浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

瞬間と全体の合体

北川東子ジンメル-生の形式」(2)

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ジンメルは、ドラマチックで文学的なモティーフを、徹頭徹尾、凡庸に語る。御者や廃屋などの古めかしい道具立ても、随所にちりばめられたエキゾチズムも、量産されるテレビドラマのシナリオがそうであるように、あまりに期待通りで、キッチュ。期待通りにドラマチックなシナリオと、ドラマを期待する凡庸で類型的な思考。しかし、この凡庸さには、「瞬間」がある。「瞬間」に、どのようにか閉じ込められていたこわい力がある。哲学は、文学ではない。なぜなら、哲学は「瞬間」に囚われるからだ。「天国と地獄が出会う」ような決定的な瞬間にである。

「存在の全体は真の意味では、誰にもアプローチ可能ではないし、それとして働きかけるわけではない」。全体がそれとして与えられているわけではない。与えられているのは「現実の断片」だけであって、おびただしい断片の束から、ひとつの「全体」を造り上げるのは、ひとつの「手続」であり、手続を持続させるエネルギーなのだ。それこそ、人間の心の内にある「総体化の能力」である。

「瞬間に囚われること」と「全体に反応すること」-ジンメルの哲学は、このふたつの相矛盾する方向によって規定される。このふたつの離反していく方向が、実は、同じひとつの現実に無限に近づくことを意味する。(プロローグ「ジンメルという哲学者がいた」より)

あまりに期待通りでキッチュなこの凡庸さには「瞬間」がある。…いいですねえ。哲学とはかくあるべし、と感得させられる。

与えられているのは「現実の断片」、ひとつの「全体」を造り上げるのはひとつの「手続」である。…いいですねえ。最初からストーリーがあるわけではない。無数の断片がある。断片をつなぎあわせる。それは「生命」であり、「人生」でもある。