2015年9月9日、経団連は「国立大学改革に関する考え方」と題する声明を発表し、産業界は「即戦力を有する人材」ではなく、その対極にある人材を求めているとした。声明内容は、
- 人文社会科学を含む幅広い教育の重要性
- 学長のリーダーシップによる主体的な大学改革の実現
- 産学連携による人材の育成
の3項目であるが、第1項目は、次のような内容である。
国立大学法人の第3期中期目標・中期計画に関し、6月8日付で発出された国立大学法人に対する文部科学大臣通知では、教員養成系学部・大学院や人文社会科学系学部・大学院について「組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努める」としている。これを巡って、様々な議論が行なわれている。その中で、今回の通知は即戦力を有する人材を求める産業界の意向を受けたものであるとの見方があるが、産業界の求める人材像は、その対極にある。
かねてより経団連は、数次にわたる提言において、理系・文系を問わず、基礎的な体力、公徳心に加え、幅広い教養、課題発見・解決力、外国語によるコミュニケーション能力、自らの考えや意見を論理的に発信する力などは欠くことができないと訴えている。これらを初等中等教育段階でしっかり身につけた上で、大学・大学院では、学生がそれぞれ志す専門分野の知識を修得するとともに、留学をはじめとする様々な体験活動を通じて、文化や社会の多様性を理解することが重要である。
また、地球的規模の課題を分野横断型の発想で解決できる人材が求められていることから、理工系専攻であっても、人文社会科学を含む幅広い分野の科目を学ぶことや、人文社会科学系専攻であっても、先端技術に深い関心を持ち、理数系の基礎的知識を身につけることも必要である。
経団連(一般社団法人日本経済団体連合会)とはどういう組織であるか確認しておこう。
2002年5月28日、経済団体連合会(以下「経団連」。1946年8月16日発足)が日本経営者団体連盟(以下「日経連」。1948年4月12日発足)を統合して、発足した総合経済団体。「企業の価値創造力強化、日本と世界の経済の発展の促進」を目的としている。経営者の意見の取りまとめ、政治・行政・労働組合・市民などとの対話、会員企業への憲章遵守の働きかけ、各国政府・経済団体や国際機関との対話をしている。日本経済の有力企業が多く加盟しているため、その利害が社会問題に対する見解や主張に反映されている。「経団連成長戦略」などの経済発展、企業利益増加を図る政策の提言を行っていて、自由民主党や民主党に政治献金を行い、政界・経済界に大きな影響力を持った組織と言われている。
もともと、経団連は日本の経済政策に対する財界からの提言及び発言力の確保を目的として結成された組織であり、日経連は労働問題を大企業経営者の立場から議論・提言する目的で結成された組織であって健全な労使関係を哲学としていた。加盟企業のほとんどが両者で重複しており、日経連は労使間の対立の収束とともに役割を終えつつあるとの理由から統合された。(wikipedia)
大企業経営者の団体であると思ってほぼ間違いない。そのような団体がこのような声明を発表することを意外と思う人がいるかもしれないが、決してそんなことはない。また中小企業経営者でも同じである。「即戦力」を求める経営者などどこにもいない。実務を経験したことのない学生に、「即戦力」として期待することなどありえない。
この経団連の声明や提言については、今後検討する機会もあるかと思うが、今回は、経団連の各種提言の目次をパラパラと見ていて気になった項目があったのでそれについて触れることにしよう。
それは、2013年6月の「世界を舞台に活躍できる人づくりのために」-グローバル人材の育成に向けたフォローアップ提言-の Ⅱ(グローバル人材育成に向けて各教育段階で求められる取り組み)
の2項目である。まず後者を簡単にみておこう。(今回の記事のメーンは前者である)
グローバルに活躍する人材には、専門分野に関する知識や外国文化・社会等に関する知識だけでなく、多様な分野の教養を身につけておく必要がある。例えば、学部教育において、文科系の学生は、数学や自然科学の基礎を、また理工系の学生は人文・社会科学等の基礎の学習を通じて、物事を考察する際の基礎となる論理的思考力や、幅広い視野を身につけさせることが重要である。またイノベーションを担う高度理工系を中心とした博士人材が、専門分野のみに偏った人材にならないよう、「リーディング大学院」などの取り組みを通じて、高度な専門性と複合領域にまたがる幅広い知識を備え、異なる分野の知識を総合して、イノベーションによる新たな付加価値を創造できる人材を育成していくことも重要である。
至極まっとうな意見である。では、文科省は産業界の意向を無視した政策を進めようとしているのか。この検討はここでは行わない。
前者の国際バカロレア(IB)に関しては、次のように述べている。(注)
