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STAP細胞 法と倫理(10) 憲法違反? 文科省ガイドラインの検討(5)

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引き続き、「認定」部分を(付け焼刃の勉強に基づき!)検討する。今回は、私の議論(意見)の中核部分であると言えるかもしれない。

4-3 認定

(3)特定不正行為か否かの認定

調査委員会は、上記(2)により被告発者が行う説明を受けるとともに、調査によって得られた、物的・科学的証拠、証言、被告発者の自認等の諸証拠を総合的に判断して、特定不正行為か否かの認定を行う。証拠の証明力は、調査委員会の判断に委ねられるが、被告発者の研究体制、データチェックのなされ方など様々な点から客観的不正行為事実及び故意性等を判断することが重要である。なお、被告発者の自認を唯一の証拠として特定不正行為と認定することはできない

調査委員会が「調査」をし、研究不正か否かを「認定」する。このような調査委員会の「調査」が何の疑念も抱かれないのは、火災事故や車両事故などの「調査」と同じようなものだとみなされているからだと思われる。そして外部専門家による公平中立な「調査」が、真実を明らかにするであろう、というわけである。

しかし、研究不正の調査とは、「火災事故」や「車両事故」類似の調査なのではなく、「放火事件」や「ひき逃げ事件」類似の調査なのである。「不正」という「人為」の「調査」なのである。そして「放火事件」や「ひき逃げ事件」の場合は「調査」とは言わず、「捜査」という。さらに「認定」とは「判決」である。こうみてくれば、調査委員会の性格が明らかになってくると思われる。つまり調査委員会は、検察(警察)であり、裁判官なのである、捜査(調査)をし、判決(認定)をくだすのである。従って、

 日本国憲法32条 何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。

 日本国憲法第37条 すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。

に、違反しているかもしれないのである。

 

「証拠の証明力」とは何か。Yahoo知恵袋の「k_niwatazumi」氏の説明が素人にはわかりやすい。

証拠能力とは、「ある証拠が訴訟上証拠として採用しうるか」というもので、デジタルにあるなしのどちらかです。

証明力とは、「その証拠が証明しようとする事実をどれほど強く推認させるか」というもので、アナログ的に様々な強度を取りえます。

例えば捜査員が道行く人を突然裸に剥いて銃が出てきた場合、その銃は銃刀法違反の立証において、被告人が銃を所持していたことの非常に大きな証明力を持ちますが、違法収集証拠であり証拠能力は否定されるべきで、裁判上証拠たりえませんからそれが裁判で提示されても裁判官はそれに基づいて裁判をしてはなりません。

逆にあるディスコで突然人がナイフで刺されるという事件があったとき、適法な家宅捜索に基づいてある人の家からそのディスコのマッチ箱が発見されたという場合、証拠能力は肯定されますが、「その人がその日にそのディスコにいた」という立証命題についての証明力は極めて微弱といわざるをえないでしょう。

(http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1212649237)

「証拠の証明力は、調査委員会の判断に委ねられる」とはどういうことか。

証拠の証明力は、裁判官の自由な判断に委ねる。刑事訴訟法318条)

裁判所は、判決をするに当たり、口頭弁論の全趣旨及び証拠調べの結果をしん酌して、自由な心証により、事実についての主張を採用すべきか否かを判断する。(民事訴訟法第247条)

自由心証主義」とよばれるものであるが、刑訴法の条文と非常によく似ている。条文の「裁判官」が、「調査委員会」に置き換わっている。これはつまり、調査委員会は裁判官の役割を果たすことが期待されていると言えるだろう。私が先に述べた「調査委員会は、検察(警察)であり、裁判官なのである」ということが理解されるだろう。

なお、刑訴法は、自由心証主義に3つの規制を加えている。

 1 法は証拠として採用してよいかどうかの適格、すなわち証拠能力を制限する主義をとり、この点についての裁判官の自由な裁量を許さない。証拠能力に規制を加えない民事訴訟法における自由心証主義と大きく異なる点である。

 2 自白については、重要な例外がある。即ち、裁判官が自白によって有罪の確信を得ても、ほかにこれを裏付ける証拠(補強証拠)がない限り、有罪とすることはできない。これは、自由心証主義に対する直接的な規制である。

