浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

幻のSTAP細胞3 誰が笹井を殺したのか(1)

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Despair 1 (Caroline Peacock)  http://fineartamerica.com/featured/despair-1-caroline-peacock.html

笹井の自殺(2014/8/5)を、神戸新聞は次のように報じた。

<自分責めず新しい人生を 笹井氏、遺書で小保方氏気遣う>

STAP細胞論文の責任著者の一人で、自殺した理化学研究所発生・再生科学総合研究センター(神戸市中央区)の笹井芳樹副センター長(52)が、小保方(おぼかた)晴子研究ユニットリーダー(30)に宛てた遺書の概要が、関係者への取材で分かった。「疲れはてました」と吐露し、謝罪を繰り返す一方で「決してあなたのせいではない」「新しい人生を歩みなおして」と小保方氏を気遣う内容だった。

小保方氏宛ての遺書は、手書きで「小保方さん」と書かれた封筒に入っていた。A4サイズの用紙1枚に横書きで約20行の文章をしたためた。パソコンで作成したとみられる。

「もう限界を超え、精神が疲れはてました」「もう心身とも疲れ、一線を越えてしまいました」と吐露し「一人闘っている小保方さんを置いて」「こんな事態になってしまい、本当に残念です」などという趣旨のわびる表現が目立った

「私が先立つのは、私の弱さと甘さのせいです。あなたのせいではありません」「自分をそのことで責めないでください」と繰り返すなど、かばう言葉が続いていた。

「絶対、STAPを再現してください」と進行中の検証実験への期待に触れ、最後は「それが済んだら新しい人生を一歩ずつ歩みなおしてください。きっと きっと  笹井芳樹と結んだ。

自殺現場で見つかった遺書は3通で、うち1通が小保方氏宛て。すべてパソコンで作成したとみられ、いずれも封筒に入っていた。

http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201408/0007213293.shtml

誰が笹井を自殺に追い込んだのか? 笹井の心理はわからない。でも想像はできるだろう。

誰が笹井を殺したのか? 思いつくままにあげてみよう。順不同。

 

1.研究論文の疑義に関する調査委員会(報告書:2014/3/31)

研究論文の疑義に関する調査委員会は、デュー・プロセスに則らない「不適正手続」により、小保方を断罪した。そして不服申立てに対しては、強引な「捏造」解釈で却下してしまった。それは論文作成を指導した笹井に対する責任追及を意味するものでもあった。笹井は、小保方を擁護できなかった自分を責めたであろう。

 

2.理研の理事(野依、川合他)

あのような調査報告書を受取り、公表した罪は重い。小保方を生贄(魔女)にしたのは、大蛇(文科省)の怒りを鎮め、大難を防ぐ(特定国立研究開発法人の指定をスムーズにする)ためだったのか。そうでなければ、デュー・プロセスを無視し、拙速にことを進めた理由が思いつかない。しかし、小保方を生贄にしたのはまずかった。問われていたのは「リスク管理体制」であり、理事達の対応能力だったはずなのに。…皮肉にも、この対応が、理研の「リスク管理体制」がなってないことを証明したように思われる

特定国立研究開発法人の指定について、日経は次のように報じた。http://www.nikkei.com/article/DGXNASGG0103P_R00C14A4000000/

特定研究法人、理研の指定先送り 文科相 (2014/4/1)

下村博文文部科学相は1日、世界最高水準の研究成果を目指す「特定国立研究開発法人(仮称)」に理化学研究所を指定する閣議決定を先送りする考えを示した。STAP細胞の論文に関する最終報告では不十分で「4月中の閣議決定は難しい」と述べた。理研のガバナンスの問題点などを検証し、4月末までに報告するよう求めた。

下村文科相最終報告の説明に訪れた理研野依良治理事長らに対して考えを示した。同相は「できるだけ(報告を)急いでほしい。間に合わなければ理研が(新法人に)該当するのは難しい」と話し、迅速な調査を求めた。

会談後、同相は「第三者有識者会議を設置しただけで新法人が認められることにはならない」と語り、「今回の問題が理研そのものの体質的なものなのか再調査してほしい」と述べた。

政府は理研産業技術総合研究所を「特定国立研究開発法人」の候補としている。関連法案を今国会に提出し、4月中旬の閣議決定を目指していた。下村文科相は今国会で成立するためには4月内の報告が必要とし「理研の努力を見守りたい」と述べた。

ここでふと、TVドラマのドクターXの話を思い出した。…「国立高度医療センター」の総長・天堂義人が夢見ていた国家レベルの新組織「日本医療産業機構」の理事長に就任(そしてすぐに解任)という話である。天堂はカネまみれではなかったが、名誉と権力を求める人物として描かれていた。理研理事達は、「特定国立研究開発法人」の理事と言う名誉と権力を欲していたのだろうか。

笹井は、STAP細胞で「特定国立研究開発法人」移行をスムーズにしようと考えていたにも関わらず、でたらめな調査委報告を受け取った理研理事達に裏切られたと感じたことであろう。

