岡田暁生『音楽の聴き方』(9)
音楽における言語ないし建築性とはどういうものか。それを理解するには、音楽のロジックのパターンを知ることが近道であるという。
音楽のセンテンス(例えばメロディ)が、どういう論法でもって互いに関連づけられ、大きな建物へと組み上げられているか。それについて意識的になれば、随分音楽の聴き方が変わると思うのだ。
概して音楽構成は、同質のものの反復変奏から出来ているほど、その理解が用意である。「愛してるよ、好きだよ、世界一好きだよ」云々――こんな風に同じ言葉/内容/情緒を微妙に色を変えつつ反芻するタイプである。BGMとして作られている音楽は総じてこの範疇に属するが、変奏曲も基本的にこの原理に基づいている。あるいはルネサンスの宗教合唱曲(ジョスカン・デ・プレやパレストリーナの作品)なども、等質な情緒を反復維持する音楽として聴くことが可能だろう。耳元をさらさらと流れていく心地よいサウンドを、ほとんど聴き手が気づかない程わずかずつ変化させながら、無限に繰り返そうとするミニマル・ミュージックも同様である。
ジョスカン・デ・プレのアヴェ・マリアを聴いてみよう。
Josquin des Prez, Ave Maria (virgo serena, motet)
ここでクラシックとは離れるかもしれないが、ミニマル・ミュージックについてみておこう。
柿沼敏江は、次のように説明している。
音素材をミニマル(最小、極小)に切り詰めて扱う音楽、とくに1960年代から1970年代のアメリカの長い持続音や反復による音楽をさす。1970年代に美術用語の「ミニマル・アート」が現代音楽に転用されてからこの名が定着した。しばしば反復を執拗に繰り返すため「反復音楽」ともよばれる。一般的にはラ・モンテ・ヤング(La Monte Young、1935-)、テリー・ライリー(Terry Riley、1935-)、スティーヴ・ライヒ(Steve Reich、1936-)、フィリップ・グラス(Philip Glass、1937-)とその周辺のアメリカ人作曲家の一群による音楽のことをさすが、オランダのルイ・アンドリーセン(Louis Andriessen、1939-)、エストニアのアルヴォ・ペルト(Arvo Pärt、1935-)など一部のヨーロッパの作曲家も「ミニマル」と形容されることがある。 長いドローン(持続低音)、規則的なパルス、短い音型などシンプルな素材、調性的、旋法的な要素を用いるのが特徴で、そこにはインドやアフリカなどの民族音楽やジャズの影響も認められる。ミニマル音楽は新しいタイプの調性音楽であり、その意味では無調の前衛音楽に対するアンチテーゼということもできる。単純な形態、音の静的な配列、漸次的な変化に基づく音楽であり、クライマックスや終結のないエンドレスな感覚をもたらす構成をとることが多い。劇的な要素を避けたクールな表現スタイルは、音そのものを感覚的にとらえ、プロセスを体験するという新しい聴取のあり方をもたらした。
1970年代後半以降は、個々の作曲家が多彩な表現形態をとるようになっており、単にミニマルとして括ることはできなくなっている。また、ジョン・アダムズ以降の若い世代の作曲家は、反復的なスタイルのなかに多様な要素や伝統的な語法を持ち込んでおり、こうした方向は「ポスト・ミニマル」とよばれている。(日本大百科全書)
日本人では、近藤譲、坂本龍一、久石譲、平石博一が、ミニマル・ミュージックの作曲家とされている。(wikipedia)
同質なものの反復と変化は、生命の基底に通じる。
私はこれから、いろいろなミニマル・ミュージックを聴いていこうと思っているが、数曲聴いた中では、ライヒの Six Marimbas が、印象に残った。
frisky radioの曲は、クールだ。
Dreamers - Fernando Ferreyra - February 2016 (Frisky)