浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

「囚人のジレンマ」と「安全保障」(部族間の縄張り争い)

加藤尚武『現代倫理学入門』(21)

第10章は、「正直者が損をすることはどうしたら防げるか」で、「囚人のジレンマ」と「アローの不可能性定理」が扱われている。今回は、そのうち「囚人のジレンマ」を取り上げる。

本書の「囚人のジレンマ」は、全然面白くない(マッキーの例も面白くない。なぜ面白くないかと言えば、「非現実的」であり、現実の倫理問題にどう関係してくるのか分からず、まともに考える気にならないからである。)ので、パスしようかとも思ったのであるが、wikipedia

囚人のジレンマとは、ゲーム理論におけるゲームの1つ。お互い協力する方が協力しないよりもよい結果になることが分かっていても、協力しない者が利益を得る状況では互いに協力しなくなる、というジレンマである。…囚人のジレンマは、自己の利益を追求する個人の間でいかに協力が可能となるかという社会科学の基本問題であり、経済学、政治学、社会学社会心理学倫理学、哲学などの幅広い分野で研究されているほか、自然科学である生物学においても生物の協力行動を説明するモデルとして活発に研究されている。

とあったので、「ふーん、そうなんだ」と思い直し、あらためて考えてみることにした。と言っても、「囚人」の例をあげるのではなく、「銃の所有」の例*1で考えてみよう。

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b)銃を所持しない

b)銃を所持する

a)銃を所持しない

平和(〇,〇)

不安定(×,◎)

a)銃を所持する

不安定(◎,×)

危機(△,△)

  • aは部族Aの住人であり、bは部族Bの住人である。
  • 部族とは、民族であり国家であり同盟である。(藩とか州とか府県とかヤクザを考えても良い)
  • 銃とは、武器である。核兵器化学兵器や軍隊や軍需産業を含めても良い。
  • 「銃を所持しない」「銃を所持する」は、選択肢である。
  • 住人とは、政府のような当該コミュニティの権力機関と考えても良い。
  • 上表は、利得表(ペイオフ行列)と呼ばれる。利得は、◎>〇>△>× である。
  • (  )内の左側が、aの利得、右側が、bの利得である。
  • a,bそれぞれ2つの選択肢しかない場合、4つの結果があり、それぞれ名称を付した。
  • 「平和」は「軍縮」と考えても良い。「危機」は「軍拡」と考えても良い。
  • この表の「不安定」とは、「銃を所持する」、「銃を所持しない」という状況はいつまでも続くということが考えられず、「危機」に向かう可能性が大であるということを示す。(この名称は良くないかもしれない)
  • 「銃を所持する」といっても、質・量の差異をどう評価するかは問題であって、選択肢を2つとするのは問題かもしれない。
  • このジレンマで、重要な前提は、「お互いに話し合うこと(対話)がない」ということ、または話し合いがあっても、「相手の言うこと(約束)を信用できない」ということである。

この話には、おかしな点がいろいろある。(以下、順不同のメモ)

  1. 「ジレンマ」という用語…a,bとも、ジレンマ(二つの相反する事柄の板挟みになること)に陥っていない。「合理的」に「銃を所持する」という選択をしている。この選択は、(部族間の)「平和」という目的には寄与していないということであってジレンマではない。
  2. 「銃を所持する」という選択が、なぜ「合理的」なのか。…私はこの利得表で、不安定(◎,×)、不安定(×,◎)としたところが、最も問題であると思う。bが「銃を所持しない」とき、aが「銃を所持する」ことが、なぜ(◎,×)と評価されるのか。それは「相手に勝つこと」「相手を支配すること」「相手を服従させること」「支配領域(領土等、縄張り)を拡大させること」が望ましいという判断があるためである。(逆の言い方をすれば、「相手に負けること」「相手から支配されること」「相手に服従させられること」「支配領域(領土等、縄張り)を縮小させられる[侵略される]こと」が望ましくないという判断)。ここを究明すべきなのであって、無思慮に(◎,×)として、論理展開してもナンセンスだろう。
  3. 「平和」という状態を本当に望んでいるのか。…ジレンマを主張する者は、「平和」と「危機」がジレンマだというが、そうではなく「平和」を求めるのに、「銃を所持する」「銃を所持しない」という、あまりにも単純な2つの選択肢しか示さないことが問題なのである。「敵が攻めてきたらどうするのだ。銃で防御しなければならないだろう」というわけだ。北朝鮮と同じ論理だ。「アメリカ軍が攻めてきたら(その気配がみえたら)どうするのだ。核兵器で防御(先制攻撃)しなければならない」というわけだ。…問題の複雑さにもよるが、<目的-手段>の関係は決して単純なものではない。「ゲームの理論」家は、「望ましい状態」を達成するための方策(選択肢)についてどう考えているのだろうか。
  4. そもそも「平和」という状態が、どういう状態のことをいうのか、深く考えているのだろうか。「幸福」や「満足」や「効用」と言い換えてもよい。それはどういう状態のことをいうのか。その内容を明確にせず、抽象的な言葉だけを祭り上げて、荒っぽい単純な数学モデルだけを議論しているのではないか。これに対しては、モデルは「本質的」な部分を抽出しているのであり、枝葉末節な議論を避けることができる、という反論がある。しかし、誰が「本質的」だと言っているのか。それは恐らく論者の価値判断だろう。…ここで私には当たり前のことのように思われることを言っておきたい。即ち、「まず目的を明確にせよ。そしてどうしたらその目的を達成することができるのかを真剣に考えよう」ということである。ゲームの理論(数学モデル)は、この最も大事なところを目くらましする効果を持っているのではないか。
  5. 「お互いに話し合うこと(対話)がない」、また「相手の言うこと(約束)を信用できない」を前提とするが、この前提に疑いを持たなければならない。目的達成のための最も有効な方策が、話し合い(対話)であることは強調されねばならない。相手がヒステリックになると、「話しても分からない相手だ」と思いたくもなるが、そのときには、「なぜ相手は分かろうとしないのか」と問うべきだろう(言うは易く行うに難し、だが)。
  6. この「銃の所有」の例では、「コミュニティのレベル」を一段挙げて、法規制することが、現実的で妥当な解決策ではないか(数学モデルをいじくっても答えは出てこない)と考えているが、詳細はいずれ。(本例が「国」のレベルの問題だとするなら、「国際法」の制定/改正の問題と考えることである。)

*1:この例は、「囚人のジレンマ」の理解のために、私が考えたものである。但しこんな例は、誰かがどこかでとっくに考えていることだろう。