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STAP細胞 法と倫理(19) 研究記録の不存在(不備)は、研究不正の証拠となるのか?

小林論文の検討(4)

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故意(わざとやったんだろう)・過失(うっかりミスです。問題ないと思っていました。)の判定は難しい。簡便で合理的な判定基準はあるのか? 以下は、あまり面白くない検討かもしれないが、ルールはこのような検討を経て決められていく(はずだ)。不正を見逃さず、冤罪をつくらないためのルールはどうあるべきなのか?

 

前回の (3) 証明責任の明確化 の第2の証明責任は「故意性の否定の証明、意見の相違であることの証明の責任は被告発者が負う」というものであったが、これには小林の「注」がある。

この[公衆衛生庁]PHS2004 改正案に対して、すべての証明責任は機関又は保健福祉省(DHHS)が負うべきで、故意性の証明責任又は意見の相違と判断できないことの証明責任も機関又は保健福祉省(DHHS)が負うべきだというコメントが寄せられたことが、連邦官報70 FR 28370(p.28372)に紹介されている。このことは、2004 年前後の米国には、研究不正を疑われた被告発者には証明責任はなく、処分を下そうとする立場の研究機関や行政機関が証明責任を負うとする考え方(刑事訴訟の手続と同じ考え方)に立つ者が少なからず存在した事実を示している被告発者にも証明責任を負わせるという考え方は決して自明ではないのである。

なお、日本の場合は、一般的に民事訴訟でも、原告が「高度な蓋然性」による証明の責任を負う。被告が証明責任を負うのは、無過失責任のような特殊な場合に限られている。このような刑事訴訟、民事訴訟の手続から単純に類推すれば、研究不正に処分を課そうとする原告側の機関に証明責任があると考えることができる。次号下編で述べるように、日本の研究不正規律では、研究不正を推定された被告発者に研究不正でないことの証明責任を負わせ、証明できない場合は研究不正を認定するという考え方を採用しているが、このような考え方は決して自明ではなく、特別に規定されたものと解すべきであろう。

今回のSTAP細胞事案では、小保方が研究不正でないことを証明できなかったので、研究不正と認定されたように感じられた。逆にいうと、調査委員会により「合理的疑いを超える」といった「高度な蓋然性」による証明がなされたのかという疑問が残る。そのような「高度な蓋然性」による証明がなされたのであれば、民事でも刑事でも、小保方を即告発できたのではなかろうか?

 

Ⅱ 米国における研究不正に関する連邦規律の成立とその内容

3 米国における研究不正の認定手続

(4) 故意性の認定と研究記録の不存在

[公衆衛生庁]PHS2004 改正案、PHS2005 規律は、第1 の証明責任の原則「機関又は保健福祉省(DHHS)が研究不正認定における証明責任を負う」に続けて、研究記録の不存在の扱いを明記する。すなわちPHS2004 改正案では「被告発人が研究記録により適切な証拠を示すことができない、又は示すことに失敗した場合は、研究不正の「反証可能な推定」(rebuttable presumption)となる。この推定は機関や保健福祉省(DHHS)が研究不正を証明するために使われる。証拠や研究記録の不存在に関する説明が合理的で信用できるものである場合は、研究不正の推定の反証となる」とした。

(ここに示されている「被告発人が研究記録により適切な証拠を示すことができない、又は示すことに失敗した場合」には、研究記録がそもそも存在していない場合や研究記録が存在しても適切な記録が行われていないために証拠を提示できない場合などがある。以下では、これらを包括的に「研究記録の不存在」と記す。)

即ち、<研究記録の不存在・不提示 → 研究不正>と推定する。但し、不存在・不提示に関する説明が合理的で信用できるものであれば、研究不正の推定の反証となる。被告発者が反証できない限りは、研究不正が認定される。これが「反証可能な推定」の意味である。

この案は、被告発者に対して厳しいルールである。そのため、パブリックコメントでは、あらかじめ研究記録の保存の要求がないのに遡及的にルールを適用することになる、被告発者は研究記録の保存を自分で制御できない、「研究記録の不存在の合理的な説明」とは何かの指針がない、といった疑義が示された。これらを受けて、[公衆衛生庁]PHS2005 規律を制定する際には研究記録の不存在が研究不正の反証可能推定になるという表現は削除されることになった

削除されたということは、<研究記録の不存在・不提示 → 研究不正>と推定しないということである。

しかし、その解説は、研究不正の定義は、研究の実施段階の研究不正も対象としており、成果報告以前の段階で、データや結果を削除することで、研究記録が研究を正確に反映しないことも「改ざん」の定義(研究の資料、装置、プロセスに細工をすること、又はデータに変更を加えたり、データを省いたりして、研究が研究記録に正確に記録されないようにすること)に該当するという理由で、研究記録の不存在は研究不正の認定における「証拠の優越」の証明力を持つ証拠として位置付けられると説明している。(中略)