 

3.研究不正再発防止のための改革委員会(提言書:2014/6/12)

私は最初にこの提言書を読んだとき、日経記事にあるような背景も知らず、下記のブログも読む前であったが、次のような感想であった。…小保方を「不正を行い、かつデータ管理もまともにできない無能力者」であると決めつけているが、ちょっとおかしいのではないか。最も責任が重いのは笹井副センター長であるとし、更にその暴走を許容(推進)してしまう(管理システムの不備を放置している)理研上層部の責任が重い、小保方はその流れに乗せられたピエロにすぎない、というふうに読めた。そしてCDBの解体とはいささか極端だが、管理システムは有効に機能するようにすべきであろう。ただガバナンス強化とか監査機能の強化とか、やたら管理を強化すればそれでうまくいくものではなかろう。

しかし、この改革委員会が設立された経緯を知ってみれば、この提言書は納得できるものであった。即ち、理研の野依をはじめとする理事たちは、「理研のガバナンスの問題点などを検証し」4月末までに文科省に報告する必要があった。そのためには、理研全体からみればその一つにすぎないCDBというセンターを解体し、ガバナンス体制を整備する必要があった。解体とは、実質的には名称変更し、研究室の所属変更をし、CDBトップを挿げ替えることを意味する。外部委員のみからなる第三者委員会で、理研に厳しく注文をつけた体裁をとりながら、理事達のシナリオ通りの報告であったように思う。

しかし、笹井にとっては、この提言書は大きなショックだったろう。小保方の論文指導をし、論文はnatureに掲載された。小保方の論文不正疑惑はちょっと頭が痛いが、乗り切れるだろうという気持ちだったに違いない。しかし、この提言書では笹井の責任を厳しく追及され、更にはCDBトップの責任まで云々され、CDBの解体まで言われるとは…。私にはもはやCDBに居場所はない。いままで頑張ってきたのは一体何だったのか。理研トップに裏切られた。CDBのメンバーには申し訳ない。

なお、この提言書の問題性については、下記参照願いたい。

http://blogs.yahoo.co.jp/teabreakt2/15750644.html

http://blogs.yahoo.co.jp/teabreakt2/15750676.html

http://blogs.yahoo.co.jp/teabreakt2/15755589.html

http://blogs.yahoo.co.jp/teabreakt2/15780600.html

http://blogs.yahoo.co.jp/teabreakt2/15780611.html

 

4.科学者、分子生物学会、日本学術会議

小保方を断罪した調査委員会報告により、「研究不正」という言葉が踊った。「捏造、改ざん、盗用」というあるまじき行為に走った小保方を擁護するわけにはいかなかった。それは、特に「捏造、改ざん、盗用」という「自然科学とは関係ない言葉」の薄っぺらな理解によるものであった。例えば「見やすい図」に加工することは「改ざん」にあたるか。誰もが知っているような情報を、出典を明示せずにコピペすることは「盗用」にあたるか。著作権侵害になるか。故意と過失の違いは何か。本質的でない部分の誤り(重箱の隅を突いてのあらさがし)を不正と騒ぎ立てるのか。重箱の隅か中心かの視点があるのだろうか。…同じ自然科学者で、小保方を擁護するものはいない。笹井の絶望は深まったに違いない。

 

5.論文の欠陥を指摘する生物学者

(私はよくわからないのだが)論理の破綻を指摘する学者との建設的な対話ができなかったのか。Nature論文は、完全無欠の論文でなければならないのか。笹井は間違っているかもしれないが、笹井の言い分をまじめに検討したのだろうか。相手の言い分を聞く耳を持っているのだろうか。

笹井は、このような科学者の姿を見て、情けないと感じたに違いない。科学的な議論ならいくらでもするし、間違いがあれば認める。しかし今の状況はそういう議論さえできない。

 

6.サイエンスライター

私は以前、<知>はだれのものか オープンアクセス そして… という記事の中で、サイエンスライターに期待しているような書き方をしたが、サイエンスライターだからといって「万能」であるはずはなく、今回のSTAP細胞問題の報道の中で、サイエンスライターのマイナス面を見た気がする。つまり特定の科学者の意見を受売りしているだけではないか、素人目線で物事を問いかけ、科学者間での意見の相違に目を向けていないのではないかという気がする

サイエンスライターに期待できないとすると、専門家が素人むけにやさしく解説したものを、いくつか見比べることになるのかもしれないが、それはほとんど無理であろう。オープンアクセス-知の共有など、はるか先の夢物語なのか。

 

7.マスコミ

科学担当記者はいるかもしれないが専門家はいないと思われる。そこで(外部専門家で構成される)調査委員会や科学者の意見を信用する。それは止むを得ない面もあるが、マスコミは、私たちのような素人には大きな影響力を持つ。いわゆる「世論」が形成される。

