末永照和(監修)『20世紀の美術』(2)
ケーテ・シュミット・コルヴィッツ(Käthe Schmidt Kollwitz、1867- 1945)は、ドイツの版画家、彫刻家。
ベルリンとミュンヘンで美術を学んだ後、1891年に貧民を治療する医師の妻としてベルリンの労働者街に住み、銅版画、石版画で、[農民戦争*1
私は、「ベルリンとミュンヘンで美術を学び、医師の妻」となったという記述に興味をもった。貧民を治療する医師の妻だったから、裕福ではなかったかもしれないが、「貧乏画家」ではなかっただろう。そういう彼女が、抑圧に虐げられた者たちを見すえた絵を描き続けたのであった。
次の絵は、「農民戦争」連作のなかの1枚「鋤をひく人と妻」である。
本節(ドイツの表現主義)の執筆者は、「コルビッツは、人間を抑圧するものを激しく告発する社会派の作家だった」と書いているが、果たしてどうだろうか。私は少なくとも上の1枚の絵を見る限り、人間を抑圧するものを「激しく告発」しているようには見えなかった。それは、農民たちの現実をリアルに描こうとしているようにも見える。作者の意図がどうあれ、そこには農民たちの「諦念」が描かれているようでもある。
そこに「諦念」を読み込むと、ただちに現代の抑圧された人々の「諦念」が想起される。こぶしを振り上げて抵抗するのではない。ただ、現実を受け入れる……。「もの言わぬ人々」(社会的弱者)にどれほど寄り添うことができるか。
オットー・ミュラー(Otto Müller、1874-1930)は、ドイツの画家、版画家。
ドレスデン美術学校で学んだ後、ベルリンに移り住んだ。…物静かで気品があり、孤独を愛する性格は、彼に独自の繊細な画風を貫かせた。彼の母親はジプシーであったからか、野外のジプシーの少女を多く描いた。
https://zoowithoutanimals.files.wordpress.com/2013/08/liegende-otto-mueller-1926.jpeg
ジプシーについては、クラシック音楽 コース料理 さすらいの楽師 を参照ください。
「現代のジプシー」は、さしずめ下の写真のようなイメージだろうか。
派遣/非正規の独身女性…アラフォーに差し掛かった彼女たちは、今後どう生きていくのだろうか。(若い人に代替可能な)ルーティン・ワークを毎日繰り返し、「何のために生きているのだろうか?」。病気になったら、誰が面倒を見てくれるのだろうか。このまま老いていったらどうなるのだろうか。(これは、派遣/非正規の独身男性も同じこと。もちろん正規であれば問題はないということではない)。
下の写真とミュラーの作品を交互に見比べていると、ミュラーの作品が味わい深くなってくる。
脚を立てて眠るという異様なポーズでありながら、その表情が穏やかである。幼き頃に見た母親の寝顔だろうか。
ジプシーはすでに過去のものとなったのか。
http://www.evershayari.in/wp-content/uploads/2015/07/sad-single-girl-wallpaper.jpg