浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

細胞の情報処理 ホメオスタシス マイクロバイオーム

木下清一郎『心の起源』(8)

今回は、第2章 心の原点をたずねる 第3節 なぜ神経系のみに心の座を求めるのか である。

神経系の独自性

生物が外界の情報を受け入れるのは、神経系によるばかりでなく、そのほかに内分泌系もあれば免疫系もある。それにもかかわらず神経系のみをとりあげて、心の働きをそこに求めようとするのはなぜなのか。

生命体は必ず外界との間を区切って自己の領分とし、それを維持しようとする性質をもっている。そのために外界に対する反応の一つとして、外界がたとえ変動しようとも、これに逆らって自己領域の環境は不変に保とうとする傾向がある(ホメオスタシス)。この能力は神経系、内分泌系、免疫系のいずれにも備わっている。

表1 情報処理能力の比較 (可能な情報処理)

 

ここでちょっと、お勉強(拾い読み)。

ホメオスタシス(恒常性)

生物のもつ重要な性質のひとつで、生体の内部や外部の環境因子の変化にかかわらず、生体の状態が一定に保たれるという性質、あるいはその状態を指す。恒常性の保たれる範囲は体温や血圧、体液の浸透圧や水素イオン指数などをはじめ病原微生物やウイルスといった異物(非自己)の排除、創傷の修復など生体機能全般に及ぶ。…免疫機構は、外部病原体から自己を守るために免疫を亢進させる系と、過剰な免疫亢進を防ぐ免疫抑制系とがある一定のバランスをとって機能しており、これを免疫恒常性という。(Wikipedia)

生物体または生物システムが間断なく外的および内的環境の変化を受けながらも、個体またはシステムとしての秩序を安定した状態に保つ働きをいう。…キャノンはホメオスタシスの用語を提唱したとき、固定して動かない状態を意味するのではなく、「変化しつつも安定した定常的状態」を意味すると述べた。ホメオスタシスの維持に有効に働くのは、神経系、内分泌系、免疫系であるが、キャノンはとくに自律神経系の働きに注目した。(川島誠一郎、日本大百科全書

 キャノンがどういう意味で「変化しつつも安定した定常的状態」と言ったのか知らないが、何か含蓄深いものがある。「恒常性」と言うと、「固定して動かない」とか「常に同じことを繰り返している」というイメージだが、これは違う。ふと「行く川のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。」が思い浮かぶ。

 

内分泌機能

内分泌腺の主な機能は、血液中に直接、ホルモンを分泌することです。ホルモンとは、体の他の部分(標的部位)の働きに影響を与える化学物質のことです。ホルモンはメッセンジャーとして働き、体のそれぞれの部位の活動を制御し、協調させます。標的部位に到達すると、カギがカギ穴にぴったり合うようにホルモンは受容体と結合し、標的部位が特定の作用を起こすための情報を伝達します。ホルモン受容体は核の内部や細胞の表面にあります。最終的に、ホルモンは全身の器官の機能を制御し、成長や発達、生殖、性徴などのさまざまな過程に影響します。

内分泌系の主な腺には、視床下部、下垂体、甲状腺副甲状腺膵臓の膵島、副腎、男性では精巣、女性では卵巣があり、それぞれ一つ、あるいはいくつかの特定のホルモンをつくります。(MSDマニュアル家庭版)

日本食肉協議会は、(ホルモン焼きの)「ホルモン」の語源について、下記のように説明をしている。(wikipediaより)

ホルモンの語源は、大阪弁の「捨てるものを意味する『放るもん』」説や、医学用語であるドイツ語のHormon(ホルモン)、英語のhormoneは、動物体内の組織や器官の活動を調節する生理的物質の総称から、栄養豊富な内臓を食べると、活力がつくとして名付けられた説など諸説あります。ホルモン料理の名称は戦前から存在し、戦前においては、内臓料理に限らず、スタミナ料理一般、例えば、スッポン料理などもホルモン料理と呼ばれていたことから、ホルモンは「放るもん」ではなく、明治維新のころの西洋医学(主にドイツ)の影響を受け、栄養豊富で活力がつくとして名付けられたものと思われます。

 

物質の擬態

ホルモン抗生物質(特定の細胞を殺す化学物質。薬として使われます)はペプチドで、その生体への働きは鍵と鍵穴に例えられます。生体の細胞の表面にはレセプター(受容体、鍵穴に当たります)があり、レセプターはペプチド(鍵に当たります)の形を認識してさまざまな反応を示すのです。

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 細胞のレセプターは決まった形のペプチドに反応します。例えばあるホルモンを体内に入れれば、たちまちそのホルモンに特定の細胞のレセプターが反応します。これはもちろん正常な生体の反応ですが、ある場所、あるいはある時間が来たときだけレセプターが反応するようにすれば、今まで考えられなかったことが実現できる可能性が生まれます。例えば医療の世界では、患部の細胞だけに抗生物質を届けたいにもかかわらず、それ以外の細胞も反応させてしまうようなことが起こります。それでは抗生物質によって患部の治療を行うと同時に、正常な部位にダメージを与えてしまいます。そうならないためには、患部に抗生物質が届くまでレセプターが反応しなければいいわけで、そのための工夫が物質の擬態なのです。(産総研

 物質の擬態の話は面白そうだが、本書の趣旨から外れるので省略する。興味ある方は、産総研の記事を参照願います。

 

受容体の働き

受容体は、内分泌系、神経系、免疫系からの情報伝達物質を認識し結合して、細胞内のへ情報を伝える役目を果たします。その指令に基づき、細胞は目的とする酵素などを作り出します。個々の受容体は、それぞれ一つの物質しか受けることができません。結合する物質をリガンドと呼び、受容体との関係はカギとカギ穴のようなしくみになっています。(国立環境研究所)

