浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

市場(2) 政府の失敗 市場の失敗

平野・亀本・服部『法哲学』(24) 

政府の失敗

中央集権的な政府機能が効率的でないことを、通常「政府の失敗」という。主要なポイントは3点にわたる。

  1. 官僚機構が非効率…集権化された政府機能を果たすために組織運営費用がかかり、各部局の機能は配分される予算によって賄われるため、必要以上に予算が費消されることがままある。また公権力機構は競争にさらされることがないため、コスト削減、創意工夫、業務改善への努力がなされにくい。
  2. 予算裁量の弊害…政府機能の遂行は、予算の使い方についてある程度裁量に委ねられる。先の例で言えば、どの程度の上水道設備にするか、どの業者を指定するかが、一定の裁量の範囲で決められる。即ち、分配の権限に関わる裁量が、利益誘導、官民の癒着、汚職など、不公正行為の温床になり、結果として公費の無駄遣いにつながる。
  3. レント・シーキング利益集団による政府への働きかけが、政治的支持と引き換えに行なわれ、パイをめぐる争いに特別のエネルギーが費やされる。このような利権追求活動をレント・シーキングという。

このように、政府機構を介した財の分配は効率的でなく、市場システムに委ねられれば、委ねられた分だけ効率的になるというわけである。

 ここで「中央集権」という言葉が何を意味するのか確認しておこう。

一般に、組織された社会集団において、組織の中央部に、その統制力(権限と責任)が集中している原理をいうが,通常は近代統一国家における中央政府地方自治体の関係について用いられる。現代の国家はすべて中央集権的統治形態をとり封建社会におけるような領邦国家の群立する分権的支配とは異なる。中央政府に権限や財源を集中し、地方自治体の運営に強力な統制や干渉を加えている。現代の福祉国家社会主義国家においては、福祉・労働行政や軍事問題などを処理するために政府の比重が著しく肥大化し、権力の集中化が進行してきている。中央政府と地方政府(地方自治体)に責任と権限をいかに配分するかは,いかなる国家においても統治構造の根幹にかかわる問題である。(ブリタニカ国際大百科事典、日本大百科全書、世界大百科事典)

冒頭の「一般に、組織された社会集団において、組織の中央部に、その統制力(権限と責任)が集中している原理」という定義は興味深い(民間企業にもあてはまる)。しかし、ここでは中央政府に権限や責任が集中している(程度問題だが)事態をさすものと理解しておく。

第1点、官僚機構が非効率というが、(1)いかなる組織であれ、組織運営費用がかかる。(2)配分予算が必要以上に費消されることがままあるというが、それは官僚機構だからではなく、予算統制が機能していないためである。(3) コスト削減、創意工夫、業務改善への努力がなされにくいというが、それは官僚機構だからではなく、それらの努力を評価するシステムになっていないからである。…現代の国家はすべて中央集権的統治形態をとっているが、いずれもその官僚機構は非効率だとでもいうのだろうか。

第2点、予算裁量が、利益誘導、官民の癒着、汚職など、不公正行為の温床になり、結果として公費の無駄遣いにつながると言うが、それは中央集権(官僚機構)だからではなく、予算管理のルールが制定されていない、あるいは適正に運用されていないためである。

第3点、レント・シ-キング(rent seeking)とは、「企業が政府官庁に働きかけて法制度や政策を変更させ、利益を得ようとする活動。自らに都合がよくなるよう、規制を設定、または解除させることで、超過利潤(レント)を得ようという活動のこと」(デジタル大辞泉)。中央集権だから汚職があるのではなく、権力者の汚職(権力者への贈賄)は、権力機構がある限り、(ルールの制定如何によるが)ある程度避けられないとみるべきだろう。

以上、「中央集権的」だからダメというような、軽率な判断をしないようにしたい。

 

市場の失敗

市場の失敗とは、

さまざまな財・サービスの市場において,需給が等しくなるように価格が調整されるという市場の価格メカニズムによって,資源の効率的配分が達成されないこと。(ブリタニカ国際大百科事典)

という定義が、最もわかりやすい。「完全競争市場の価格メカニズムによって資源の効率的配分が達成される。」という前提で、これがうまくいかない事態を「市場の失敗」という。この前提そのものの検討は、別途行いたいが、ここではふれない。

 

以下、市場の失敗について順不同であるがみていく。

第1 独占・寡占について

市場における自由な競争は、競争に勝ち残るものの独占ないし寡占を引き起こしたり、競争を嫌う同業者間の自由な談合を将来し、結果的に競争をゆがめてしまうこともある。競争が十分理想的な仕方で展開されるとは限らないことは、市場の参加者が必ずしも常に経済的合理人として行為するわけではないという事実に帰せられることもある。(本書)

高度に産業化された国々では、寡占は経済の様々なセクター(領域)に見ることができる。例えば自動車、消費財、製鉄などである。また、同時に、多くの産業領域で買手寡占も出現している。たとえば、航空宇宙産業などでは、もはや旅客機の製造業者は数えるほどしかないため、部品納入先や就職先は数社に限定されている。より典型的な寡占の例は、国の免許が必要とされるなど政府によって強く規制された市場に見られる(たとえば無線通信など)。(Wikipedia)

