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STAP細胞 法と倫理(17) 日米における「研究不正規律」成立の歴史

小林論文の検討(2)

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「我々は研究不正を適切に扱っているのだろうか-研究不正規律の反省的検証」(小林信一、国立国会図書館 調査及び立法考査局 専門調査員 文教科学技術調査室主任)という論文(法と倫理(13)参照)を、以下「小林論文」と呼ぶ。今回は、小林論文の検討の2回目である。(検討というより感想に終わるかもしれないが)

Ⅰ 日本における研究不正規律の成立・浸透過程

各機関が規程を策定するといっても、研究活動は普遍的活動であるので、各機関が勝手にルールを制定するのは実効性を欠く機関や分野の特性によって異なる部分はあるにしても、何を研究不正とみなすか、どのような基準で研究不正を認定するか等、基本的な考え方や方針は共通化する必要がある。そこで文科省は科学技術・学術審議会に「研究活動の不正行為に関する特別委員会」を設置し、2006 年3月17 日から検討を開始し、2006 年8 月8 日に「研究活動の不正行為への対応のガイドラインについて―研究活動の不正行為に関する特別委員会報告書―」を発表した。この第1 部が「研究活動の不正行為に関する基本的考え方」、第2 部が「競争的資金に係る研究活動における不正行為対応ガイドライン」(「文科省2006 指針」)である。

何を研究不正とみなすか、どのような基準で研究不正を認定するか等、基本的な考え方や方針は共通化する必要がある。当然だと思う。

これ自体が研究不正への対応や調査・認定の根拠規程となるものではない。文科省2006 指針は、文科省の競争的資金等により研究を実施する機関、文科省の予算措置等により競争的資金等の配分を担う機関が研究不正の取扱に関する規程等を制定する際に、整備すべき事項の共通の指針を示すものであり、研究不正への対応の事項上の根拠となる規程の内容やその策定は各機関の裁量に委ねられている

私は、「研究不正への対応の事項上の根拠となる規程の内容」=「研究不正への対応や調査・認定の根拠規程」を、各機関の裁量に委ねるべきではないと思う。各機関の裁量に委ねては、必ずバラツキが出て不平等になる。各機関や分野の特性によって異なる部分があるというならば、それを明確にして省令等で定めれば良い。

研究不正が社会的問題となった2000 年から、研究不正規律が一通り整備された2007 年頃までが、日本の研究不正規律の歴史の第一幕である。今はまだ、日本で研究不正に対する対応方法が一定の形をなして、わずかに7、8 年を経たにすぎない。つまり、研究不正の定義や研究不正に対する対処の手続などは、まだ新しいものであり、その考え方の枠組みは決して、自明なものでも、歴史的に磨き上げられたものでもない

そうであるならば、刑法上の犯罪を疑わせるような不正認定のありかた、科学界から追放するような不正認定のあり方は時期尚早なのではないか。とりあえず「死刑」にしておいて、問題があれば後で「懲役X年」または「罰金刑」に修正する、というのはおかしい。

文科省は、2013 年11 月20 日に「「研究活動の不正行為への対応のガイドライン」の見直し・運用改善等に関する協力者会議」を設置し、文科省2006 指針の改定作業に着手し、2014 年2月3 日に「公正な研究活動の推進に向けた「研究活動の不正行為への対応のガイドライン」の見直し・運用改善について(審議のまとめ)」(以下「文科省2014 審議まとめ」という。)を公表した。当初は2014 年3 月末までにはパブリックコメントを経て、最終案をまとめ、2014 年度には新たなガイドラインの運用を開始する見通しだった。

ここで、問題を複雑にしたのが、理研STAP細胞論文捏造・盗用事件である。…2014/7/2には2論文が撤回され、研究不正に関する調査としては一区切りがつくはずであったが、マスコミや研究者、さらには政治家も、論文中のすべての疑惑箇所に関して調査することや再実験による確認を要請し、理研もそれに応じるなど、2014年8月初旬時点では問題は終息していない。また、理研の管理体制そのものも問題とされるに至り、単に研究不正問題ではなく、理研のありかた、日本の基礎研究のあり方にまで議論が及んでいる。本件は、研究不正の調査や認定手続きの点で、さまざまな問題があることを浮き彫りにした

