浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

STAP細胞 より良き未来のために(4) 

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私は、<コミュニティ(共同体)における自由と統制>を本ブログの主要テーマの一つとしています。私がSTAP細胞問題を熱心に取り上げているのは、それが本テーマのケース・スタディになるのではないかと考えているためです。難しいテーマですが、そこは「幼稚園児のブログ」だと割り切っていますので、気楽に書いていきたいと思っています。今回は行政(公権力)と研究機関の自律性の話です。

 

4 研究機関の「自律性」を考える

まず、研究機関(含:大学)は「自律的に」問題を処理すればそれで済む問題なのかどうかを考えてみたい。ここで「自律的」とは、行政の介入がなく、研究機関が独自に問題を処理するという意味である。どこの研究機関でも、不正疑惑を調査し、研究不正が認定されたら、論文取下げの勧告等をし、関係者の処分をする規程になっているはずである。文科省はそのような規程(もちろん不正防止のための諸規定を含め)を整備すべきことを指針として出しているからである。文科省は、これまでは研究不正防止が、「個々の研究者の自己責任のみに委ねられている側面が強かったことを踏まえ、今後は、研究者自身の規律や科学コミュニティの自律を基本としながらも研究機関が責任を持って不正行為の防止に関わることにより、対応の強化を図ること」を基本的な方針としている。

この自律性を研究不正の公表と処置についてみてみる。

調査結果の公表…調査機関は、特定不正行為が行われたとの認定があった場合は、速やかに調査結果を公表する。公表する調査結果の内容(項目等)は、調査機関の定めるところによる

告発者及び被告発者に対する措置…特定不正行為が行われたとの認定があった場合、特定不正行為への関与が認定された者及び関与したとまでは認定されないが、特定不正行為が認定された論文等の内容について責任を負う者として認定された著者(以下「被認定者」という。)の所属する機関は、被認定者に対し、内部規程に基づき適切な処置をとるとともに、特定不正行為と認定された論文等の取下げを勧告するものとする。(文科省ガイドライン 4-3認定)

文科省は、調査機関(=各研究機関)が、「公表する調査結果の内容(項目等)」や「適切な処置」をとることを、規定するようにとの指針を出しているが、「名前を公表せよ」(≒研究者コミュニティから追放せよ)とか「懲戒解雇にせよ」(=研究者コミュニティから追放せよ)とは言ってない。つまり研究不正があっても、「公表内容」や「処置内容」は各研究機関に任せている。形式的には、研究機関の「自律性」を尊重しているようである。

その「適切な処置」について、理研の就業規程は次のように定めている。

第55条(諭旨退職及び懲戒解雇) 定年制職員が次の各号の一に該当するときは、諭旨退職又は懲戒解雇に処する。ただし、情状により前条の懲戒にとどめることがある。

(5) 研究の提案、実行、見直し及び研究結果を報告する場合における不正行為(捏造、改ざん及び盗用)が認定されたとき。

理研以外は、研究不正を行った者を諭旨退職又は懲戒解雇とするような明示的な規定はなさそうである。これまで何度も述べてきたように、理研のこの規定は私刑(リンチ)の規定であると思う。また、このように明示的な規定を設けていない研究機関においても、「その他前各号に準ずる不適切な行為があったとき」のように規定しているので、研究不正を行った者を懲戒解雇することもあり得る。すなわち、研究機関の自律性に任せていては、「量刑」にバラツキが出ることになる。

なお、ちょっと余談であるが、上記第55条(諭旨退職及び懲戒解雇)の第18号は次のように規定されている。

(18) 刑法又は少年法上の犯罪を犯して起訴されたとき(ただし情状の余地があると認められるときは休職させ

ることがある。)、又は起訴される以前であっても犯罪事実が明白で研究所若しくは他人に迷惑、危害等を与えたことが判明したとき

これは驚くべき規定である。「起訴されたとき」というのは、「無実かもしれない」ということであるのに、その時点で「諭旨退職又は懲戒解雇」にするとは…。さらには「起訴される以前であっても犯罪事実が明白で研究所若しくは他人に迷惑、危害等を与えたことが判明したとき」とは、「起訴されなくても、理研が、犯罪事実が明白だと認定する」ということであり、公平な裁判など必要ないと明言している。労働基準監督署は、就業規則を受理するだけで何も読んでいないのだろうか。

 

法と倫理(13)で紹介した小林論文(我々は研究不正を適切に扱っているのだろうか-研究不正規律の反省的検証)は、研究記録保存義務に関してであるが、次のように述べている。

新しいガイドラインは、本来自律的な行動指針として定められるべき研究記録保存義務を、機関の規程に位置付けることを機関に「強く求める」ものだということになる。…これは、研究者コミュニティの自律性へ行政が干渉することを意味する。もちろん…「学問の自由」の原則を単純に適用して、行政による介入を否定することは現実的でない。しかし、学問の自由が憲法で保障されている以上研究者コミュニティの自律性の領分に行政が踏み込むことについては謙虚さが必要である

研究不正の認定(予防)の話をしているときに、なぜ「学問の自由」が出てくるのか、なぜ「研究者コミュニティの自律性の領分に行政が踏み込むこと」になるのか、私には理解できない。研究不正の認定(予防)は、学問の自由(研究の自由:研究内容が公権力によりコントロールされないこと)とは関係のない話だと思う。

小林は「研究者コミュニティ」と言っているが(これが各研究機関のことなのか、各学会のことなのか、日本学術会議のような組織を想定しているのかよくわからないが)、行政(公権力)をなにか敵対的なものと考えているような印象を受ける。確かに「「学問の自由」の原則を単純に適用して、行政による介入を否定することは現実的でない」「~謙虚さが必要である」という言い方をしているのであるが、各研究機関や各学会の自律性を強調することは、研究不正の対応がバラバラになることを結果的に認めることになると思う。さらに言えば、各研究機関で研究する研究者にしてみれば、研究不正のルールを定める者が、研究機関であろうが、学会であろうが、日本学術会議であろうが、行政(文科省)であろうが、同じこと(与えられたもの)であると思われる。

但し、私は行政(文科省)が研究不正のルールを定め、コントロールするのが良いとは考えていない。この点については次回に述べる。

 

公的研究機関に所属する研究員は、何故研究が可能なのか? それは「社会」が認めているからである。「社会」が研究の価値を認め、公的資金を配分しているからである。そうであるならば、公的資金が有効に使われなければならないし、有効に使われていること(不正に使われていないこと)を確認しなければならない。これは行政が研究機関に介入することではない。また研究内容に関しても、研究機関に「研究の自由」を全面的に認めるわけにはいかない。「人体実験」の自由を認められるだろうか。「サリンやVXガス、生物兵器」の研究の自由を認められるだろうか。「遺伝子操作」の自由を認められるだろうか。

 

こう考えれば、行政が研究機関に公的資金が有効に使われていること(不正に使われていないこと)を確認する「義務」があるとさえ言える(会計検査院の検査とは別に、「研究が正しく行われていること」の検査が必要であると考える)。それは研究機関からみれば、研究活動等のアカウンタビリティ(説明責任)を果たすということでもある。それは研究活動が適切に行われている、研究不正はないということのアカウンタビリティであり、そのためのシステムが整備されていなければならない、ということである。

 

(続く)