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手続的正義(2) 立法と行政と裁判

平野・亀本・服部『法哲学』(16) 

今回は、「法における手続的正義」の話であるが、話がやや抽象的なので、何を問題にしているのかをよく把握したい。

まずは、本書第2章「法システム」において、法システムの重要な構成要素として、「法的活動」(広義の法的機関の活動)が挙げられていたことを思い起こそう。

ここで法的活動として挙げられるのは、決定と理由づけである。広義の法的機関は、種々のタイプの決定に向けての準備を行い、実際に決定を下し、決定を理由づける。立法機関が法を制定し、裁判所が判決を下し、行政機関が行政決定など様々な決定を下すというのが、その主要な例である。

ここで「決定」という言葉の意味が、(立法機関の)法の制定、(裁判所の)判決、(行政機関の)行政決定の意味で使われている。

 

亀本は、「法における手続的正義」について、次のように述べている。

法は、決定の権限を分散すると同時に組織化したシステムである。従って、第1に、決定の権限と手続の問題、つまり誰が何に関してどこまで権限を持ち、その権限はどのような手続に則って行使されるべきかという問題、第2に、決定の正統性と事案に対する適合性という問題、がシステムの編成にとって決定的に重要となる。実質問題についてしばしば異論が生じるのは確かであるが、現代法は人々の行動を調整し、紛争を解決または予防するために、実質問題を様々なレベルに分けて取り扱う。

ここでの「決定」は、(立法機関の)法の制定、(裁判所の)判決、(行政機関の)行政決定の意味であると理解したい。「決定の権限を分散する」というのは、「立法機関が法を制定し、裁判所が判決を下し、行政機関が行政決定など様々な決定を下す」という意味だろう。そしてそれが法システムとして構成される。そこで重要なことは、立法機関・裁判所・行政機関が、それぞれどのような権限を持ち、その権限がどのように行使されるべきかの問題(決定の権限と手続の問題)と、決定の正統性と事案に対する適合性という問題であるというのである。各機関相互の機能分担や各機関内部の責任と権限に基づく業務遂行手順も念頭にあるのかもしれない。

 

法は、人びとの行動を調整し、紛争を解決または予防するために、実質問題をさまざまなレベルに分けて取り扱う。出発点にくるのは、私人または私人間の行為であろう。そこでは、一定の手続的要請が満たされているかどうかという観点から、当事者の交渉のみによって事件が解決されることもあろう。その手続き的要請は、立法に直接由来する場合もあるし、立法に授権された行政機関が発する場合もあろう。その場合、手続きの内容だけでなく、立法と行政の機能的役割分担とその正統性も問題となろう。こうした問題が司法にもたらされた場合、裁判所は、手続的制約の枠内で、みずからの資源及び能力と正統性の範囲内で適切な決定を下さなければならない。

この文章を理解するために、行政立法について知っておこう。

行政立法とは、行政機関による規範の定立、または、それによって定立された規範それ自体を意味する。行政立法は、その内容(性質)によって、法規命令と、行政規則とに分類される。法規命令とは、行政機関が定める法規のことである。ここにいう法規とは、国民の権利義務に関する規範を意味する。日本においては、唯一の立法機関である国会のみが、法規を定立することができると解されているため、法律の委任(法律による授権)がある場合に限って、法規命令は合憲であるとされる。法規命令は、政令、内閣府令、省令などの形式をとることが多い行政規則は、行政立法のうち、法規の性質を持たないもののことをいい、行政命令あるいは行政規程とも呼ばれる。法規の性質を持たないため、法律の委任は不要である。形式も、内規、要綱、通達によるのが通例である。…法規命令と行政規則との区別は、相対的なものである、との指摘もある。…法令解釈の基準を通達という形式で定立することがしばしば行われるが(通達行政)、訓令に従って行政作用が行われても、そのことは当該行政作用が適法であることを保障するものではない。(Wikipedia)