 3 自由な判断とはいっても、それは合理的なものでなければならず、それが経験法則、論理法則に違反するものであるときは、「理由の食い違い」または「事実誤認」として、控訴申立の理由となる

 「客観的不正行為事実及び故意性等を判断すること」…「客観的不正行為事実」とは何か、「故意性」とは何か、これは決して自明なこととは思われない。法全般の理解、とりわけここでは「刑事訴訟法」の理解がなければ、この言葉は理解できないように思われる。なお、「故意」という言葉が、ここに出てきていることに留意しておきたい。

「被告発者の自認を唯一の証拠として特定不正行為と認定することはできない」…自認を「自白」と考えれば、当然であろう。

4-3 認定

(2)特定不正行為の疑惑への説明責任 (再掲)

調査委員会の調査において、被告発者が告発された事案に係る研究活動に関する疑惑を晴らそうとする場合には、自己の責任において、当該研究活動が科学的に適正な方法と手続にのっとって行われたこと、論文等もそれに基づいて適切な表現で書かれたものであることを、科学的根拠を示して説明しなければならない。

(3)特定不正行為か否かの認定(続き)

② 特定不正行為に関する証拠が提出された場合には、被告発者の説明及びその他の証拠によって、特定不正行為であるとの疑いが覆されないときは、特定不正行為と認定される。

また、被告発者が生データや実験・観察ノート、実験試料・試薬等の不存在など、本来存在するべき基本的な要素の不足により、特定不正行為であるとの疑いを覆すに足る証拠を示せないときも同様とする。ただし、被告発者が善良な管理者の注意義務を履行していたにもかかわらず、その責によらない理由(例えば災害など)により、上記の基本的な要素を十分に示すことができなくなった場合等正当な理由があると認められる場合はこの限りではない。また、生データや実験・観察ノート、実験試料・試薬等の不存在などが、各研究分野の特性に応じた合理的な保存期間や被告発者が所属する、又は告発に係る研究活動を行っていたときに所属していた研究機関が定める保存期間を超えることによるものである場合についても同様とする。

③上記(2)の説明責任の程度及び上記②の本来存在するべき基本的要素については、研究分野の特性に応じ、調査委員会の判断に委ねられる。

「特定不正行為に関する証拠が提出された場合」とあるが、当該証拠は、誰がどこに提出するのだろうか。公開の裁判所ではないだろう。ではどこに? 恐らく、調査専用の部屋(取調室)で、調査委員(検事または警察官)が、被告発者(被疑者)に、「こんな画像はあり得ないんだよ。正しい画像だというなら証拠を出せ」と迫っている情景が目に浮かぶ。被疑者に、「あなたには黙秘権がある」などと一言も言わずに。そして、被告発者(被疑者)が、調査委員(検事または警察官)を納得させるだけの証拠を示せないとき、調査委員(裁判官)は、被告発者(被疑者)を「有罪」と判決を下すのである。これらは、公開の裁判所ではなく密室で、弁護人の反論も許されないなかで行われるのである。そして事後的にのみ「不服申立」を認める(後述)というのである。

このような手続きは、「被告発者(被疑者)が、本当に不正を働いていたのだとしても」到底認められることではないと考える。

ここで「挙証責任」(証明責任、立証責任)についてふれておこう。日本の刑事訴訟の場合、

原則…刑事訴訟では、「疑わしきは被告人の利益に」の原則が妥当する。つまり、犯罪事実については原則として訴追側(検察官)に挙証責任があるとされ、合理的な疑いを入れないまでに立証されない場合は被告人は無罪となる(無罪の推定)。日本の法令にはこの点に関する明文の規定はないが、法定手続の保障について規定した日本国憲法第31条が無罪の推定原則を要求すると解されること、刑事訴訟法336条が「被告事件について犯罪の証明がないときは、判決で無罪の言渡をしなければならない」と規定していることから、犯罪事実については検察官が挙証責任を負うことになるとされている。

また、犯罪事実のほか、刑事責任の存在や範囲に直接影響する事実(行為の違法性・有責性を基礎付ける事実、処罰条件、刑の加重減免事由)、量刑に関する事実についても、検察官に挙証責任がある

