浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

人間の設計図

ラマチャンドラン,ブレイクスリー『脳のなかの幽霊』(20)

前回、進化論(ウルトラ・ダーウィニスト)に関連して、逆行分析(リバースエンジニアリング)という言葉が出てきた。リバースエンジニアリングとはどういうものか。

リバースエンジニアリングとは、ソフトウェアやハードウェアなどを分解、あるいは解析し、その仕組みや仕様、目的、構成部品、要素技術などを明らかにすること。…企業が他社製品の互換製品を作るために行うことが多い。…企業の製品は特許や著作権が含まれているものが多いので、解析結果を利用する際には知的所有権を侵害しないよう細心の注意を払う必要がある。一般にはあまり良いイメージがないが、仕様書と実装の食い違いを指摘したり、セキュリティホールやバグの発見につながるなど、システム保守やセキュリティ強化の面で役立つこともある。(e-Words

肯定面もあるのだろうが、やはりイメージは良くない。ここでは技術的・経済的・法的側面の話ではなく、「出来あがったものから、元(設計、意図、目的)を探る」という意味に理解しておこう。

 

ラマチャンドランは、中耳にある3つの骨(ツチ、キヌタ、アブミ)を例に取っている。

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音は耳介から入ってきて外耳道を通り、鼓膜からツチ骨、キヌタ骨、アブミ骨という小さい3つの骨を伝わりながら増幅されます。そして、内耳の蝸牛(かぎゅう)に伝わり、音の高低や強弱を分析します。その後さらに聴神経から大脳に伝わり、大脳で「音」として認識されます。

http://www.widexjp.co.jp/hearing/mechanism/ear-mechanism.html

 

ラマチャンドランは、次のように述べている。

これらの骨は、現在は音を聞くために使われているが、そのうちの2つ(ツチとキヌタ)は、私たちの祖先の爬虫類ではもともと下顎骨の一部として、ものを噛むのに使われていた。爬虫類は大きな獲物をのみこむために、複数の構成要素と蝶番を持つ柔軟性のある顎が必要だったが、哺乳類は単一の硬い骨(歯骨)で木の実を砕いたり穀類のような硬い食べ物を噛むことを選んだ。そこで爬虫類が哺乳類に進化したとき、顎骨のうちの2つが中耳のなかに組み込まれ、音を増幅するのに使われるようになった。これは場当たり的で奇異な解決策なので、比較解剖学に詳しいか中間型の化石を発見するのでない限り、その生物の機能上の必要性を検討するだけでは決して推論できないだろう。ウルトラ・ダーウィニストの見解とは違って、逆行分析がつねにうまくいくわけではない。これは神がエンジニアではないという単純な理由による――神はハッカーなのである。

「神はエンジニアではない」というのは、人間の耳(音の増幅器官)を設計するのに、ツチ骨、キヌタ骨、アブミ骨なる部品を用意しなかった、ということだろう。また「神はハッカーである」というのは、余剰品として、ツチ骨、キヌタ骨があったので、巧妙に音の増幅器官の改良に使用した、ということだろう。(たぶん)

これでは、リバースエンジニアリングはうまくいかない(元(設計、意図、目的)を推定することはできない)。

 

この話が、微笑み(笑い、ユーモア)などの人間の特性に、どういう関係にあるのか。

すべて関係する。もし微笑みに関する私の議論が正しければ、たとえ自然選択を通して進化したとしても、微笑みの特徴がすべて現在の必要に適応しているわけではないということになる。つまり微笑みは特殊な形を取るが、それは自然選択だけのせいではなく、正反対の威嚇のしかめ面(!)から進化してきたからなのだ。これを逆行分析で推論するためには(あるいは、適応度を通してとってきた軌跡を導き出すためには)犬歯の存在を知り、人間以外の霊長類が見せかけの威嚇として犬歯をむき出すことや、その見せかけの威嚇が本当の威嚇のディスプレイから進化したことを知っていなければならない。(大きな犬歯は本当に危険である)

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http://lalalive2.cocolog-nifty.com/blog/j_16/

 

人が微笑みかけるとき、実は犬歯をちらつかせてなかば威嚇しているのだという事実に、私は大きな皮肉を感じる。ダーウィンは『人間の由来』の最後の章で、私たちも類人猿のような祖先から進化してきたのではないかと故意にほのめかした。イギリスの政治家ベンジャミン・ディズレーリはこれに激怒して、オックスフォードで開かれたある会合で「人間は野獣なのか。それとも天使なのか」という名高い修辞的な疑問を投げかけた。答えは自分の妻が微笑みかけたとき犬歯を見ればわかったはずだ。そうすればこの単純な、友好をあらわす人類普遍のしぐさのなかに、私たちの野蛮な過去のぞっとするような名残に気づいただろう。ダーウィン自身が『人間の由来』で結論しているとおりなのだ。

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微笑みのかげに威嚇が隠されているとすれば(従順であれば微笑み、反抗の姿勢が見えれば威嚇に変化する)、八重歯も恐い。権力者の微笑みには、野蛮が見え隠れする。

  

「しかし私たちがここで問題にしているのは、希望や恐れではなく、真実のみである。私たちは人間が高貴な資質をもち、もっとも劣ったものに同情を感じ、他の人間だけでなく下等な生き物にまで慈悲の心をもち、太陽系の動きや構成まで見通す神のような知性を多くの高尚な力とともに備えていても、その体の構造に、下等な起源を示す、消すことのできない刻印があることを認めなくてはならない。」

ダーウィンはこう言っている。確かにそうかもしれないが、私はこの言い方は逆転しなければならないのではないかと思う。すなわち、私たちは未だ野蛮な原始的な刻印を克服できていないのであるが、それでも「高貴な資質をもち、もっとも劣ったものに同情を感じ、他の人間だけでなく原始的な生き物にまで慈悲の心をもち、太陽系の動きや構成まで見通す神のような知性を備えること」を希求したい、と言うべきだろう。