今回のテーマは、「かさねの色目」の一種である「雪の下」「氷重」「枯野」ですが、その前に「色目」についてふれておきましょう。
色目(いろめ)というと、「色目を使う」を連想される方が多いかと思いますが、それだけではありません。デジタル大辞泉によると、
- 色合い。色調。
- 思いが表れている顔色・動作。そぶり。
- 異性の気を引くような目つき。流し目。秋波。
- 衣服・調度などの色合いの名。
というような意味があります。
まず、②の意味から。「思いが表れている顔色・動作」に、なぜ「色」「目」という漢字が使われているのでしょうか。私の解釈は、次の通りです。…仏教における色(しき)は、認識の対象となる物質的現象の総称で、特に眼識の対象とされています(wikipedia)。認識対象:色、眼識:目です。対象を見ることが、色目です。そこには主観が入ってきます。「思い」が表れるのです。次の写真を見てみましょう。
http://moncler-jackets.typepad.com/.a/6a015434ac777e970c016763431a77970b-pi
彼女は、何か(誰か)を見ています。ある「思い」を持って、何か(誰か)を見る目は、上記の意味で「色目」です。
では、次の写真はどうでしょうか。
http://www.officiallyjd.com/wp-content/uploads/2011/07/20110724_sashihara_04.jpg
勿論これも「色目」ですが、こちらのほうは、「男」を見る目の感じがしませんか(カメラマンが意図的にこういうポーズを取らせているわけですが…。この写真はまだ距離を感じさせます)。③の意味に近づいています。
次に「かさねの色目」ですが(上記の④)、3つの意味があるとされています。(→有職の「かさね色目」参照)
- 表裏のかさね色目(合わせ色目)(重色目)
- 重ね着のかさね色目(襲色目)
- 織物のかさね色目(織り色目)
「重」も「襲」も、「かさね」と読みます。「織り色目」は、経糸(たていと)緯糸(よこいと)に違う色を使うことで複雑な色合いを作り出します。
上記サイトでは、「合わせ色目」として、春の色:26種、夏の色:18種、秋の色:29種、冬の色:7種、四季通用の色:15種が紹介されています。
冬の色とし、虫青(むしあお)、枯色(かれいろ)、苔(こけ)、氷(こおり)、氷重(こおりがさね)、雪の下(ゆきのした)、椿(つばき)があります。(色見本と配色サイトには、枯色ではなく、枯野(かれの)というのがあります)。今回は、雪の下、氷重、枯野を取り上げことにします。
雪の下(ゆきのした) <表:白、裏:紅梅>
当時の絹は非常に薄く裏地の色が表によく透けるため、独特の美しい色調が現れるとのことです(wikipedia)。
「透けて、裏が見える」というのは、非常に面白いですね。それは「裏を、なにげなく見せる」ことにつながります。「合わせ技」になります。透過度をどれ位にするか。すべて同一の透過度にする必要はなく、どの部分をどれ位にするか、腕の見せ所でしょう。しかし、透けて見える裏が「本質」というわけでもないですね。逆転させてみたらどうなるでしょうか。
高部遵子は、雪の下を次のように紹介しています。
まだ雪をかぶった梅の木も、その白い雪の下には、春を知らせる紅の花が出番を待っている、そんな感慨の色合わせだろうか。心の中にほのかな華やぎが生まれたような色合いだ。梅は「百花の魁(さきがけ)」といわれるように、まだ寒気漂う中、すべての花に先がけて開花し、春を告げる。そういえば、「春告草」(はるつげぐさ)も、梅の別名だ。万葉集には桜よりも梅の歌が断然多く読まれており、昔、花見といえば梅を愛でることだった。かさねの色目にも、梅にちなんだものは多い。
http://homepage2.nifty.com/AkiTakabe/ikebana/kasane/No.01.pdf
ブログ backroad man 2 より
氷重(こおりがさね) <表:鳥子色、裏:白>
冬に、水の上に表れる氷を表します。鳥子色はごく淡い灰味の黄の色で、本来は雁皮紙(がんぴし)を指します。その色目が鶏の卵の色に似ているところから鳥の子と呼ばれています
雁皮紙(鳥子紙)について
