ゴーキー(1904-1948)について、藤枝晃雄は次のように述べている。
ウッチェロ、アングル、ピカソ、ミロ、カンディンスキー、ロベルト・マッタらの影響を受け、作風を転々と変えていったが、30年代の終わりになって自己の方向をみいだす。アメリカの大自然とアルメニアの記憶とを重ね合わせたバイオモーフィック(生形態学的)なイメージを、巧みな線描力によって表し布置する絵画に到達し、ブルトンの称賛を得た。(日本大百科全書)
大岡は次のように述べている。
一人の画家がいる。彼は故国を遠く離れている。たとえばアーシャル・ゴーキー。彼はコーカサス南方の高原地帯アルメニアの農民の生まれだった。第一次大戦勃発当時起こった、トルコ人によるアルメニア人への迫害をのがれ、一家は故郷を捨てた。16歳のゴーキーは、妹と2人ですでに渡米していた父の後を追って移民船に乗った。
花咲く水車小屋の水(1944)
http://www.metmuseum.org/toah/images/h2/h2_56.205.1.jpg
Untitled
http://uploads1.wikiart.org/images/arshile-gorky/untitled.jpg
ゴーキーの絵を眺めていると、彼のこういう出身がおのずと思い浮かぶ。これは決して都会人の描いた絵ではない。自然への郷愁をさそう甘美な情緒、古風で素朴な土の雰囲気。どこからか悲哀を帯びた民謡の調べが聞こえてきそうな地方色、風土性。彼がいかにピカソやミロの影響を受けていようと、そこには紛れもない故郷の牧歌的自然の記憶がある。ゴーキーの絵は、彼の夢の結晶であり、その夢は、文明ではなく自然の方へ、そしてまた、記憶の中でますます神秘的に複合され、暗く輝きはじめたアルメニアの思い出の方へ向かっていた。
この記憶の合成装置こそ、ゴーキーにおける「無意識」の宝庫だったとはいえないだろうか。それを通すと、米国ヴァージニア州の草や根や虫など、ゴーキーが目前にしていた風景は、つねに不思議な二重性を帯びた形態となった。多義的な流動性を持った暗号的な形態となった。
ゴーキーの絵より、大岡の風土に関する文章が気に入った。
私はゴーキーの絵に共鳴しないが、それは恐らく故郷を追われたことがないからだろう。私は故郷を離れて生き、今後帰ることもなかろうが、それでも故郷はある。ゴーキーには帰ることのできる故郷はない。…政治的に、経済的に、そしてまた自然災害の結果として、故郷を喪失する。その人たちの思いは、私には想像はできても、共感することはできない。しかし、故郷喪失者には、故郷喪失者の描く絵に共鳴するものがあるのだろう。…大岡のような詩人であれば、故郷喪失の有無にかかわらず、その鋭い感性で絵を感じ取ることができるのかもしれない。