ラマチャンドラン,ブレイクスリー『脳のなかの幽霊』(17)
前回、ラマチャンドランの「なぜ男性はブロンドを好むのか?」という論文を紹介した。どういう内容だったかと言うと、(ラマチャンドラン自身これを要約している)
男性がブロンドを好むのは、生殖能力や子どもの生存能力を低下させる寄生虫感染や老化の初期徴候を見つけやすいからであり、また性的関心や貞節の指標となる顔の紅潮や瞳孔の大きさを見つけやすいからである。
もちろん彼はまじめに主張しているのではない。
私がこの馬鹿馬鹿しい話をでっちあげたのは、人間の配偶者選択に関するその場かぎりの社会生物学的な理論――進化心理学の大黒柱――に対する風刺としてである。この話は10に1つの可能性もないと思っているが、それでも最近流行っている人間の求愛に関する数多くの説と同程度の見込みはある。
ラマチャンドランは、この「皮肉まじりの論文」をある医学雑誌に提出したら直ちに受理されたという。
もっと驚いたのは同僚の多くが、この論文のおかしさを理解できなかったことだ。彼らはこれを、まったく妥当な議論だと受取り、ひやかしだと思わなかったのである。
なぜ同僚の多くは「皮肉まじりの論文」と理解できなかったのか。それは「進化心理学」の理論に毒されてきたからではないか。「進化論」の話はいずれということで、ここではごく簡単に見ておこう。
冒頭の要約の文章を読めば、いかにも「こじつけ」という感じがする。しかし、これを真面目な顔つきをして説明されると、「自然選択説」(生物の生存競争において、少しでも有利な形質をもつものが生存して子孫を残し、適しないものは滅びること-デジタル大辞泉)を知っている者には、そして「進化心理学」の話を聞いたことがある者には、あまり抵抗感なく受け入れられるのかもしれない。
進化心理学とは、
人間の心的活動の基盤が、その生物学的進化の過程で形成されてきたとする心理学の一分野。人類学・社会生物学・認知科学など多くの領域にまたがる学問分野。(デジタル大辞泉)
ラマチャンドランは、「進化心理学」をこう説明している。
進化心理学は、自然選択によって特異的につくられた特殊化したモジュール(精神器官)が、人間の行動の顕著な局面の多くを成立させているという考え方を中心教義としている。
どういうことかと言うと、
更新世[約258万年前から約1万年前までの期間]の私たちの祖先が小さな集団でサバンナを走り回っている頃、その脳は彼らの日常の問題を解決するように進化した。近縁者を認識する、健康な性的パートナーを探し求める、悪臭のする食べ物を避けるといった問題である。
例えば進化心理学者は、糞便に対する嫌悪は(両親から教えられるよりもずっと前に)恐らく脳の中に組み込まれていると論じる。糞便は病原菌や寄生虫や寄生虫の卵を持っている可能性があるので、古代の人類のなかで「糞便を嫌う」遺伝子を持った者が生き延びてその遺伝子を伝え、持たない者は消えた(糞のご馳走にたまらずひきつけられる食糞性コガネムシとはちがって)。
ここで「納豆」の話をしたいところであるが、それはいずれ。
ここは、「糞便を嫌う」遺伝子を持った者が生き延びてその遺伝子を伝え、持たない者は消えた、というこの説明に「はあ?」と思うか思わないかである。この説明に納得してしまうのが「進化心理学」を信奉する者ではないかと思われる。(論文を書いているわけではないので、ここで註釈を入れることはしない)
https://www.circl.jp/2015/09/06/4057/
私はここで、昔読んだドーキンスの『利己的な遺伝子』のことを思い出した。いまでは「つまらない本だった」位のことしか思いださないので、例によってコトバンクの解説を引用しよう。
利己的な遺伝子英国の生物学者R=ドーキンスが、C=ダーウィンの進化論における自然選択を、個体ではなく遺伝子の視点から捉えなおすことを強調するために用いた比喩的表現。不妊の働きバチの利他的行動が、個体の生存ではなく、自分の遺伝子に近い子孫を女王バチが残すことに有利にはたらくことなどがあげられる。社会性昆虫をはじめ、一見、個体の利益に直接寄与しないと思える利他的な行動がしばしば見られるが、それらは遺伝子の利己性に基づく行動とみなすことで理解できると主張した。(デジタル大辞泉)
「生物の個体は遺伝子の乗り物に過ぎない」というキャッチコピーで、この本は結構売れたらしいが、私は「遺伝子」を中心に、「進化」「生物」「生命」を論ずることに、非常な違和感を持った。「胡散臭い本だ」というのが印象だった。
ラマチャンドランがここで「進化心理学」を紹介しているのは、こういう胡散臭さをもってのことだろうと思う。彼はこう言っている。
進化心理学では、他のどんな学問分野よりも、事実とフィクションの区別があいまいになりやすく、「進化心理学的な」説明のほとんどが検証不可能であることが問題をいっそう悪化させている。実験をして証明をする、あるいは反証をするというわけにはいかないものがほとんどなのだ。提唱されている説の中には、私たちが繁殖力のある相手を識別するための遺伝的に規定されたメカニズムを持っているという説や、つわりは胎児を食物中の毒素から守るためにあるという説など、独創的なものもある。
ラマチャンドランがなぜ、「なぜ男性はブロンドを好むのか?」という論文を書いたかというと、
私はある日の午後、ちょっとした気まぐれから、進化心理学の分野にいる同僚をからかうために証明を一つ書いた。まったく独断的でその場限りの検証不可能な進化的説明を手品のようにとりだすことで、大半の人が「文化的」起源を持つとみなすであろう人間の行動をどこまで説明できるかを示したかったのである。