浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

不平等論(7) 赤ちゃんは、社会主義的人間である?

稲葉振一郎立岩真也『所有と国家のゆくえ』(12)

前回、立岩は次のようなことを話していた。

  1. 何をするか、しないかを考えること。
  2. 乱暴に考えないこと。
  3. 人間ってこんなもんさねっていうところで話を収めないこと。
  4. この件に関してはこの方が良いはずだと言えるんであれば、言っていくべきであるということ。

これに対して、稲葉は、立岩に反論することもなく、ローマー(John E. Roemer、1945-)を引き合いに出して、「搾取」について長々と話している。マルクス経済学が廃れたこの時代に、このような議論をすることに何か意味があるのだろうか。

 稲葉 (ロ-マーによれば、)合意における取引を通じてみんなが得している結果として、その中にも搾取を見出すことができるということになった。だから、搾取それ自体は記述的な概念になってしまったそこに規範的な意味合いを込めることがどんどん困難になっていくとローマーは考えた。…そこで、資本主義は不公平だというためには、富の配分が不公平ならば、不公平な格差っていうのは資本主義の中で温存される可能性が非常に高いですよと言えばしまいであって、搾取っていう説明要因を入れる必要がないと。要するに金持ちの家に生まれた子が幸せなのは悪いことじゃないけど、貧乏人の家に生まれた子どもが金持ちの家にたまたま生まれた子どもよりもディスアドバンテージ(不利益)を食らってるというのは、なんか気分悪くないですかと言えばすむじゃないかと。ローマーが提起した問題はだいたいこういうものだと思う。

 「搾取」に規範的な意味合いを込めないのであれば、用語の不適切な使用ということになろう。…果たして、ローマーは、富の配分が不公平だとか不公平な格差があると考えているのだろうか。稲葉が言うように、「なんか気分悪くないですか、と言えば済む」と考えていたのだろうか。そして稲葉は「なんか気分悪くないですか、と言えば済む」と考えているのだろうか。いまやほとんど誰も主張していないと思われる「搾取」を批判するばかりで、「格差」の根本的原因を(理論的に)追究しようと考えていないのではないかと疑われる。

 

稲葉 人間性が変わるって期待は、伝統的マルクス主義社会主義には明らかにありまして、要するに人間がガリガリ亡者のエゴイストであるのは資本主義の中で生き、資本主義の中で育てられたからそうなるんであって、社会主義の中で育っていけば社会主義的な人間になって、ちゃんとガリガリのエゴイストじゃない、別のタイプの人間性を身につけているんだという期待があった。そういう人間改造思想っていうのは明らかにかっての社会主義にあった。しかし、これはやっぱりどう考えても不健全だろう、という気持ちは、ぼくは吉原さんと共有する。…それへの恐怖心警戒心はけっこうぼくとか吉原直毅さんの場合には強いかなと。

稲葉が、資本主義的人間や社会主義的人間をどういうふうに捉えているのかよく分からないが、人間改造というおぞましい言葉を使って、社会主義を拒否し、恐怖心や警戒心を示しているのには驚かされる。

私は、自己中心の利己主義ではなく、他人を思いやって共に生きる社会が望ましいと考えているのだが、稲葉は、こういう考えに「社会主義」というレッテルを貼って、これは「人間改造思想」だと恐怖心を掻き立てているように思える。

 

稲葉 人間はそんなに変わらない。いわゆる性質・気質が有意義に変わるためには進化生物学的な時間が必要だ、位にぼくは思っている。もちろん慣習とか生活習慣、文化のレベルでの可変性の範囲も意外と大きいだろ言うと思うが、しかし社会主義のなかでは社会主義的人間が生まれますよっていうような、そこで期待されてるものよりは小さい気がしてならない。

「進化生物学的な時間が必要」と思うのは構わないが、これは(経済)学者の発言ではないだろう。「利己的な性質は変わらない」と言っているように聞こえる。

言葉の意味が不明だが、「社会主義のなかでは社会主義的人間が生まれます」などと誰が主張しているのだろうか。

 

こんなニュースがある。赤ちゃんは、社会主義的人間か?

赤ちゃんにも正義感? ヒーロー選ぶ実験結果 京大

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 正義感は人間の本能? 攻撃された弱者を見ても何もしない「傍観者」より、弱者を助ける「正義の味方」を選ぶ性質が、生後半年の乳児の段階で備わっていることを、京都大などの研究グループが明らかにした。31日、英科学誌ネイチャー・ヒューマンビヘイビアに発表した。

 正義の感覚は生まれつきなのか、学習によって育まれるかは分かっていない。京大の鹿子木(かなこぎ)康弘特定助教(発達科学)らは、攻撃者、犠牲者、正義の味方、傍観者の4種類のキャラクターが登場するアニメ動画を作り、生後6カ月と10カ月の乳児計132人に見せた。攻撃者が犠牲者に体当たりして攻撃すると、①正義の味方が助ける②傍観者は何もしない、を4回ずつ交互に繰り返した。

 その後、正義の味方と傍観者の実物のキャラクターを乳児の前に置き、どちらに触れるか調べると、生後6カ月の乳児20人のうち17人が正義の味方を、3人が傍観者を選んだ。別パターンの動画を見せた実験結果も併せると、乳児はキャラクターの色の好みではなく、攻撃者から犠牲者を守る行為と理解して選んだと言えるという。

 鹿子木さんは「人間社会が成り立つには一定程度の正義感が必要になる。人間は生まれたときから正義感の原形を備えている可能性がある」と話す。(西川迅、朝日新聞、2017年1月31日)

http://www.asahi.com/articles/ASK1Z46TPK1ZPLBJ004.html

 

生まれつき正義感が!?赤ちゃんへの実験で明らかになった人間の"本性"

www.youtube.com

 

人は、なぜ正義感がなくなっていくのだろうか?