STAP論文撤回で一区切りなら、「論文中のすべての疑惑箇所に関しての調査や再実験による確認」は、研究不正の認定手続きに則ったものだったのかどうか。

Ⅱ 米国における研究不正に関する連邦規律の成立とその内容

1 米国の研究不正に関する連邦規律等の策定過程 (1) 研究不正規律の成立と発展

1985 年に連邦議会で、「1985 年健康科学推進法」が成立した。これは「公衆衛生法」に「第493 条 科学詐欺の防止」を追加し、研究不正へ対処するために、保健福祉省に研究不正に関する規則の策定を求めたものである。これに呼応して、「科学不正取扱規律及び手続」(以下PHS1986規律という)が1986 年6 月18 日に策定された。

米国における研究不正規律は、法律上の根拠を持っている。「科学不正取扱規律及び手続」は、ガイドラインというものではなく、「法令」に属するものだろう。http://www.kokusen.go.jp/wko/pdf/wko-201209_11.pdf

法律家ではないのでわからないが、「科学詐欺」などという言葉を使っているので、刑法との関連も考慮されているのではないかと思う。「村の掟」ではない。

1989 年8 月8 日に保健福祉省(DHHS)は、PHS1986 規律を見直し、内容を整理した新たなルールを連邦規則集42 CFR Part 50, Subpart Aに「研究助成受領機関及び応募機関の科学不正の取扱及び報告に関する責任」(以下「PHS1989 規則」という)として規定した。これは公衆衛生庁(PHS)傘下の研究助成を対象としたルールであるが、科学不正に関する連邦政府の正式な規則として位置付けられた最初のものであり、その後の研究不正に関する議論の起点になった。

連邦政府の正式な規則」として位置付けられたという点が重要である。ガイドラインのみを示して、各研究機関が具体的な規程を定めよ、というのとは違う。

PHS1989 規則はその後2005年の改定までの長い期間、効力を有していた。なお、その間も、さまざまな議論が起こり、運用の見直しが図られた。中でも、研究者コミュニティ側の代表的団体である全米科学アカデミー等が研究不正に関する調査を進め、1992 年1 月15 日に報告書(以下「NAS1992 報告」という。)を刊行し、学界側の研究不正に対する考え方(研究不正の対象範囲、認定方法、証明度に対する考え方等)を提示したことで、研究不正のルールをめぐる論点が明確になった。その後、1993 年9 月には、保健福祉省(DHHS)の研究公正局が研究不正の認定手続を明示したり、国立衛生研究所の諮問に対する1999 年の報告書が研究不正調査の実施主体は研究を実施した研究者が所属する各研究機関であることを明確化したことで、研究公正局は研究不正に関する教育・啓発に重点を置くなど、研究不正に関する諸手続が次第に明確化していった。

研究不正のルールをめぐる論点はなにか?…研究不正の対象範囲、認定方法、証明度に対する考え方等とあるが、この内容を理解しないで、今回のSTAP細胞問題を論じても不十分なものになるだろう。

政府機関として「研究公正局」なるものが設置されていることが注目される。

研究公正局(Office of Research Integrity、ORI)とは、研究の公正性、すなわち科学における不正行為が行われていないかどうかなどを監視する、米国の政府系機関である。前身はアメリカ国立衛生研究所(NIH)内に設置されたOSI(Office of Scientific Integrity 科学公正局)およびアメリカ合衆国保健福祉省(HHS)のAssistant Secretary for Healthの下に設置されたOSIR(Office of Scientific Integrity Review)の二つであり、1992年5月に統合されたものである。