語学力のみでなく、コミュニケーション能力や異文化を受容する力、論理的思考力、課題発見力などが身に着くIBディプロマ課程(16~19 歳対象)は、グローバル人材を育成する上で有効な手段の一つである。
文部科学省は、IB認定校を現在の16 校から5年以内に200 校まで増やす方針を打ち出しているが、国内におけるIB課程への認知度はまだまだ低く、政府や地方自治体はIB課程の周知・普及に努め、目標達成に向けて一層、努力すべきである。
ディプロマ取得者に対する社会における適切な評価も重要であり、大学入試における活用や、企業も採用時や人材活用において適切に評価することなどが重要である。
(注)バカロレア(baccalauréat)は、フランスにおける後期中等教育の修了資格および大学入学資格のこと。バカロレアを確立したのはナポレオン・ボナパルトである。ちなみにバカロレアの語源は「月桂樹の実」を意味するラテン語のbaccalauriである。なお、国際バカロレアとは異なる。(http://kwww3.koshigaya.bunkyo.ac.jp/wiki/index.php/%E3%83%90%E3%82%AB%E3%83%AD%E3%83%AC%E3%82%A2)
なお、ディプロマとは、卒業証書、資格免状のこと。
もう少し詳しくみてみよう。
「国際バカロレア」は、「世界共通の大学入試資格とそれにつながる小・中・高校生の教育プログラム」のことです。英語では、「International Baccalaureate」(インターナショナル・バカロレア)と書き、「IB」(アイ・ビー)と略して呼びます。日本国内では「国際バカロレア」と言ったり、「IB」と言ったりします。
教育プログラムは年齢に応じて3つに分かれています。
(1) PYP (Primary Years Programme:初等教育プログラム) 3歳~12歳
(2) MYP (Middle Years Programme:中等教育プログラム) 11歳~16歳
(3) DP (Diploma Programme:ディプロマ資格プログラム) 16歳~19歳
IBOのホームページの「ミッション・ステートメント」にはこのように書いてあります。
- 多文化に対する理解と尊敬を通じて、平和でより良い世界の実現のために貢献する、探究心、知識、そして思いやりのある若者の育成を目的としています。
- 世界中の児童・生徒に対し、他の人たちをその違いと共に理解し、自分と異なる人々にもそれぞれ理があり得ることが分かる、行動的で、共感する心を持つ生涯学習者となるよう働きかけています。
これだけを読んでも、目指す教育が日本の通常の学校と違うことが分かるでしょう。
すべてのIBプログラムは、人類共通の人間らしさと地球を共同で守る心を知り、平和でより良い世界を築くために貢献する、国際的な視野を持つ人間の育成を目指しています。
そして、目指す学習者像として、次の10項目を提示しています。「探究する人」「心を開く人」「知識のある人」「思いやりのある人」「考える人」「挑戦する人」「コミュニケーションができる人」「バランスのとれた人」「信念のある人」「振り返りができる人」。(松原和之 http://www.core-net.net/g-edu/issue/1/)
IB学習者像
すべてのIBプログラムは、国際的な視野をもつ人間の育成を目指しています。人類に共通する人間らしさと地球を共に守る責任を認識し、より良い、より平和な世界を築くことに貢献する人間を育てます。
IBの学習者として、私たちは次の目標に向かって努力します。
探究する人(Inquirers)
私たちは、好奇心を育み、探究し研究するスキルを身につけます。ひとりで学んだり、他の人々と共に学んだりします。熱意をもって学び、学ぶ喜びを生涯を通じてもち続けます。
知識のある人(Knowledgeable)
私たちは、概念的な理解を深めて活用し、幅広い分野の知識を探究します。地域社会やグローバル社会における重要な課題や考えに取り組みます。
考える人(Thinkers)
私たちは、複雑な問題を分析し、責任ある行動をとるために、批判的かつ創造的に考えるスキルを活用します。率先して理性的で倫理的な判断を下します。
コミュニケーションができる人(Communicators)
私たちは、複数の言語やさまざまな方法を用いて、自信をもって創造的に自分自身を表現します。他の人々や他の集団のものの見方に注意深く耳を傾け、効果的に協力し合います。
信念を持つ人(Principled)
私たちは、誠実かつ正直に、公正な考えと強い正義感をもって行動します。そして、あらゆる人々がもつ尊厳と権利を尊重して行動します。私たちは、自分自身の行動とそれに伴う結果に責任をもちます。
心を開く人(Open-minded)
私たちは、自己の文化と個人的な経験の真価を正しく受け止めると同時に、他の人々の価値観や伝統の真価もまた正しく受け止めます。多様な視点を求め、価値を見いだし、その経験を糧に成長しようと努めます。
