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水俣病(9) 国・県の責任と義務 なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ?

2016年5月1日、水俣病の公式確認(1956年5月1日)から60年を経過したが、問題は解決していない。畠山武道「水俣病事件と国・県の責任」*1は、こう述べている。

問題解決の兆しはいっこうに見えない。なぜ、問題解決がかくも長引いたのか。その原因、背景、責任の所在を明確にすることが出来なければ、再び同じような悲劇が生じる可能性がある。

事件の原因・背景・責任の所在が解明されず、うやむやのうちに終結してしまう(終結したことにされる)ことがままある。そんななかで、水俣病事件はよく問題として持続してきていると思う。

 

2004年最高裁判決は、昭和34(1959)年12月末には通産省(当時)が、チッソに対して施設の使用の一時停止その他の必要な措置を取るよう命ずることが可能であり、「水俣病による健康被害の深刻さにかんがみると、直ちにこの権限を行使すべき状況にあった。……ところが実際には、その行使がされなかったために、被害が拡大する結果となったことも明らかである」と指摘し、国・県の対応を厳しく批判した。しかし、2004年最高裁判決は、(当然のことながら)損害賠償を命じるために必要な範囲で、国・県の組織的な過失を認めたものであり、個々人の具体的な行動や責任には触れておらず、国・県が権限を行使しなかった理由も明らかにしていない

当時の関係当事者、その者が所属した組織の行動内容、その動機、行動を促した要因などを明らかにし、問題点、責任の所在などを明確にすることが必要であるしかし、そのような作業は、一部の研究者やジャーナリストによる個人的著作を除き、まったくなされていない

通産省(担当者及び組織)は、なぜ権限を行使しなかったのか? 

 

(橋本道夫編集『水俣病の悲劇を繰り返さないために-水俣病の経験から学ぶもの』によれば)もっとも必要と思われる通産省の関与、あるいは政府の積極的不関与の具体的な検討は、関係者がインタビューなどに応じなかったためになされていない「何が間違っていたのか、なぜ間違ったのかをあらゆる視点から検証してこそ本当の反省になる」のであり、「あのときは仕方なかった」というような弁明から何らかの教訓を引き出すことが難しいことは明らかである。

表面的な、おざなりの理由を挙げて事足れりとするようでは、決して再発防止にはならない。「なぜ?」と問うこと。私がよくわからないのは、「なぜ、「なぜ?」と問わないのか?」ということである。(補足すれば、「なぜ、枝葉末節の部分に「なぜ?」と問うのか?」というのもある)。

法的な義務がなければ、関係者が応答しないというのでは、「再発防止」に貢献することがない。それでは、組織ひいては社会の責任ある一員であるということはできないと思うが、なぜ、応答しないのだろうか?

 

環境省は、2004年最高裁判決を受けて設置された「水俣病に係る懇談会」が提言書に認定基準の見直しを記載しようとしたところ、強く抵抗し、その記述を提言書から削除した。さらに、2004年最高裁判決を恣意的に解釈し、平成21(2009)年には「水俣病被害者の救済及び水俣病問題の解決に関する特別措置法」(特措法)の制定にこぎつけることで、強引に政治的解決を図ってしまった。

ここに認定基準とは、環境庁企画調整局環境保健部長が、各関係都道府県知事・政令市長宛に発した「後天性水俣病の判断条件について(通知)」(昭和52(1977)年7月1日)なる通知のことであり、昭和52年判断条件と呼ばれる。この通知の主たる部分は、以下のように、複数の症状の組み合わせが認められなければ、水俣病と認定しないというものである。(これは「有機水銀の影響が否定できない場合は認定」とした昭和46(1971)年判断条件を厳しくしたものである)。

水俣病であることを判断するに当たつては、…次の(1)に掲げる曝露歴を有する者であつて、次の(2)に掲げる症候の組合せのあるものについては、通常、その者の症候は、水俣病の範囲に含めて考えられるものであること。

(1) 魚介類に蓄積された有機水銀に対する曝露歴

なお、認定申請者の有機水銀に対する曝露状況を判断するに当たっては、次のアからエまでの事項に留意すること。

ア 体内の有機水銀濃度(汚染当時の頭髪、血液、尿、臍帯などにおける濃度)

有機水銀に汚染された魚介類の摂取状況(魚介類の種類、量、摂取時期など)