なぜ、行政立法が必要とされるか。

行政立法が必要とされる理由として、対象の専門化、状況変化への柔軟性、中立性確保が、挙げられる。

第一に、規範の定立(特に法規)を全て議会に委ねることになると、詳細で、専門技術的事項についてまで、議会で審議すべきことになるが、これは困難・非効率である。第二に、議会による立法では、状況変化に即応して規範を改正することが困難である。第三に、政治的に中立な立場にある行政機関が規範を定立することが合理的と考えられる場合もある(人事院規則など)、また、地方の事情を考慮した対応をするためには、その実情に明るい行政機関に規範を定立させることが合理的であると考えられる場合もある。(Wikipedia)

民主主義を考えるにあたって、ここは重要なところなので、もう少しみておこう。

行政立法…行政機関が定める一般的性質を持った法的規律をいう。憲法または法律を実施するための行政立法を執行命令といい,法律の委任に基づいて制定される場合を委任命令という。行政立法をどのような範囲で許容するかは,三権分立の具体的形態に関する憲法上の判断にかかっている。一般に近代的市民階級の力が脆弱で,封建的諸勢力がなお強力である場合には,国民主権主義の思想は国家機構のあり方に十分反映されず,市民階級の代表者を含む議会(立法府)の地位は相対的に低く,封建的諸傾向をもった勢力が実質的に行政権を掌握し,広範な行政立法権を行使することがある。(世界大百科事典

「規範の定立が全て議会に委ねられるものではない」こと、それは「対象の専門化、状況変化への柔軟性、中立性確保」のためであること、をしっかりと押さえておかねばならない。(「封建的諸傾向をもった勢力」が、現代では形を変えて行政権を掌握しているのではないか、との検討が必要かもしれない)

亀本が言う「立法と行政の機能的役割分担」を、行政立法の現実を頭において理解しなければならない。立法と行政の機能的役割分担に問題はないのか。

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裁判における手続きについてみてみよう。

裁判における手続きの実体的内容としては、両方の側の意見を十分聞くこと、自分が利害関係を持つ事件の裁判官となってはならないことなどが古くから、手続的正義の観点から要請されてきた。そうした手続を満たしていない決定は不正義であると同時に違法であるとする限りでは、社会的正義論における手続的正義の考え方と基本的に同一である。

これは分るが、次の文章が難しい。

だが裁判の場面に限っても、法における手続的正義の運用が難しいのは、裁判所は、当該事件に関与した人または機関の機能分担のあり方を、その適合性と正統性を考慮しながら検討した上で、実体的ルールと手続的ルールの双方を解釈・運用しつつ、当該事件にみずから決定を下さなければならないからである。そこでは、行政や司法による裁量が問題になるが、それが正統性の観点からだけでなく、事案への適合性と、各機関が有する資源・能力との観点からも問われるがゆえに、それに答えることは容易ではない。にもかかわらず、事件に直面する人または機関は、ともかくも決定を下さなくてはならないのである。

亀本は何を想定して「裁判所は、当該事件に関与した人または機関の機能分担のあり方を、その適合性と正統性を考慮しながら検討した上で、実体的ルールと手続的ルールの双方を解釈・運用しつつ、当該事件にみずから決定を下さなければならない」と言っているのか分らない。「法における手続的正義の運用が難しい」ことの説明をしているようだが、何を言っているのか分らない。立法/行政/司法にとって「法における手続的正義の運用が難しい」と言うのか、行政/司法の裁量が(官僚や裁判官の能力がなくて)難しいと言っているのか、よく分らない。

 

このように、法における手続的正義の実際の運用は相当に複雑であり、従うべき手続があらかじめ存在し、それに従った結論は正義に適っているといった単純な考え方ではやっていけない。私人を含め、権限を分散された各機関が、自らの能力と正統性の範囲で、事案にふさわしい解決を追求しなければならない。そこでは、手続的正義という考え方がそれだけで、決定内容の正当性の基準を与えるわけではないが、法を道徳のように、行為と実体的ルールという単純な枠組みで捉えることはできないことを明らかにする点で、法における手続的正義の考え方は極めて重要な現代的意義を持つ。

「このように、法における手続的正義の実際の運用は相当に複雑であり…」と言うが、どのように複雑なのか、よく分らない。…手続的正義と実体的正義との関連性が、ここでの論点ではなかったのかと思うが、そのような説明はなかったようだ。

私の誤解、理解力不足であれば、後日訂正します。