浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

「見たくない現実を無視する」のは、病気であるか?(3)

ラマチャンドラン,ブレイクスリー『脳のなかの幽霊』(10)

タイトルの「見たくない現実を無視する」のは、病気であるか? に対する私見を最後のほうで少し述べます。

ラマチャンドランはフロイト心理的防衛について、次のように言っている。

フロイトの最も価値ある業績は、意識のある心が単なるうわべであり、人は脳の中で実際に起きていることの90%にまったく気づいていないという発見である。また心理的防衛に関しては、フロイトはまさに真実を突いていた。…心理的防衛が精神生活を整えるうえできわめて重要な役割を果たすことを指摘したのは、間違いなくフロイトの功績である。だが残念なことに、彼が心理的防衛機制を説明するために組立てた理論体系は、不明瞭で検証不能だ。あいまいな専門用語にあまりにも頼りすぎているし、人間の状況を説明するのに性の問題を重視しすぎた。そのうえ自説を立証するための実験をまったく行わなかった。

しかし否認の患者を見ていると、心理的防衛があらわれるのをじかに目撃し、現行犯でつかまえることができる。…患者のなかに、(フロイトが記述した自己欺瞞の)顕著で明確な実例を見ることができる。私はこのリストを見て初めて、心理的防衛というものが本当に存在して、それが人間性のなかで中心的な役割を果たしていることを確信した。

ラマチャンドランは、実験で得た自己欺瞞(心理的防衛)の実例をあげている。

否認…「腕はちゃんと動いています」「左手は動かせますよ――麻痺などしていません」

抑圧…患者は何度も聞くと、実は麻痺していると認めることが時々あるが、すぐにまた否認する。ほんの数分前にした告白の記憶を「抑圧」するらしい。

反動形成…これは自分自身について本当はこうではないかと疑っていることの反対を主張する傾向である。ドッズ夫人は、靴のひもを結んだかどうかを聞かれて「両手で結びました」と答えた。

合理化…「手を動かすのはやめておきます。肩に関節炎があって痛いんです」「医学生たちが一日中なにかとうるさいんです。いま手を動かすような気分になれません」「左手で先生の鼻にさわっています」「ええもちろん、手をたたいていますよ」

ユーモア…不安そうな笑い。緊張をほぐすためのユーモア。死や性に関するジョーク。人間の状況の不条理に対する効果的な解毒剤。「(英文学教授の)シンクレアさん、左手で私の鼻をさわれますか?」「はい」「では、やってみてください。どうぞ、手を伸ばしてさわってください」「私は人から指示されるのに慣れていないんですよ、先生」

投影…病気や障害にむきあうのを避けたいときに私たちが使う方策の一つで、都合よく誰かほかの人のせいにする。「この麻痺した手は兄の手です。私の手がまったく問題ないのは自分でよくわかっていますから」

このような患者の実例をみて、ラマチャンドランはこう述べている。

ここにフロイトのいう防衛機制とまったく同じタイプの防衛機制をする患者たちがいる。そしてそれらの防衛機制は私たちがみな、日常生活で行っているものだ。私はこの患者たちが、フロイトの説を初めて科学的に検証するという素晴らしい機会を提供してくれることに思いあたった。この患者たちはあなたや私の縮図であり、しかもその防衛機制が圧縮されたタイムスケールで起こり、10倍も増幅されているという点で都合がいい。…たとえば、ある状況でどの防衛を使うかを何が決定しているのか。…機制はどんな「法則」をもっているのだろうか。これまで小説家や哲学者の領分だった分野にわれわれ科学者が食い込んでいけると考えるとわくわくする。

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この患者たちはあなたや私の縮図である。まさしく、その通り。私たちは、左半身が麻痺している。そんな現実は受け入れたくない。そんな見たくない現実とは何か。それは、格差(不平等)、貧困、国家(民族、宗教)対立、殺戮兵器増強、公害(環境汚染)等々である。もっと身近な問題で言えば、就職できない、派遣やパートの仕事しかない、正社員になれない、給料が安い、リストラされそうだ、セクハラ・パワハラにあっている、恋人がいない、結婚できない、仕事がうまくいかない、子どもができない、イジメにあっている、病気になった、倒産しそうだ、親が認知症になった、世間並み以上の生活をしていると思うが、何か空しく生きがいがない、……。きりがないので止めるが、どれ一つとっても当事者にとっては深刻な問題である。希望をもって頑張れば、いずれ良くなると信じて頑張ってきたが、いっこうに良くならない。1つの成功例の影には、100の失敗例があるということが真実らしい。こうなれば、見たくない現実を無視する(現実逃避する)しかない。

あなたや私は、左半身が麻痺していることに気づいている。見たくない現実を無視している(現実逃避している)ことにも気づいている。では何故、現実を直視して、リハビリ*1に取り組めないのか?…それはいまここで答えられない。このブログを書き続け、考え続けなければ答えは得られない。どこかの誰かが見事な答えを持っているのかもしれないが、そうであれば既に現実はもっと良くなっているのだろうとも思う。

当面の結論は、「見たくない現実を無視するのは、病気である」と認識することである。しかし、科学的真理のような、万人が納得するような治療法は未だ見つかっていないということである。だから、病気であるとわかっていても、いますぐ治療にとりかかれない。

 

*1:自己欺瞞(心理的防衛)は、リハビリではない。私は、宗教は一種の心理的防衛だろうと考えている。もしそうでなければ、政治的行為をしていることになろう。