ウ 既往歴、家族歴及び職業歴

エ 発病の時期及び経過

(2) 次のいずれかに該当する症候の組合せ

ア 感覚障害があり、かつ、運動失調が認められること。

イ 感覚障害があり、運動失調が疑われ、かつ、平衡機能障害あるいは両側性の求心性視野狭窄が認められること。

ウ 感覚障害があり、両側性の求心性視野狭窄が認められ、かつ、中枢性障害を示す他の眼科又は耳鼻科の症候が認められること。

エ 感覚障害があり、運動失調が疑われ、かつ、その他の症候の組合せがあることから、有機水銀の影響によるものと判断される場合であること。

 

平成25(2013)年、最高裁は、認定制度の見直しを迫る判決をくだした。熊本日日新聞は、次のように報じている。

公害健康被害補償法(公健法)に基づく水俣病の患者認定で熊本県の訴えを退けた4月16日の最高裁判決は、複数症状の組み合わせを原則とする国の認定基準に対し、手足先の感覚障害だけでも患者認定できると判断。長年、司法の場で争われてきた認定基準の妥当性をめぐる議論に一定の結論を示した。判決を受け、被害者側は現行の認定基準の見直しを国に要求。しかし国は見直しに否定的で、被害者らからの批判が高まっている

最高裁判決は、認定基準について「多くの申請に迅速かつ適切な判断を行うため」との限度で合理性を認めたが、症状の組み合わせがない場合も関係証拠を総合的に検討した上で、個別具体的な判断で水俣病と認定する余地はある」と判示。知事の患者認定については「個々の病状の医学的判断のみならず、原因物質の暴露歴や疫学的な知見や調査結果を十分考慮した上で総合的に行われる必要がある」と指摘した。

判決から2日後。環境省の南川秀樹事務次官は「判決で認定基準は否定されていない」と見直しを否定。過去の認定審査会の運用も「専門家の高度な学識と豊富な経験に基づき適切に行われてきたと認識している」と強調した。

基準の見直しを避けつつ、運用の具体化で対応する-。そんな国と熊本県の姿勢に、被害者側からは批判が相次ぐ。最高裁判決の原告で、熊本県控訴取り下げで認定された大阪府の女性の弁護団は「判決に従わないと明言したに等しく、被害者の公平な救済に反する」と抗議した。

行政の足並みもそろっていない。新潟県泉田裕彦知事は運用の改善ではなく、過去の救済策を包括した認定制度の枠組みの抜本的な見直しを国に要望。「何もせず司法に任せる形が続けば、解決をまた10年遅らせる」と訴えている。

http://kumanichi.com/feature/minamata/owatteinai_tokushu/owatteinai_tokushu_02.xhtml

 

富樫貞夫・熊本大名誉教授(環境法)は、次のように述べている。

行政は、公害健康被害補償法に基づく水俣病の認定とは何か、という大前提の捉え方を誤っている。判決は「症状とメチル水銀の影響との間に因果関係があれば水俣病」との法解釈を示した。「認定は医学的判断」としてきた行政の主張を、「客観的事実の確認」と言い換えて否定している。

にもかかわらず、行政は、複数症状の組み合わせを基本要件とする現行の認定基準は否定されていないという医学的判断の問題にすり替え、判決の指摘自体なかったかのような対応をしている。認定制度を変えたくないとの意図が明白だ。認定制度の運用について環境省と県が検討する「総合的検討の具体化作業」も同じ。医学的判断を持ち込むことで、わざと分かりにくく複雑化している。…行政は「総合的検討の具体化」に医学的判断を加え、感覚障害を認める要件を厳密にするだろう。現行基準に新たな基準を作り、一層認定の道を狭めていくことになりかねない。行政は同じ過ちを繰り返そうとしている。

http://kumanichi.com/feature/minamata/owatteinai_tokushu/owatteinai_tokushu_03.xhtml

引用中「客観的事実の確認」のところ、判決は、「認定自体は、…客観的事象としての水俣病の罹患の有無という現在又は過去の確定した客観的事実を確認する行為であって、この点に関する処分行政庁の判断はその裁量に委ねられるべき性質のものではない」と言っている。

 

日本弁護士連合会は、次のように述べている。

水俣病の認定基準については、既に、水俣病関西訴訟大阪高裁判決(2001年)において、家族に認定患者がいるなど一定の条件を満たせば感覚障害だけでも水俣病と認定できると判断され、水俣病関西訴訟最高裁判決(2004年)もこれを支持したことから、「昭和52年判断条件」は実質的に否定されたと考えられていた。しかし、国は水俣病関西訴訟最高裁判決後も水俣病の認定基準を変更しなかったため、ほとんどの患者は水俣病と認定されない状況が続いたのであった国は、長年にわたり厳格な認定基準によって多くの水俣病患者を切り捨ててきたことになるが、この責任は極めて重大である

