浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

ユーモア(笑い)の説明

ラマチャンドラン,ブレイクスリー『脳のなかの幽霊』(19)

ラマチャンドランは、次のような笑いの例を挙げている。

私は友人の家に滞在している。…夜も深まりうとうとしかけたときに階下でドンという物音がする。「たぶん風だろう」と私は思う。数分するとまたドシンという音がする。さっきよりも大きい。私はまた「合理的な説明」をして、もう一度眠る。20分後に「バーン」というものすごい音が響き渡って、ベッドから飛び出す。どうしたんだ? 泥棒か? 辺縁系が活性化し、私は「順応させられて」懐中電灯を握って階段を駆け下りる。…私は、床に大きな花瓶が粉々に飛び散り、そばに大きなトラ猫がいるのに気づく――明らかにこれが犯人だ! 私は笑い出す。自分が検出した「異常」とそれに続くパラダイムシフトが些細な結末に帰するとわかったからだ。すべての事実が、いまとなっては不穏な泥棒説ではなく、ネコ説の見地で説明できる。

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なぜ笑いが起こるのか?

惑わしの予測の道に沿って行くと、最後にどんでん返しがあり、同じ事実が根本的に解釈しなおされる。しかも新解釈がおそろしい結果ではなく些細な結果であるとき、笑いが起こる。しかしなぜ笑いなのか。なぜ、この爆発的な反復性の音なのか。…行動学者の見地にたてば、型にはまった発声はほぼいつも、生物が社会集団の他のメンバーに何かを伝えようとしていることを意味する。…私の意見は、笑いは主として、個人が社会集団の他のメンバー(通常は近縁者)に、検出された異常は些細なことなので心配はいらないと合図するためにあるのではないかというものだ。笑っている人は、事実上、警報のまちがいを発見したことを発表しているのであり、君たちは偽の脅威に反応して貴重なエネルギーや資源を浪費する必要はないよと告げているのだ。

もちろん、この「まちがい警報説」ですべての笑いが説明できるわけではない。

このモデルは笑いの進化的起源の説明にはなるが、現代人のすべてのユーモアの働きのすべてを説明することはできない。しかし、いったんメカニズムができると、他の目的に容易に利用できたであろう。(これは進化にはよくあることだ。鳥の羽はもともと断熱のためだったが、後に飛ぶことに適応した。) 事象を新しい情報に照らして再解釈する能力は、世代を通して磨かれて、人びとがもっと大きな考えや概念を遊び半分に並置するのを、すなわち創造的になることを、促進してきたのではないだろうか。なじみのある考えを斬新な見地から見るこの能力(ユーモアの本質的要素の一つ)は、保守的な考え方の対する解毒剤になり、創造性の触媒になるだろう。笑いやユーモアは創造性のリハーサルなのかもしれない。

ユーモアを「事象を新しい情報に照らして再解釈する能力」あるいは「なじみのある考えを斬新な見地から見る能力」とする捉え方は興味深い。まじめな論文を読んでいて、このような能力が示される文章に出会うと(なかには珍説・奇説とよぶべきものもある)「おもしろい」と思う。その「おもしろさ」は、創造性につながる。なるほど。

以上のような意見はユーモアの論理構成を説明する役には立つが、ユーモアそのものが心理的防衛機制の一つとしてときどき使われる理由の説明にはならない。例えば死やセックスなど、潜在的に不穏な題材を扱っているジョークが不釣り合いに多いのは偶然だろうか? ジョークは、不穏な異常をどうでもいいことのようなふりをして、些細なものにしてしまおうという試みではないだろうか。つまり、自分のまちがい警報メカニズムを作動させることで、不安から気をそらすのである。こうして社会集団の他のメンバーを落ち着かせるために進化した特性が、やがて内在化されて、ストレスの大きい状況に対処するようになり、いわゆる不安げな笑いとして出現するようになったと考えられる。このように「不安げな笑い」という謎めいた現象でさえ、ここで考察した進化的な考えに照らせば、理解できるようになる。

別に可笑しくもないのに笑いながら、仕事の話をする人がいる。あれはストレスに対処するための「不安げな笑い」なのだろうか。

笑いの根底にどんな神経機構があるのか。…疼痛象徴不能と呼ばれる神経障害があり、これが手がかりを提供してくれる。この状態の患者は、鋭い針で故意に指を突かれても、痛がらない。…刺されているのではなく、くすぐられているかのように、くすくすと笑いだす人が多いのだ。…このシンドロームは、頭頂葉と側頭葉のあいだの溝の奥に埋め込まれた「島」と呼ばれる皮質組織に損傷があるときにしばしば見られる。島が皮膚や体内の器官から痛みを含む感覚入力を受け、辺縁系の部位(帯状回)に出力を送ると、人は痛みの強い嫌悪の反応を体験する。さて損傷のために島と帯状回との連絡が失われたらどうなるだろうか。患者の脳のある部位(島)は「痛くて脅威になりそうなものがあるぞ」と告げるが、一瞬後にもう一つの部位(辺縁系の帯状回)が「心配はいらない。結局のところ脅威は全くない」と言う。したがって2つの主要素――脅威とそれに続く一気のしぼみ――が存在するので、パラドックスを解消するには患者は笑うしかない

この神経機構の説明はよくわからない。笑いによって、なぜパラドックスが解消されるのだろうか。

 

ウルトラ・ダーウィニストたちは、明らかに学習されたものを除くほぼすべての徳性が自然選択の特異的な産物であるという見解を固守している。…彼らは、環境的・社会的拘束を調べることで、人間のさまざまな精神特性を原則として逆行分析できると考えている。

逆行分析とは、何かの働きを理解するには、それがどんな環境的課題に対して進化したかを問うと、いちばんよく理解できるという考えである。そして逆向きに、その課題の妥当と思われる解決策を検討する。これは、当然のことかもしれないが、エンジニアやコンピュータ・プログラマーの間で広く行われている。

 逆行分析(リバースエンジニアリング)は、エンジニアやコンピュータ・プログラマーの間で広く行われているそうだが、どういうものなのか、そしてウルトラ・ダーウィニズムとどういう関係にあるのかについて、次回に少し考えてみよう(私は、ウルトラ・ダーウィニズムは何か胡散臭く感じているので、リバースエンジニアリングも胡散臭いものなのか ??)