浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

STAP細胞 法と倫理(11) 科学者には倫理がない

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ガイドラインはくどいほどに研究者倫理(教育)を強調している。しかしその内容は何か? でっちあげはダメ、ごまかしてはダメ、ウソをついてはダメ、盗んではダメ、そんなことしたら針千本呑ますよ、という幼児教育ではないか。(法と倫理(6)参照)

 

倫理とは何か? ここではごく単純に次のように理解しておこう。

世界大百科事典内の倫理の言及…倫とは仲間を意味し,人倫といえば,畜生や禽獣のあり方との対比において,人間特有の共同生活の種々のあり方を意味する。(https://kotobank.jp/word/%E5%80%AB%E7%90%86-660231)

研究者は、研究者である前に「人」なのである。共同生活を営む「人間」なのである。人が過ちを犯したとき(しかも、本当に過ちを犯したのかどうかわからないときに)共同生活から排除することが、倫理なのだろうか。人を思いやる心を持たない者に、倫理を語る資格があるのだろうか。

 

小保方を排除し、笹井を死に追いやったことに何ら痛みを覚えず、研究者倫理を説く者たち、マスコミに登場して無責任な発言をしている科学者、著名人、科学ライター、そしてそれらに付和雷同する者たち、彼らにこそ「倫理教育」が必要なのではあるまいか。「人を思いやる心」これは、倫理と言おうが、道徳と言おうが、この世界に「共に生きる者たち」の人間性の基礎ではないのか。

 

なお、タイトルの「法と倫理」の「倫理」は、こういうことを言うためにつけたものではない。体細胞から幹細胞をつくりだすこと、分化した細胞を分化する前の状態に戻すこと、このことが不老不死の研究につながるものであり、現代の錬金術であること、生と死の根幹にふれるものであること、人間のみならず、「生命体」の存在に関わるものであること、このことを追究したいと思いタイトルにしたのである。(もちろんこれはSTAP細胞だけの問題ではない。「遺伝子操作の倫理学」とでもいうべきものか?)

 

追記:2015/2/4 文科省は2018年度から本格導入する新教科「道徳」の学習指導要領改定案を公表した。「小学校学習指導要領案」の一部を引用する。

第3章 特別の教科 道徳 第2 内 容

善悪の判断,自律,自由と責任…自由を大切にし,自律的に判断し,責任のある行動をすること。

真理の探究…真理を大切にし,物事を探究しようとする心をもつこと。

親切,思いやり…誰に対しても思いやりの心をもち,相手の立場に立って親切にすること。

相互理解,寛容…自分の考えや意見を相手に伝えるとともに,謙虚な心をもち,広い心で自分と異なる意見や立場を尊重すること。

規則の尊重…法やきまりの意義を理解した上で進んでそれらを守り,自他の権利を大切にし,義務を果たすこと。

公正,公平,社会正義…誰に対しても差別をすることや偏見をもつことなく,公正,公平な態度で接し,正義の実現に努めること。

集団生活の充実…様々な集団の中での自分の役割を自覚して集団生活の充実に努めること。

国際理解…他国の人々や文化について理解すること。

小保方を排除し、笹井を死に追いやったことに何ら痛みを覚えず、研究者倫理を説く者たち、マスコミに登場して無責任な発言をしている科学者、著名人、科学ライター、そしてそれらに付和雷同する者たち、彼らにこそ、小学校レベルの道徳教育を施すべきではないか。

(続く)