国は、今回の最高裁判決を踏まえ、すべての水俣病患者を救済するために、感覚障害等一症状だけであっても、曝露歴がある限りは、水俣病患者として認定するよう、「昭和52年判断条件」を速やかに見直すべきである。そして、これまで長年にわたり厳格な認定基準を前提として多くの水俣病被害者を不当にも切り捨ててきたことを真摯に反省し、水俣病問題の全面的解決のために最大限の努力を尽くす必要がある

http://www.nichibenren.or.jp/activity/document/statement/year/2013/130416.html

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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%92%B0%E5%A2%83%E7%9C%81#/media/File:Central_Gov%27t_Bldg._No.5.jpg

 

2013年最高裁判決を受けて、環境省総合環境政策局環境保健部長は、熊本・鹿児島・新潟の各県知事及び新潟市長に「公害健康被害の補償等に関する法律に基づく水俣病の認定における総合的検討について」なる通知を発した(平成26(2014)年3月7日)。

畠山によると、

メチル水銀摂取から発症までの期間や、有機水銀曝露を直接推し量ることができる個別具体的な情報などを重視しており、運用次第では、これまで裁判所が蓄積してきた曝露要件をくつがえしかねない内容を含んでいる

「通知」は、「総合的検討の内容」として、次のように述べている。

申請者の有機水銀に対するばく露及び申請者の症候並びに両者の間の個別的な因果関係の有無等に係る総合的検討の内容としては、個々の申請者の状況に応じて、以下の項目について確認、判断等することが望ましい。

(1) 申請者の有機水銀に対するばく露

申請者の有機水銀に対するばく露については、まず、申請者から、申請者が有機水銀に汚染された魚介類を多食したことにより有機水銀にばく露したとしている時期(以下「ばく露時期」という。)並びに申請者のばく露時期の食生活(摂取した魚介類の種類、量、時期を含む。)及び魚介類の入手方法を確認すること。

そのうえで、これらの事項と以下の①から④に掲げる事項について総合的に勘案することにより申請者が、指定地域において魚介類に蓄積された有機水銀をどの程度経口摂取し、ばく露したのか、またそれがどの程度確からしいと認められるかを確認すること。

①申請者の体内の有機水銀濃度、②申請者の居住歴(申請者の居住地域の水俣病の発生状況)、③申請者の家族歴(家族等の水俣病の認定状況)、④申請者の職業歴(漁業等への従事歴)

畠山が危惧する通り、どのように「総合的検討」を行うかの「運用」次第で、現行基準より厳しいものになる可能性があるように思われる。

 

畠山は、制度の再検討が必要であるという。

現行制度をそのままに、制度の運用や政治的解決の繰り返しによって被害者の救済を図ることはもはや不可能であり、制度の再検討がどうしても必要である。制度の検討の先送りは、被害者の救済の引き延ばしと同義であり、さらに誤りを積み重ねることに他ならない。

しかし、救済制度を設計するうえで最大の問題は、どのような症状・程度の被害者がどれ位存在するのかが、まったく不明なことである。国は被害者に対して公健法や特措法による救済の機会を設けており、これら申請者をもって救済が必要な被害者と考えているふしがあるが、現在も多くの者が申請をためらっていることが容易に推測できる

2004 年最高裁判決は、水俣病の発生と被害の拡大を防止しなかったこと(不作為)について国・県に責任があることを認めた。しかし、それ以後の救済の遅れは、むしろ国が判断を誤り、積極的に作り出したもの(作為)であり、それを是正し被害者の救済を急ぐことは、国・県の「より高められた義務」である。すでに多くの者が指摘するように、国・県が不知火海沿岸全域および阿賀野川流域の住民健康調査を実施し、水俣病被害の全体像を把握する努力をすべきである

畠山は、国・県の「より高められた義務」であると言っているが、国・県はおそらく「より高められた義務」などとは思っていない。なぜだろうか?

*1:畠山武道:北海道大学名誉教授。2011/4-2015/3 NPO法人水俣フォーラム理事長。論文「水俣病事件と国・県の責任」は、衆議院調査局環境調査室「水俣病問題の概要」(2015/6)にある有識者の見解の一つである。