問題は第三者を含む(第三者のみで構成される)調査委員会の結論を無条件に信じてしまうことだ。ジャーナリストなら批判精神をもってほしいものだが、垂れ流しをする。…「中山氏は宇宙人を見たと言っている」この報道自体は誤っていない。しかし中山氏が権威ある人であるとみなしてしまうと、その報道は「私たちのような素人」に宇宙人の存在を信じさせてしまう力を持つ。そしてこの素人の中には、ごく一部の生物学者を除いてほとんどすべての科学者が含まれてしまったように思われる。「宇宙人は存在する!」

(注:上の議論は「小保方は不正をしなかった」ということを前提にしてはいない。幻のSTAP細胞3で書いたデュー・プロセスを参照。)

マスコミは、特定の科学者のマイナーな意見はほとんど取り上げない。デュー・プロセス(適正手続)をしらない。そして小保方は「悪」だとして叩く。さらにそのような「悪」を生み出した理研という「組織」の問題をあげつらい、「政策」(文科省大臣の発言)を批判する。そんな「正義のぶりっこ」が「世論」を形成する。

笹井は「世論」を味方につけられなかった。

 

8.Nature査読者

本庶は、「STAP 論文問題私はこう考える」のなかで、次のように述べている。

http://www.mbsj.jp/admins/committee/ethics/20140704/20140709_comment_honjo.pdf

質問2…簡単な刺激でSTAP 細胞を作ることができたというネイチャーに発表された論文を読んでその科学的根拠に納得しましたか。

答え2…(中略)このような不完全なデータと論理構成の不備は論文を読めば、すぐに判断できます。簡単に言いますと、私は物理的刺激や酸にさらすことによって分化した細胞がSTAP 細胞に変換し、それからネズミが生じたという科学的根拠がこの論文中には提示されていないと考えました。

この「科学的根拠がこの論文中には提示されていない」については、5.論文の欠陥を指摘する生物学者 を参照願いたい。では、そのような「論文を読めば、すぐに判断できる」ようなものが、natureの査読者に何故わからなかったのか。次のQAが参考になる。

質問8…そもそも科学的に論文の評価をするということは、どのように行われるのでしょうか。

答え8…通常、科学的論文は世界中の研究者に見て評価してもらうために雑誌に投稿し出版します。雑誌には色々な種類がありますが、ネイチャーのような商業誌では、研究者が雑誌社の中におりませんので、出版に値するかどうかの評価を外部の研究者に無料奉仕で委託しております通常2〜3名に頼み、そのコメントは著者に匿名で伝えられます。一方で学会が主体となって出版している雑誌では雑誌の編集委員と外部の評価者との両方の意見によって論文を出版するかどうかが決められます。STAP 細胞論文の評価をした人が誰かは知りませんが、極めて評価の基準が甘かったと言わざるを得ません。しかし論文は雑誌に公表されたら、高い評価が得られたということではありません。実際の評価は公表のあと、多くの研究者に読まれ、論理と実験の検証、追試、あるいは他の事実との整合性など様々な観点で評価が決まります。

私の大雑把な感覚では論文が公表されて1年以内に再現性に問題があるとか、実験は正しいけれども、解釈が違うとか、実験そのものに誤りがあるとか言った理由で誰も読まなくなる論文が半分はあります。2 番目のカテゴリーとしては、数年ぐらいはいろいろ議論がされ、まともに話題になりますが、やがてこの論文が先と同様に様々な観点から問題があり、やはり消えていくものが30%ぐらいはあるでしょう。論文が出版されてから20 年以上も生き残る論文というのはいわゆる古典的な論文として多くの人が事実と信じるようになる論文で、まず20%以下だと考えております。中には最初誰も注目しなかったのに5~10年と次第に評価が上がる論文もあります。

重要なことは雑誌に公表された論文をそのまま信じてはいけないと言うことです。私は大学院の指導教官であった西塚泰美先生(元神戸大学長)から「すべての論文は嘘だと思って読みなさい」と教えられました。まず、疑ってかかることが科学の出発点です。教科書を書きかえなければ科学の進歩はありません。しばしば秀才が陥る罠ですが論文に書いてあることがすべて正しいと思い一生懸命知識の吸収に励むあまり、真の科学的批判精神を失うという若者が少なくありません。

Nature査読者がボランティアであったとしても、世界的に評価の高い科学誌であってみれば、無能な研究者に論文評価を委託するとは考えられない。とすると、Nature査読者と本庶の評価の違いをどう考えるかであるが、それはNature査読者が無能であるか、論文が本庶のいう「論文を読めば、すぐに判断できる」ようなものではなかったかのどちらかであろう。それは私のようなど素人が判断できるものではない。

私の推測は、笹井が「nature誌に公表された論文をそのまま信じてはいけない」、完全無欠の論文はあり得ないということを了解しており、STAP細胞論文が掲載されるだけのレベルに達したと判断したからこそ掲載したのだ、というものである。にも関わらず、nature論文が完全無欠でなければならないとする日本国内での論評はさぞかし心外であったろう。