1991年茨城県取手市生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科デザイン専攻空間・演出研究室在籍。光と影、その関係性を研究題材とし、鑑賞者に視点・視感を自覚させる作品を制作している。
《主な展覧会・賞歴》
2012年 グループ展「yucaci」 UPSTAIRS GALLERY(東京)
2015年 第63回東京藝術大学卒業・修了作品展、東京藝術大学卒業制作デザイン賞(東京)、21_21 DESIGN SIGHT「動きのカガク展」(東京)、神戸ビエンナーレ大賞
これは、インスタレーション・アート(後述)なので、小さな画面の動画で、どれだけ面白さが伝わるものか分らないのですが……
まずは、神戸ビエンナーレ大賞を受賞した作品をみてみましょう。
<まどろみをたゆたう>
コンテナ内に垂らしたカーテンは、ファンの風により時折揺らめく。
プロジェクターから投影された幾何学図形は、カーテンの上を滑るようにしてこちらまで流れてくる。
それはまるで水面に映り込んだ鏡像のように形を歪ませて、空気中をたゆたう。
次は、動きのカガク展に出品した作品です。
<Layer of Air>
私たちは空気のプールに浸かっている。
空気中を通り抜ける光線が、1枚の布に捕まえられた時、
それはどんな姿をしているのだろうか。
透ける布に映像を投影。布は風で揺らぎ、投影された幾何学図形は有機的な動きを見せる。
インスタレーション (installation)とは、
1970年代以降一般化した、絵画・彫刻・映像・写真などと並ぶ現代美術における表現手法・ジャンルの一つ。ある特定の室内や屋外などにオブジェや装置を置いて、作家の意向に沿って空間を構成し変化・異化させ、場所や空間全体を作品として体験させる芸術。…空間全体が作品であるため、鑑賞者は一点一点の作品を「鑑賞」するというより、作品に全身を囲まれて空間全体を「体験」することになる。
インスタレーションとは、元の意味は「設置」「展示」「インストールする」という意味である。
インスタレーションを制作するにあたり、映像、彫刻、絵画、日常的な既製品(レディメイド)や廃物、音響、スライドショー、パフォーマンスアート、コンピュータなど、どのようなメディアを使用するか、また美術館や画廊などのギャラリースペース、住宅など私的空間、広場・ビルディングなどの公的空間、人のいない自然の中などどのような場所を用いるか、などは特に問われない。
インスタレーションは基本的には一時的(テンポラリー)なものであり、展覧会期が終われば撤去されてしまい人々の記憶の中にしか残らない。写真や映像記録だけが後から追体験する方法であるが、写真を見るだけではその作品を体験したとはいえない。
インスタレーション作品は設置場所の形状や周囲の壁面・建築・地形との関係、その場所にかかわる歴史や記憶などから発想して制作され、これらと密接に結びついている。それゆえ、他の場所への移転や再現は、作品として成立しなくなるため困難である。(Wikipedia)
インストール[据付、設置]は、OSやアプリのインストールでお馴染みの言葉ですが、コンピュータにソフトウェアを導入して、使用可能な状態にするという意味で使われますね。インスタレーションとは、「空間(場所)に、メディア(物、装置)を配置して、ある種の意味空間を構成するもの」といって良いでしょう。そこで私は、これを「動的空間構成アート」と理解しておきたい。また、「鑑賞」というより、「体験」ということも特徴として挙げられています(すべての作品がそうだというわけではありませんが)。構成空間(作品)の中に入りこみ、作品の一部になるわけですね。
インスタレーションがこのようなものであるとしたら、面白いことに気付く。インスタレーションとは、人生そのものではないか。空間、メディア(物、装置)、動的構成、設置と撤去(生と死)。動的空間構成。人生においては、これらは、ゴタゴタしているかもしれない。でも、すこしでも「よりよく」生きたいと思うならば、「美的」に生きることができるはずである。…作者の抽象美の世界が、私の抽象美と共振するならば素晴らしい。
これは大げさすぎた。「限られた」空間と時間のなかで、そんなことはほとんど不可能である。1%の抽象(99%の捨象)で、人生を表現できるはずがない。1%の抽象を、「人生の一断面をとらえた」と観るか、「骨と皮にしかすぎず、血が流れていない」と観るか。
「流水の庭と鹿威し(ししおどし)」…これは、まさしくインスタレーションであろう。1%の抽象が、人生の一断面をとらえているように感じられる。