浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

異様な光景

先日、とある居酒屋で飲んでいたときのこと、そこは女子会も可能なわりと落ち着いた雰囲気の店であったが、そこで異様な光景を目にした。

斜め向かいに女子4人のグループがいたのだが、実に静かに4人とも「携帯」を操作しているのであった! そのあまりの異様さに、しばらく様子をみていたのだが、ときおり食事のため手をとめたり、二言三言会話をかわしたりするとき以外は、「携帯」をいじっている。一体どういうグループなのだろうか?

週末なのにデートする相手もいなく、かといって一人でいるのはあまりに寂しく、たいして親しくもない友人と集まってみたものの、話がはずむこともなく、誰かとつながるわけでもない「携帯」をいじるしかない、のだろうか。

しばらくして男女ふたりのカップルが入ってきて、私たちの横のテーブルに座ったのだが、料理の注文が終わった後、二人とも「携帯」をいじりはじめた! 料理が来て話し始めたので、他人事ながら一安心といったところだが、それでもしばしば携帯に手がいく。携帯と会話が半々といった感じだった。それにしても、二人が別々に携帯を操作しているときは、別々の世界にいるわけであり、デートしているとは思われない。目の前に相手の顔がありながら、異なる世界を見ている。

昔は「たばこ」があった。会話が途切れれば、たばこをふかしていれば良かった。全く違うことを考えていても、共通空間を偽装していればよかった。しかし、いまはどこも禁煙だし、「健全な」若者たちは、たばこを吸わない。「健全な」若者たちは、たばこの代わりに「携帯」を吸う。しかし残念なことに、携帯では共通空間を偽装することはできない。

私たちは、「携帯」で、だれと、どこに、つながろうとしているのだろうか?