黒と金のノクターン-落下する花火(ヴァーチャル絵画館 http://art.pro.tok2.com/ より)
先日 (2014/10/19) のNHK日曜美術館で、ホイッスラーの特集をしていた。上の絵は、「黒と金のノクターン-落下する花火」と題するものであり、ショパンのノクターンとともに紹介されていた。あなたも是非、ショパンを聞きながら、上の絵を見てください。
絵画と楽曲のコラボにより、それ自体ではそれほどでもないものが、感銘深いものとなる。だから私は思うのです。展覧会で整然と(雑多に)並べられたものを、次々と見て歩くのではなく、リビングに何気なく飾られたこの1枚を、見るでもなく見ないでもなく、ノクターンを聞く、これが鑑賞ではないか、と。
果たして、ホイッスラーはノクターンを聞きながらこの絵を描いたのだろうか。
美術評論家ラスキンの
作品を画廊に受け入れるべきではなかった。これらの作品では教養のない画家の気まぐれがほとんど意図的な詐欺の様相に近づいている。…公衆の面前にびん一杯の絵の具を投げつけることによって、200ギニーを要求するのを聞くことになろうとは予想だにしなかった。
という言葉が名誉棄損にあたるとして訴えた裁判で、ホイッスラーの絵が「悪い冗談か否か」が審議されたという。ラスキンは、ラファエル前派の画家たちの「輪郭や色の鮮明さ、考え抜かれた構図、細部の綿密さ」を評価していたので、ホイッスラーを引用のように評した。…訴訟でホイッスラーは言う。「この絵を私が数時間で描いたとあなたはおっしゃいます。しかし私は全生涯の経験によってそれを描いたのです」。…プルーストは、ノードリンガー宛の書簡で、ホイッスラーの「全生涯の経験によって描いた」というこの言葉に言及し、「この上なく美しい言葉だ」と書いている。(真屋和子「プルーストの眼-ラスキンとホイッスラーの間で-」より))
もちろん、裁判で争われたのは「名誉棄損」にあたるかどうかであって、その作品の芸術的価値ではない。芸術的価値について論ずるのならば、ラスキンの「近代絵画論」を参照した上で論ずるのが公平というものだろう。
私には、この絵が「落下する」花火であることが興味深い。「花火」で画像検索してみればわかるように、おおかたの人が、花火大会でみるものは「満開の花」であろう。落下する花火に、何かを感受する者は極めて少数派だ。
そうだ。今度いつか花火大会に出かけたら、大輪の花にみんなが「うぁー」と叫んだ後、しばらくしてから「すばらしい」と呟いてみよう。