小保方晴子の手記「あの日」に対して、関係者が沈黙を守り、これを無視している(2016/2/20現在)ことは、「人としての誠実さ」が欠けていると思う。
とりわけ、小保方が研究不正を働いたと断罪した人は、(小保方が実際に研究不正を働いたか否かに関わらず)この手記に「応答」しなければならないと考える。
決着済みの案件に、なぜ意見を言ったり、反論する必要があるのか、ということだろうが、それが傲岸不遜(ごうがんふそん)な態度であることを自覚すべきである。
辛坊治郎(
STAP細胞 小保方晴子の手記「あの日」出版に関して(4) 過ちては改むるに憚ること勿れ - 気の向くままに
)やミヤネ屋の話(特に、最後の部分)を聞いてみよう。
これが世間一般の素直な反応だと思う。これを無視することがどういうことなのか、想像力がはたらかないのだろうか。
しかし私は、手記に「反論」すべきだとは思わない。私は先に「応答」すべきだと言った。反論と応答とは異なるのである。
反論とは「対立関係」を前提している。反論は、相手の主張が誤りであり、自説が正しいことを主張する。その反論が、小保方の不正の認定の正しさや、STAP細胞はES細胞であるであるという証明の正しさを繰り返したところで何になろう。そんな反論は誰も聞きたいとは思わない。
応答とは、そのようなものではない。私の考える応答とは、次のようなものである。
である。
ここで私がイメージしているのは、
法システムの構造と機能(4) 裁判官は「将来にわたる利害関係の調整」ができない - 気の向くままに
で紹介した裁判外紛争処理(ADR)である。
既存のルールに縛られていては、STAP細胞問題(事件)が提起した諸問題の解決は望みえないだろう。
関係者は、「人として誠実に」この問題に向き合って欲しいと思う。
冷静な頭脳と温かい心(Cool Head,but Warm Heart.)──アルフレッド・マーシャル
http://ja.wahooart.com/Art.nsf/O/9CW5XQ/$File/William+Rothenstein-Professor+Alfred+Marshall.JPG
経済学者ケインズの師であるマーシャルは、ロンドンの貧民街にケンブリッジの学生たちを連れて行き、こう言った。
「経済学を学ぶには、理論的に物事を解明する冷静な頭脳を必要とする一方、階級社会の底辺に位置する人々の生活を何とかしたいという温かい心が必要だ。」
学問を究めるにしても、仕事を極めるにしても、冷静な頭脳は欠かせない。
しかしそれ以上に必要なものが、人間性である。
特に人々を牽引するような立場の人間には、より一層の常識、正義感、道徳、そして暖かい心が備わっていなければならない。