 Wikipediaに寡占の実例がのっているので参照願いたい。私は、独占・寡占企業は「経済合理性」に従った行動をしていると思う(理論的・実証的分析が必要だが)。この独占・寡占に対しては独占禁止法があるが、これは国家が、民間(独占・寡占企業)の自由な経済活動を規制するものではないのか。これに対しては、先ほどの「完全競争市場の価格メカニズムによって資源の効率的配分が達成される。」で反論するのだろうが、そうするとこれは「民間の自由な経済活動」ではなく、「完全競争」が望ましいという判断が優先されるということになろう。そして、その判断の是非が問われる。

 

第2 外部性について

市場メカニズムの外部性としては、外部経済と外部不経済があるが、例えば、地下鉄駅の設置によって付近の地価が上がるのが前者の例であり、工場からの煤煙で公害が発生するのが後者の例である。公害被害の救済のためには特別の費用がかかるのであり、特に予期しがたい外部不経済は、市場が効率的なシステムとして作動する際の阻害要因となる。

工場排水が川や海の水を汚し、甚大な被害をもたらすこと(本ブログの水俣病の記事を参照ください)については、今日誰もが認識し法規制もされているが、ここで考えなければならないのは、これは企業の「自由な経済活動」に規制を加えるものだということである。企業は「最小限のコストにとどめたい」、規制側は「健康・安全を確保したい」、この対立は規制の「基準値」をどう定めるかの議論になるだろう。「政府は市場介入するな」という主張を取り入れるとどうなるか。企業は、健康・安全を確保するため、十分な措置をとるだろうか。(公害とは異なるが、労災死傷者数は、2015年で約10万人 である)。

 

第3 情報の非対称性について

市場は多元的な要素を含んだ分散的な決定システムであるから、情報の不均衡が生じやすい。そのため、理想的な仕方で選択の最適性が達成されることを保証することはできない。(本書)

市場では「売り手」と「買い手」が対峙しているが、一般には売り手がほぼ一方的に情報(商品の品質に関する豊富な情報)を保有し、買い手は十分の情報を保有できない。売り手には商品の正しい品質を買い手に伝えるインセンティブがない。 (Wikipedia)

f:id:shoyo3:20161230085155j:plain

http://www.ryouhin-r.org/imge/lemonmarket.gif

 

売り手にとっては、品質に不安要素があっても、それを開示しては売れない。買い手にとっては、そういう情報が開示されていれば買わない。この情報非開示のままで取引されることは、「効率的」ではないだろう。そこで例えば、食品については、食品表示法に基づき、加工食品の原材料名、内容量、販売者等の表示が義務付けられている(製造所の扱いが妥当か?)。添加物も表示しなければならない。これらは情報の非対称性への対策となる。これも企業の自由にさせないで、企業活動を規制するルールである。

 

第4 公共財について

公衆衛生,道路,公園,消防,警察,国防など,次の2つの特徴を有する財およびサービス。 (1) 特定の人 (消費者) をその財 (サービス) の消費から排除することができない (排除不可能性) 。 (2) 同時に多くの人々によって消費されることが可能で,したがって消費者の間でその財の消費をめぐる競合の余地が生じない (消費の集団性) 。(ブリタニカ国際大百科事典)

Wikipediaは、この2つの特徴を、排除性、競合性と呼び、マトリックス図で整理している。

 

排除性

非排除性

競合性

(a) 食料・衣服・自動車・家電

(c) 漁業資源・木材・石炭・水資源

非競合性

(b) 映画・有料公園・衛星放送・図書館

(d) 無料放送・空気・国防・知識

競合性とは、消費者(利用者)たちによるその財の消費が増えるにつれ、追加的な費用なしでは、次第に財の便益(質・量など)が保たれない性質を指す。排除性とは、対価を支払わず財を消費しようとする行為を実際に排除可能な性質を指す。この場合市場では、価格付けされた財が対価の支払いを条件として販売される。

 (a)~(d)には、それぞれ名前が付けられている。(a)私的財、(b)クラブ財、(c)コモンプール財、(d)公共財である。クラブ財のクラブとは、会員制クラブのクラブである。コモンプールについては後述予定。

公共財と聞くと、すぐに(d)が思い浮かぶが、これは「純粋公共財」とも呼ばれる。(b),(c)は「準公共財」と呼ばれる。クラブ財の例として有線放送、コモンプール財として一般道路や橋も挙げられている。

大事なことは、これを丸暗記することではない。財Xを、「市場メカニズム」の対象としたほうが良いのか、しないほうが良いのかと考えることである。この表にでているものや、公園、警察、消防、上・下水道、郵便、電話、電気・ガス、美術館、スポーツ施設、廃棄物処理、病院、介護施設、鉄道・電車・バス、道路、教育機関等々が、「市場メカニズム」のなかで取引されてよいのかどうかを考えることである。

 

市場の失敗の話は、次回に続く。