越前鳥子紙とは、古くは正倉院文書天平18年(746年)の「経疏(きょうしょ)料紙受納帳」にも見られる、斐紙(雁皮原料)を原型とする、わが国を代表とする滑らかで堅く、耐久性のある強靭な美しい紙の事です。 上層階級での写経料紙[経典を書き写す用紙]にはじまり、永久保存を期待する書籍、公文書用紙などとして重用されてきました。 中世から近世にかけての産地は越前と摂津の名塩で、今日では越前今立町に受け継がれています。
「鳥子」という紙名については、「下学集」下巻に、「紙色 鳥の卵の如し、ゆえに鳥子というなり」と説明されており、フランスではその光沢が真珠を思わせることから「パピエ・ナクレ」と呼ばれ、詩文集の愛蔵版などに用いられています。
http://haibara-shop.jp/?pid=1372884
https://www.pref.fukui.lg.jp/doc/kouho/graph/200910_d/fil/012.pdf
鳥子紙の原料となる雁皮(がんぴ、ジンチョウゲ科の落葉低木)の枝先と幹
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/1586/ganpi2629.jpg
この越前鳥子紙が、レンブラント(1606-1669、オランダの画家)の版画「病人たちを癒すキリスト」に使われていたようです。(17世紀のオランダは、東インド会社がアジアでの植民地支配と交易を拡大しており、日本からも長崎を通じて和紙を輸入していた)
http://www.huffingtonpost.jp/2014/04/17/rembrandt-echizen-washi_n_5164904.html
大岡信ことば館で、和紙を使った作品の展覧会が開催されています。
同館で、特別展示されている橿尾正次(かしお まさじ)の「一本の赤い線」という作品
http://washiken.sakura.ne.jp/blog/page/3/
枯野(かれの) <表:中黄、裏:淡青>
最初これを見たとき、この配色でなぜ「枯野」なのだろうかと疑問に思い、枯野の写真を探してみました。
私の枯野のイメージと上の「かさね色目」がなるべくマッチするようなものとして、次の2点がありました。
http://mumon-endainikki.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/post_8e11.html
枯野といっても、まったく緑がなくなるわけではないですね。
阿蘇の情景 by二子石真一 http://asogasuki.exblog.jp/12470238/
日本画に、児玉希望(こだまきぼう・1898~1971)の「枯野」という作品があります。
http://livedoor.blogimg.jp/otakarajoho/imgs/d/3/d3b20466.jpg
枯野見というのがあるそうです。「月見」や「雪見」は知っていたが、「枯野見」と言うのは知らなかった。枯れた野原を見て何が面白いのだろうと思うのは、風雅な遊び方をしらないからでしょうか。
デザイナーの堀畑裕之が素晴らしいエッセイを書いています(一部引用しますが、できれば全文読んでみて下さい)
先日、熊本県の阿蘇に枯野を見に行った。なだらかな丘陵が見渡す限り枯れススキにおおわれて、圧倒的な美しさだった。風が吹くと、ススキの穂は見えない大きな手でなでられたように遠くの尾根まで揺れていく。頭上は雲一つない青空で、時々渡り鳥やトンビが地上に影を落として飛び去る。僕らはおにぎりをひろげて、誰もいない世界を楽しんだ。
それだけでも十分美しいのだが、実はもっとぜいたくな遊び方がある。それはこの冬枯れの景色に、通りすぎた季節とこれから再び訪れる季節を想像することだ。春には柔らかい下草が萌え、夏の新緑に輝く木々と遠い積乱雲を思い、吾亦紅(われもこう)やオミナエシ、野菊が揺れる秋の花野を目の前の枯れた景色に読み込んでいく。そう、枯れているからこそすべての季節を自然に重ね合わせることができるのだ。
彼(matohu)の作品で、「枯野」のイメージに近いかなと思われるものをあげておきましょう。
http://www.fashion-press.net/collections/gallery/10240/181076