例外…個別的に被告人側が例外的に挙証責任を負うとされる事項がある。この実質的な理由は、検察官にとっての立証困難性にあるが、犯罪事実の成否にかかわる事実である以上、単にそれだけで挙証責任の転換が許容されるわけではない。被告人側への転換が許されるためには、被告人に挙証責任を負わせる事実が、検察官に挙証責任がある他の事実から合理的に推認される事情があること、被告人が挙証責任を負うとされる部分を除去して考えても、なお犯罪として相当の可罰性が認められることなどの、特別の事情が必要となる。(wikipedia)

ガイドラインは、被告発者(被疑者)が「無実の証明」をせよと言っているが、これは刑訴法が規定する原則に反するのではないか。例外だというなら、その根拠は何だろうか。また刑事ではなく、民事を想定しているというなら、刑事事件としてはあり得ないと考えているのだろうか。法と倫理(3)で取り上げた三平弁護士の言う犯罪は成立しないのだろうか。

(4)調査結果の通知及び報告

① 調査機関は、調査結果(認定を含む。以下同じ。)を速やかに告発者及び被告発者(被告発者以外で特定不正行為に関与したと認定された者を含む。以下同じ。)に通知する。被告発者が調査機関以外の機関に所属している場合は、その所属機関にも当該調査結果を通知する。

② 上記①に加えて、調査機関は、その事案に係る配分機関等及び文部科学省に当該調査結果を報告する

③ 悪意に基づく告発との認定があった場合、調査機関は告発者の所属機関にも通知する。

文部科学省に当該調査結果を報告する必要があることに注意。

(5)不服申立て

① 特定不正行為と認定された被告発者は、あらかじめ調査機関が定めた期間内に、調査機関に不服申立てをすることができる。ただし、その期間内であっても、同一理由による不服申立てを繰り返すことはできない。

② (略)

不服申立ての審査は調査委員会が行う。その際、不服申立ての趣旨が新たに専門性を要する判断が必要となるものである場合には、調査機関は、調査委員の交代若しくは追加、又は調査委員会に代えて他の者に審査をさせる。ただし、調査機関が当該不服申立てについて調査委員会の構成の変更等を必要とする相当の理由がないと認めるときは、この限りでない。

④ 特定不正行為があったと認定された場合に係る被告発者による不服申立てについて、調査委員会(上記③の調査委員会に代わる者を含む。以下「(5)不服申立て」において同じ。)は、不服申立ての趣旨、理由等を勘案し、その事案の再調査を行うか否かを速やかに決定する。当該事案の再調査を行うまでもなく、不服申立てを却下すべきものと決定した場合には、直ちに調査機関に報告し、調査機関は被告発者に当該決定を通知する。このとき、当該不服申立てが当該事案の引き延ばしや認定に伴う各措置の先送りを主な目的とすると調査委員会が判断するときは、調査機関は以後の不服申立てを受け付けないことができる。(以下省略)

不正認定(判決)後に、同じ調査委員会(裁判所)に、不服申立てをしたところで、再調査を行わず、審査を打ち切ることになる(申立は却下される)のは目に見えている。不服申立てを認めるということは、いい加減な調査をしたことを認めることになるからである。また被疑者の主張を聞かなかったことを認めることになるからである。従って、この不服申立ての規定は全く意味がない。裁判であれば、第一審の判決に対して不服がある場合、上級裁判所に対して控訴することになる。同じ第一審裁判所に控訴することなどありえない。

(6)調査結果の公表

① 調査機関は、特定不正行為が行われたとの認定があった場合は、速やかに調査結果を公表する。

② 調査機関は、特定不正行為が行われなかったとの認定があった場合は、原則として調査結果を公表しない。ただし、調査事案が外部に漏えいしていた場合及び論文等に故意によるものでない誤りがあった場合は、調査結果を公表する。悪意に基づく告発の認定があったときは、調査結果を公表する。

③ 上記①、②の公表する調査結果の内容(項目等)は、調査機関の定めるところによる。

「特定不正行為が行われたとの認定があった場合の調査結果の公表」は、何を意味するだろうか。刑訴法が規定する正規の手続きを踏まないで出した結論を公表するということは、何ら法的権限をもたない組織が「犯罪者」だと認定した者を公表するということにならないか。もし「犯罪者」でないというなら、(故意に)「捏造」「改竄」「盗用」を行った者は、何者なのか。法的には犯罪者ではないが、村の掟を破った者になるのではないか。そして「科学者村」を追放することは、法的には「刑罰」ではないと、いうつもりなのだろうか。名前を公表され、科学不適格者と烙印を押された者が再就職困難に陥ることは明白だろう。仮に真犯人であったとしても、このようなことは許されるべきことではない。法と倫理(3)で述べたとおり、罪刑は法定されていなければならないのである(罪刑法定主義)。

