボディタッチといったスキンシップ)をとり、集団維持を行うためにそのような特徴を持ったのだ、とした後、次のように述べている。

  • 女性に軽く触れられると、触れられない場合に比べて、より多くのお金を投資しやすくなり、また接触と投資の額の間に、安心感が媒介することが分かった。
  • 自尊心の低い参加者は女性の実験者に肩を軽く触れられると、実験者に触れられていない場合と比べて、死に対する不安を低く評定した。
  • 愛情や親密性の根底には身体接触があり、身体接触やその代替物(毛布やペットなど)は、子宮の中にいたときのような保護された安心できる感覚を与える。
  • 接触コミュニケーションによる安心感や保護感は、他の個体に対する危機感を緩め、接近行動を促し、交配や集団維持に有利に働く。

 

皮膚感覚と社会的絆の神経科学的基盤 

  • オキシトシンという神経ペプチド(ペプチドホルモン)がある。このホルモンは子宮の収縮や母乳の射出を促すホルモンであり、スキンシップによっても分泌され、母性行動を誘発する役割もある。近年、オキシトシンはリラックス効果や他者への信頼感を高める作用があることが明らかとなっている。
  • 身体接触は他者との情緒的なつながりや信頼感、リラックス効果という心理的な安定をもたらすだけでなく、共感性の向上など社会集団に適応するための神経基盤をもっている。

オキシトシンについて補足しておこう。オキシトシンは、「幸せホルモン」とか「抱擁ホルモン」とも呼ばれる。

オキシトシンは良好な対人関係が築かれているときに分泌され、闘争欲や遁走欲、恐怖心を減少させる。…ヒトの場合、スキンシップによりオキシトシンを分泌させることができる。母親が赤ちゃんを抱っこする、恋人同士が手をつなぐ、性行為などにより大幅に分泌が増加されオーガズムの瞬間には男女ともに分泌される。そのほか、マッサージ、リフレクソロジーなど人により心地よく触られる行為やペットをなでることも効果がある。また直接肉体的なふれあい以外でも、会話、家族団らん、井戸端会議、居酒屋などでの交流などおしゃべりもオキシトシンを分泌させる。こうした行為は人が日常生活において普通に行っていることであり、人は無意識に心のバランスを取っていると考えられている。これらは「グルーミング行為」と呼ばれ、動物が自分自身の毛繕いをするように、人も自分自身の心のケアをしている。(Wikipedia)

 

皮膚感覚と社会性の発達科学的基盤

  • 比較行動学、児童心理学あるいは発達心理学では、幼少期の発達がその後の対人関係や情緒発達に影響を大きく及ぼすことが明らかとなっており、社会性の発達における接触の重要性が示されている。
  • 触覚は、五感の中で最初に発達する原始的な感覚である。聴覚や視覚が完全に発達していない状態の新生児にとって皮膚感覚は生存のために非常に重要な感覚である。…養育者との身体接触によって、乳幼児は他者との情緒的な結びつきや健全な社会性の発達、心身の健康が促される。
  • 生まれたばかりのアカゲザルは、針金でできた代理母(哺乳瓶つき)よりも、布で作られた代理母(哺乳瓶なし)にくっついている時間が長かった。この実験結果から、アタッチメント*2の形成には食物を与えることそのものよりも、快適な接触刺激が重要な役割を果たすことが示唆された。しかし、その後のアカゲザルの経過を観察したところ、針金製の代理母と布製の代理母の飼育を受けたサルはどちらとも、本物の母親ザルによる育てられたサルに比べて、攻撃性が高まり、無気力・無関心になり、生殖行為ができないといった社会的行動の問題が多く見られるようになった。このことは、柔らかい触刺激はアタッチメントを形成するうえで重要な要素であり、さらに社会的行動の形成には養育者との触れ合いやそれに伴う社会的体験が必要だということを示唆している。
  • 幼少期の身体接触の体験は、発達初期だけでなく、長期にわたって精神の発達にも影響を及ぼす可能性がある。抑うつや不安といった心理的不健康を抱えた患者は、健常者と比べ、過去に受けた両親との接触体験が少ない傾向にあった。さらに乳児期に親から受けた身体接触体験が少ない学生ほど、接触体験が多い学生と比べて、人間不信や自閉的傾向が高く、また自尊心が低下する傾向にある
  • アタッチメント理論には「安全基地(secure base)」という概念がある。これは、子供にとって安心感や保護を得ることができる拠り所であり、これにより子供は養育者から離れ、外界を探索することができる。万が一、子供が危機的な状況に陥っても、そこに帰ると安全が保障されているので、子供は再び安心して外界を探索することができるのである。つまり、子供の心身の発達と社会性の獲得を可能にするのが安全基地なのである。身体接触は安全基地を形成する重要な要因であると考えられる。子供が養育者に抱き着いたりするのも、身体接触を通して安心感を得るためだと解釈される。

もちろんその後の教育・学習により、社会的行動は変化しよう。ただ、根っこの部分(深層)で、皮膚感覚-アタッチメント(接触体験)が大きく影響している気はする。なお、安全基地という概念は面白い。社会保障におけるセーフティネット (safety net、安全網)は、安全基地となっているか?

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大人のロマンチックな関係における愛着行動のパターンは、幼児の愛着行動とだいたい同じである。しかし大人は、異なった関係に対する異なった内的作業モデルを維持することができる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E7%9D%80%E7%90%86%E8%AB%96#/media/File:Laughing_couple.jpg

*1:本論文では出典を明記しているが、このブログでは煩わしいので省略した。

*2:アタッチメント…愛着理論(Attachment theory )は、心理学、進化学、生態学における概念であり、人と人との親密さを表現しようとする愛着行動についての理論である。子供は社会的、精神的発達を正常に行うために、少なくとも一人の養育者と親密な関係を維持しなければならず、それが無ければ、子供は社会的、心理学的な問題を抱えるようになる。(wikipedia