9.おわりに
STAP細胞論文の理研調査関連経費は、以下の通りであった。(毎日新聞 20153/21)
二つの調査委員会 940万円
保存試料の分析 1410万円
検証実験(実験室整備費など含む) 1560万円
検証実験の立会人旅費 180万円
自己点検検証委員会 80万円
改革委員会 400万円
メンタルケア 200万円
広報経費(記者会見会場費など) 770万円
法律事項など専門家への相談 2820万円
このなかで目を惹くのは、「法律事項など専門家への相談:2820万円」である。内訳はわからないが、主に弁護士費用と思われる。これだけの金をかけてどんな法律相談をしたのだろうか。小保方を訴えられるかどうか、小保方から訴えられたらどうするか、特許の問題などか。…結果、小保方に論文投稿料約60万円を返還するよう求めるだけに終わった。理研がこのような内容で公的資金を使用することに関して、何の論評もないのは不思議なことである。興味本位の事件報道しかしないマスコミにしてみれば、もはやSTAP細胞問題は「過去の事件」だから、報道の価値は無いということだろうか。
刑事告訴もできず、適正な法手続きによらずに「論文不正」で小保方を科学界から追放し、笹井を自殺に追いやったかにみえる事実の真相・深層を解明しようとする声がどこからも聞こえてこない。一部に、理研という組織を問題視する者もいるようだが、それだけで現状が良くなるほど事は単純であるとは思われない。
ここで、デビッド・ボルティモアの科学スキャンダルを紹介しておこう。
1986年、彼はテレザ・イマニシ=カリおよび他4人の共著者とともに免疫学の論文を著した。ところがイマニシ研究室の研究員マーゴット・オトゥール(共著者ではない)がこの論文の実験を再現できず、実験ノートの記録が論文の結果に反すると主張した。彼女は著者たちに再試を要求し、ついにはイマニシがデータをでっち上げたと非難した。ボルティモアは初め追試を拒否したが、後に3人(イマニシともう1人を除く)とともに追試しその結果論文を取り下げた。その後この研究を助成していた国立衛生研究所(NIH)も調査を開始した。さらに下院議員ジョン・ディンゲルもこの問題を取り上げ、シークレット・サービスの専門家が実験ノートを分析するなど国家的な問題に発展したが、ボルティモアはこれを「学問に対する政治の不当介入」と主張した。
彼は1990年7月からロックフェラー大学に勤めていたが、大学当局から圧力をかけられ、1991年12月に辞任した。
この問題はマスコミでも大々的に取り上げられ、事件に関する書籍も、数学者セルジュ・ラング(ボルティモアらに批判的)や、科学史家ダニエル・ケルヴズ(同情的)によるものなど多数出ている。
保健社会福祉省(HHS)の科学公正局(のち研究公正局)は1991年、イマニシをデータの改竄・捏造の疑いで告発し、またボルティモアをも、オトゥールの追及に対応しなかったとして批判した。1994年、研究公正局は不正があったと認定し、イマニシに10年間研究助成しないよう勧告した。
ところが1996年になって、HHSの上訴委員会が再調査の上、「不正の証拠は全くなかった」として、すべての処分を取り消した。(Wikipedia)
私は、小保方がデビッド・ボルティモア/イマニシであると言いたいのではない。こういうこともあるということを知っておくべきである。
私にとっては、STAP細胞問題は「遠くの戦争」であった。言い残したことはいろいろあるが、これで一旦スイッチを切ることにしよう。
最後に一言。冷静な頭脳と温かい心(マーシャル)。
(終り)