このように[公衆衛生庁]PHS2005 規律は研究記録の不存在が研究不正の「反証可能な推定」であるという論理は取り下げたが、そもそも研究不正の定義に基づけば、研究記録の不存在は「証拠の優越」の原則で研究不正を証明する証拠となるという考え方を明示した。

「研究記録が研究を正確に反映しないこと」(=研究記録の不存在)は、「(改ざんの定義)研究が研究記録に正確に記録されないようにすること」に該当する。<研究記録の不存在・不提示 → 研究不正>と推定しないが、定義により、<研究記録の不存在・不提示 → 研究不正>であるということか。これでは、パブリックコメントの「研究記録の不存在の合理的な説明とは何かの指針がない」の疑問には答えていないように思えるのだが…。

[公衆衛生庁]PHS2005 規律では「問題となっている研究の証拠を正確に提供するはずの研究記録の破壊、不存在、又は被告発者がそれを提供することに失敗することは、研究不正の証拠である。これらのことは、被告発者が、研究記録を持っていたにもかかわらずそれを意図的、又は故意、又は無謀に破壊したか、研究記録を保存する機会があったのに意図的、又は故意、又は無謀にそうしなかった、あるいは研究記録を保存していても必要な時にそれを提示することに失敗したこと、及び被告発者の行為が関連する研究者コミュニティで受け入れられる行為から著しい逸脱をしていることの証拠となり、機関又は保健福祉省(DHHS)が「証拠の優越」の原則で研究不正を証明する際の証拠となる」とした。

それだけでなく、[公衆衛生庁]PHS2005の規定で「意図的、又は故意、又は無謀に」と表現されたことは、研究記録の不存在が研究不正の故意性を証明する証拠となりうることを意味している。これにより、機関又は保健福祉省(DHHS)は、研究不正の認定における故意性の認定のための有力な手段を獲得したことになる。このことは、被告発者にとっても、研究記録に基づいて研究不正の故意性の否認をすることが有力な証明になることを意味している。その結果、研究不正の認定において研究記録が重要な役割を担うことになる。別の角度から見れば、研究不正の認定は、研究不正の存在そのものの真実性を問う(泥沼の)争いから決別し、適切な研究記録の存在・不存在を巡る形式的な争いの性格を呈することになる。結果として、研究不正の認定は迅速化する可能性が高くなる。

このような研究記録の不存在の扱いを規程上明記したのは[公衆衛生庁]PHS2005 規律が最初である。しかし、研究記録の不存在は、そもそも研究不正における改ざんの定義に含まれているという説明は、[公衆衛生庁]PHS2005 規律の研究不正の定義の基になった[科学技術政策局]OSTP2000 連邦規律やそれに基づく[国立科学財団]NSF2002 規則においても、研究記録の不存在は改ざんそのものであるという論理を適用できることを示している。

研究不正の有無、故意・過失の判断に、形式的=客観的な「研究記録」の存在・不存在を基準として採用することは、「真実性を問う(泥沼の)争い」から決別するための一つの見識であると思う。「研究記録」の証拠価値の議論を深めルール化することが必要である。米国では(日本でも)既に詳細な議論とルール化が完了しているのかもしれないが、小林論文をここまで読んできた限りではよくわからない。

(5) 研究記録の保存期間の考え方と研究不正告発の期限

研究記録が重要な役割を演じることになると、研究記録を永遠に保存することは不可能なので、現実的な問題として、保存義務期間をどう規定するかが問題となる。これは同時に、研究不正の事実を認識して告発するまでの期間の限度(いわば時効)を決めることにもつながる。

これは当然である。米国では6年を原則としている。例外については省略。

4 告発、告発者に対する考え方

[公衆衛生庁]PHS2004 改正案の定義では、「告発とは、研究不正の可能性をあらゆるコミュニケーション手段により開示することである。開示は、機関又は保健福祉省(DHHS)の担当者に対する書面による陳述でも、口頭での陳述でも、あるいは他のコミュニケーション手段でもよい。」とし、また「告発者(Complainant)とは、誠実に研究不正に関する告発をする者」とした。これらは、新しく導入された概念であるが、告発に関しては、誠実に告発することだけが条件として示されており、それ以外の規定はない。(中略)

連邦官報の解説は、告発者に対して過度の責任を負わせることや、条件を付加するのは望ましくなく、予備調査に進むかどうかの判断ができればよいと考えているようである。

特に問題はないと思う。

 

次回は、「日本の研究不正規律の疑問点や問題点」である。

 

(続く)