ORIは次のような活動を行うことでその責任を果たしている。

・科学における不正行為の探知・捜査および防止のための、方針・手順・規則の開発

・研究助成金を受けている団体、学内研究プログラム、HHSのOffice of Inspector Generalにおける不正行為の捜査についての審査やモニタリング

・Assistant Secretary for Healthに対して、不正発見と管理行為の推奨

等々 (wikipedia)

実際に「捜査」を誰がどのように行うのか、研究公正局との関連が明確になっているのかどうか。

米国においては、1985 年から2000 年頃までが研究不正規律の成立・発展期と位置付けられるだろう。しかし、こうして整備されたルールが存在しても、研究不正の調査には長時間かかるなど問題が顕在化してきた。そこで、連邦全体の研究活動、研究助成に適用される共通の新しい規律が検討されることになった。

1 米国の研究不正に関する連邦規律等の策定過程 (2) 研究不正に関する連邦規律の成熟

連邦全体の研究活動、研究助成に適用される共通の新しい研究不正規律が検討された結果、大統領府の科学技術政策局(OSTP)は1999 年10 月14 日に案を公示し、パブリックコメントの後、2000 年12 月6 日に連邦官報65 FR 76260において、「OSTP 研究不正連邦規律」(以下「OSTP2000 連邦規律」という。)を公示した。OSTP2000 連邦規律は連邦政府における研究不正に関する考え方や各種手続の共通枠組みを示したものであり、これ自体が単体で規律や規則となるものではない。そのため連邦規則集には収録されていない。連邦の関連機関は、OSTP2000 連邦規律に示された内容に沿った形で、それぞれの機関の規律を制定することが求められた。なお、これまで科学詐欺、科学不正などと呼ばれたものを、これ以降は研究不正(research misconduct)と呼ぶことになる。

「OSTP2000 連邦規律」が「研究不正に関する考え方や各種手続の共通枠組みを示したものであり」、「連邦の関連機関は、OSTP2000 連邦規律に示された内容に沿った形で、それぞれの機関の規律を制定することが求められた」ということは、「PHS1989 規則」からの「後退」なのか、それとも、もともと「PHS1989 規則」も、「研究不正に関する考え方や各種手続の共通枠組みを示したもの」に過ぎなかったのか、よくわからない。関連機関が制定する規律は「法令」ではなく、単なる「自主規制」なのか、よくわからない。

2 米国における研究不正の定義

研究不正に関する対応の基本的な手続は、研究不正の告発(allegation)から始まる。告発する者を告発者(complainant)、告発される者を被告発者(respondent)といい、告発が受け付けられると、予備調査(inquiry)、本調査(investigation)を経て研究不正の事実が認定(finding)される。その後行政的措置(懲戒処分、研究費返還等)に関する裁定(adjudication)が下される。これらの認定、裁定には、不服申立て(appeal)も可能である。

OSTP2000 連邦規律は、研究不正規律が対象とし、行政的措置の対象となりうる研究不正の範囲を、捏造、改ざん、盗用に限定している。その定義は、

① 捏造…データや結果をでっち上げて、記録、報告すること

② 改ざん…研究の資料、装置、プロセスに細工をすること、又はデータに変更を加えたり、データを省いたりして、研究が研究記録に正確に記録されないようにすること

③ 盗用…他者のアイディア、プロセス、結果や文書を適切なクレジットを示すことなく流用すること

研究不正は、どの段階を対象にするのか。

研究には、研究の着想を得たり、先行研究の精査により研究計画を明確化するような準備的段階から、研究資金を獲得するために研究計画を提案する「申請」、資金を獲得した後に研究を開始し、実験等により研究を実施する段階、論文、その他の形で研究成果を報告する段階まで多様な段階がある。研究不正はこれらのうちどの段階において適用されるのかも、重要な問題である。そのため、研究不正の定義においては、どの研究段階を対象とするかも明示される。