 憲法第31条 何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。

(7)告発者及び被告発者に対する措置

① 特定不正行為が行われたとの認定があった場合、特定不正行為への関与が認定された者及び関与したとまでは認定されないが、特定不正行為が認定された論文等の内容について責任を負う者として認定された著者(以下「被認定者」という。)の所属する機関は、被認定者に対し、内部規程に基づき適切な処置をとるとともに、特定不正行為と認定された論文等の取下げを勧告するものとする。

② 告発が悪意に基づくものと認定された場合、告発者の所属する機関は、当該者に対し、内部規程に基づき適切な処置を行う。

「関与した者」と「責任を負う者」の区分が明確ではない。いかなる基準で区分するのか。正犯、従犯、教唆犯の考え方を取り入れないのか。内部規定をどのように定めようというのか。

(以下、省略)

これでガイドラインの個別項目毎の検討を終了する。

 

今後の予定は、次の通りである。

文科省ガイドラインの検討の「とりあえずのまとめ」

・「研究不正規律」に関する別の角度からの検討

・小保方の懲戒処分と就業規則について

・小保方の退職と不服申立をしなかったことの意味について

 

(余談)

もう4年以上前の話であるが、サンデル教授の「ハーバード白熱教室」(NHK教育テレビ)が大人気になった。ブログでも盛んに取り上げられた。当時、私は「路面電車の問題」に関連して、以下のような文章を書いた。

1) 抽象化について…問題の本質を把握するために、枝葉末節を捨象する。確かにこれは必要な作業だ。どれほど「詳しい状況」といっても、それを言葉で説明する限り必ず抽象化の作業がある。微に入り細にわたりすべてを(人間心理を含めて)説明することはできない(言語化不可能)。問題は、何を枝葉末節とみるかである。

2) 単純化について…「シンプルイズベスト」ではない。往々にして、重要な点を見落とす。抽象化は必要だが、単純化はいけない。両者を混同すべきではない。状況は常に複雑である。だから抽象化するのであって、単純化するのではない。抽象という場合には、大事な部分を捨象しているかもしれないという意識があるが、単純化という場合にはそういう意識が無い。

3) 本質的な解決とモグラたたき…本質的な部分、基本を押さえれば、いろいろなケースに対処できる。複雑な状況をそのままに受け止めて、問題個所に対処していてもモグラたたきに終わる可能性が大きい。

4) 原理主義とは、何が本質的なことであるかの議論(合意への努力)なしに、即ち他者への説得力のない前提・価値観のもとに、複雑な現実を説明し、押しつけようとするものである。

5) 「道徳」は、抽象的なレベルで考えることはできない。抽象レベルで考えれば、それは「神学」になると思われる。この現実の人間社会の具体的な状況を抽象化して、何が正しいかを考え、合意を得るという過程をへて、「道徳」が形成されると考える。

6) 上記のように形成された道徳は、「法」の形で具体化されていると考える。従って、日常的な諸問題のほとんどは、「法」の議論に収束するのではないか。ただ国家間の問題に関しては、今後「法」の形で具体化されなければならないものが多くあるということであろう。

さて最初の「路面電車」の問題が、本質を把握するための問題になっているかどうかであるが、それはやはり現実的にありうる状況を想定して、それを抽象化して(いろいろな抽象化のしかたがあると思うが)問題にすべきと思われる。そしてその抽象化の仕方がおかしいと思えば、「重要な前提条件はかくかくであるから、かくかくの前提条件ではこう考えられる」というべきだろう。そのような現実的な問題は、いくらでも実際の判例のなかから(判例でなくても現実の諸問題から)取り出せるはずである。

当時、サンデルの「正義」を議論していた人たちは、STAP細胞問題をどうみているのだろうか。私には、STAP細胞問題は、まさしくサンデルの正義論が取り組むべき現実の問題のように思えるのである。

 

(続く)