思いやりのある人(Caring)
私たちは、思いやりと共感、そして尊重の精神を示します。人の役に立ち、他の人々の生活や私たちを取り巻く世界を良くするために行動します。
挑戦する人(Risk-takers)
私たちは、不確実な事態に対し、熟慮と決断力をもって向き合います。ひとりで、または協力して新しい考えや方法を探究します。挑戦と変化に機知に富んだ方法で快活に取り組みます。
バランスのとれた人(Balanced)
私たちは、自分自身や他の人々の幸福にとって、私たちの生を構成する知性、身体、心のバランスをとることが大切だと理解しています。また、私たちが他の人々や、私たちが住むこの世界と相互に依存していることを認識しています。
振り返りができる人(Reflective)
私たちは、世界について、そして自分の考えや経験について、深く考察します。自分自身の学びと成長を促すため、自分の長所と短所を理解するよう努めます。
この「IBの学習者像」は、IBワールドスクール(IB認定校)が価値を置く人間性を 10 の人物像として表しています。こうした人物像は、個人や集団が地域社会や国、そしてグローバルなコミュニティーの責任ある一員となることに資すると私たちは信じています。
http://www.mext.go.jp/a_menu/kokusai/ib/__icsFiles/afieldfile/2015/02/09/1353422_01.pdf
どうだろう。この記事をここまで読んでこられたあなたは、この10項目のいくつに○をつけられますか?
このインターナショナル・バカロレア(教育プログラム)は、3歳~19歳を対象にしています。いまの日本の高校生は、この10項目のいくつに○をつけられだろうか? あなたは、日本の小・中・高校生教育が現状のままで良いと思いますか?
さて、上述の(3) DP (Diploma Programme:ディプロマ資格プログラム)であるが、
DPは16歳~19歳までを対象としており、所定のカリキュラムを2年間履修し、最終試験を経て所定の成績を収めると、国際的に認められる大学入学資格(国際バカロレア資格)が取得可能なプログラムである。
DPのカリキュラムは、以下の6つのグループ(教科)及び「コア」と呼ばれる3つの必修要件から構成される。生徒は、6つのグループから各教科ずつ選択し、6科目を2年間で学習する。
グループ名
科目例
1 言語と文学(母国語)
言語A:文学、言語A:言語と文化、文学と演劇
2 言語習得(外国語)
言語B、初級語学
3 個人と社会
ビジネス、経済、地理、歴史、情報テクノロジーとグローバル社会、哲学、心理学等
4 理科
生物、化学、デザインテクノロジー、物理、コンピューター科学、環境システム
5 数学
数学スタディーズ、数学SL、数学HL
6 芸術
音楽、美術、ダンス、フィルム、演劇
さらに、カリキュラムの中核となる核(「コア」)として、以下の3つの必修要件を並行して履修する。
課題論文(EE:Extended Essay)
履修科目に関連した研究分野について個人研究に取り組み、研究成果を4,000語(日本語の場合は8,000字)の論文にまとめる。
知の理論(TOK:Theory of Knowledge)
「知識の本質」について考え、「知識に関する主張」を分析し、知識の構築に関する問いを探求する。批判的思考を培い、生徒が自分なりのものの見方や、他人との違いを自覚できるよう促す。最低100時間の学習。
創造性・活動・奉仕(CAS:Creativity/Action/Service)
創造的思考を伴う芸術などの活動、身体的活動、無報酬で自発的な交流活動といった体験的な学習に取り組む。最低150時間の学習。
国際的に認められる大学入学資格(国際バカロレア資格)を取得するためには、DPのカリキュラムを履修し、所定の成績を収めなければならない。そして、国際的に認められる大学に入学して卒業しなければ、産業界の求めるグローバル人材にはなりえない、というわけである。
なお、文科省のHPには、次のように書かれている。
国際バカロレア日本アドバイザリー委員会では、「日本再興戦略 -JAPAN is BACK-」(平成25年6月14日閣議決定)において2018年までに国際バカロレア(DP)認定校等を200校に大幅に増加させる目標が掲げられたことを踏まえ、日本における国際バカロレアの導入拡大に向けた課題とその対応策について提言を行うため平成25年7月に発足し、翌平成26年4月に報告書を取りまとめた。現在、文部科学省及び国際バカロレア機構等において、報告書に沿って必要な取組が進められている。
IB学習者像は、理想的な人間であるように思われる。文科省がこれに関わっていることは興味深い。今後、日本の教育はどうなっていくのか?
建前でなく、現実に、誰が、「グローバルなコミュニティーの責任ある一員」となりうるのか?