米国の場合、PHS1986 規律(科学不正取扱規律及び手続)では研究の実施段階と成果の報告段階のみが対象とされたが、PHS1989 規則(研究助成受領機関及び応募機関の科学不正の取扱及び報告に関する責任)では研究資金を獲得するために研究計画を提案する「申請」の段階も対象に含まれた。その結果、研究申請書に

捏造や改ざんにあたる内容が記載されている場合も研究不正として扱われることになる。OSTP2000 連邦規律以降は、さらに「審査」(reviewing)も加わった。

研究不正の対象を「成果の報告段階のみ」に限定することは明らかにおかしい。それ以前の研究不正を放置することは、研究資金公的資金)の不正使用を黙認・放置するということである。今回のSTAP細胞問題で、この議論が出てこないというのはおかしい。米国のルールに何も学んでいないということではないか。

ここで「審査」(reviewing)というのが出てくるが、これは何か?

審査とは、当初は研究申請書の審査を指していたが、後に学術論文の審査(査読)も指すようになった。審査の意味や意図は、OSTP2000 連邦規律では何も説明がない。NSF2002 規則は、研究段階の一つとして「国立科学財団(NSF)に提出された申請書の審査」を明記している(45 CFR §689.1a)。PHS2004 改正案では、公衆衛生庁(PHS)の研究助成の審査員、学術論文の審査員が、審査の過程で知ったアイディアやデータを盗用することを懸念し、規律の対象に「公衆衛生庁(PHS)が支援する資金の利用者又は審査員を含む」と審査員を対象とすることを明記した(69 FR 20780, §93.102)。しかし、審査員も研究資金の利用者であることが多く、審査は研究不正の対象として定義されているので、審査員による審査時の研究不正は規律の対象となることを理由に、PHS2005 規律(42 CFR §93.102)では審査員に関する記載は削除された。一方、学術論文の審査員による審査時のアイディア等の盗用が起こりうることを指摘し、審査に研究申請書の審査に加えて学術論文の審査も含む解釈を示した(70 FR 28370 (2005.5.17), p.28371)。このような経緯から、審査(reviewing)を明記したのは、当初は研究申請書の審査員が盗用することを研究不正として扱うことを意図したものであり、PHS2005 規律の段階で学術論文の審査(査読)も含まれるようになったことが理解できる。

「研究助成の審査員、学術論文の審査員が、審査の過程で知ったアイディアやデータを盗用すること」がありうるとして、その「審査」が研究不正の対象になるというのはどうもよく分からない。

研究不正の定義において、誠実に研究を実施した上での単純な誤り(honest errorデータの解釈などにおける意見の相違を研究不正から除外する条件(誠実性による除外)も一般的である。この規定は、PHS1989 規則以来、踏襲されている。この規定は、後述するように、研究不正の認定の際に研究不正の故意性の証明を要求することになり、研究不正の証明の難しさの原因の一つになっている。

理研の旧規程(科学研究上の不正行為の防止等に関する規定 H24.9.13)によれば、(法と倫理(2)参照)

第2条 この規程において「研究者等」とは、研究所の研究活動に従事する者をいう。

2 この規程において「研究不正」とは、研究者等が研究活動を行う場合における次の各号に掲げる行為をいう。ただし、悪意のない間違い及び意見の相違は含まないものとする。

となっているが、私はこの「意見の相違」というのが何を意味するのかよく分からなかったのだが、「データの解釈などにおける意見の相違」の意味であった。なお理研の現規定や文科省ガイドラインには、この「データの解釈などにおける意見の相違」は、研究不正の定義において出てこない。これは何を意味するのか?

以上を総括して今日の米国における研究不正の定義を表現すると、「研究の申請から研究結果の報告までのすべての研究段階における捏造、改ざん、盗用であり、誠実に研究を実施した上での単純な誤りやデータの解釈などにおける意見の相違は研究不正に含まない」となる。

 

次回は、最も重要な「故意・過失」や「挙証責任」の話である。

 

(続く)