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https://www.nies.go.jp/kanko/kankyogi/17/column3.html

 リガンド(ligand)とは、ホルモンや神経伝達物質などの情報伝達物質である。「情報伝達」の意味は、DNA→RNA→タンパク質合成→機能発現のところまでみておかないと、完結しないだろう。

(この記事では、偽のリガンド作用の話が出てくるので興味ある方は、そちらへ)。

 

免疫

免疫とは外界から体内に侵入する病原体である細菌やウィルス、カビなどの非自己物質を認識し、これを体外へ排除する生体防衛機構のことである。

これ位は、誰でも知っていると思う。もし次の図を見て分からないようであれば、http://rockyriverromance.com/foodsafety/magmag108.html を参照してください。

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免疫の話では、細菌やウィルスは「病原体」であるとされる。これを当たり前のように思うのは、人間中心思想に毒されている。

われわれは膨大な数の微生物と共生している。この微生物には、細菌をはじめ、ウィルスや真菌、場合によっては原虫や寄生虫が含まれるが、その数や宿主との相互関係で最も重要なのは細菌である。数としてはウィルスもかなり多く、例えば糞便中にも相当数のウィルスが含まれているといわれているが、その多くは細菌に感染するウィルス、つまりバクテリオファージであり、細菌の病原因子などに関与しているとはいえ、宿主との関係のという点では圧倒的に細菌が密接である。

 われわれの体には、数百兆個、重さにして1~2kgの細菌が常在している。細菌は皮膚をはじめとして、消化管、呼吸器系、口腔、膣などの「体の内側」を含めたあらゆる体表面に存在し、それぞれの場所に固有のバランスを保って定着している。これらの細菌はただそこに存在するだけでなく、細菌同士あるいは宿主とのクロストークを介して安定した複雑な生態系を構成している。中でもその数、種類ともに最も豊富なのが消化管である。ヒトに定着している最近の90%は消化管に生息し、腸内細菌叢(そう)と呼ばれている。われわれの体を形成する細胞数は約60兆個なので、それをはるかに上回る「自分ではない細胞」が腸内に住んでいるという計算になる。腸内細菌叢は、腸内フローラの呼び名でも広く知られているが、floraは植物を指す言葉であるとして、近年はmicrobiotaやmicrobiomeマイクロバイオーム)も多く用いられている。(平山和弘)

http://www.eiken.co.jp/modern_media/backnumber/pdf/MM1410_03.pdf

 人の体に細菌やウィルスがいることは知識として知っているはずだ。しかし、そのことを真剣に考えたことがあるだろうか。ただ「病気」との関連でのみ考えてきたのではなかったか。

膨大な数の細菌やウィルスが「私の体」の中にいる。では「私」は、細菌やウィルスをコントロールしているのか。細菌やウィルスは独自の遺伝子を持っている。「私」からみれば他者のはずだ。ならば、免疫の常識からすれば、排除すべき対象ではないのか。ところで、「私」の体の中の細胞数は約60兆個で、細菌は数百兆個住んでいる。ということは、人体という領域内では、細菌からみれば「私」は少数派の他者である。少数派が自己の利益のみを考え、多数派を(薬などの化学兵器で)殺戮しているのだろうか。

しかし、少数派(人間)と多数派(細菌、ウィルス)が敵対関係にあるというのは、戦い好きの人間の価値観からくるものであろう。実際には、少数派(人間)と多数派(細菌、ウィルス)が共存共栄の関係にあることは明白であり、局地的に闘いがあるにすぎないというべきだろう。

以上は、私の仮説というか、(擬人化した)想像にすぎないのであるが、マイクロバイオームの研究の進展は、細菌を含めた諸細胞間のコミュニケーションの実態を明らかにするものと予想する。

なお、「個体」をマイクロバイオーム(microbiome)と呼ぶのであるが、これは「ミクロ生態系」と訳せば、分かりやすいのではないかと思う。「フローラ」も悪くはないが、「脳内お花畑」*1を連想させる。

いずれにせよ、ホメオスタシスの概念は、ミクロ生態系の観点から再考を要するもののように思われる。

私はコミュニティという言葉を多用しているが、ミクロ生態系はミクロ・コミュニティと言い換えることができる。更に言えば、要素に還元していくことができるかぎり、そこでは常にコミュニティ→部分と全体の相互関係を考えなければならない。 

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https://www.geneticliteracyproject.org/wp-content/uploads/2014/04/Screen-Shot-2014-04-15-at-1.28.09-PM.png

 

本書に戻る。「なぜ神経系のみに心の座を求めるのか」という問いであった。

しかし、外界に対して積極的に反応すべく、外界に起こった変化を経験として蓄えておき、将来に再び起こるかもしれぬ変化に向けて適用する能力[記憶]となると、内分泌系が抜け落ちて、神経系と免疫系の二つになる。更に、過去の経験を組み合わせて、全く未知のものに対してまで積極的に働きかける能力[自発的活動]となると、免疫系が抜け落ちて、独り神経系のみが残る。これが神経系の突出した特異さであると言えよう。この特異さはやがて神経系に自発的な活動をもたらし、これに独自の地歩を与える理由になっていく。ただし、そこまで断言してしまうのは少し先走りすぎていて、神経系が真に自律性を持つとはどういうことなのかは、もう少し先へ行ってから改めて検討せねばならぬ問題である。

木下が言う「記憶」や「自発的活動」という能力の詳細は分からない。「意図して」そういう能力を獲得したのではないとすると、なぜ・いかにしてそういう能力が形成されたのか。表1を見て思うのだが、内分泌系→免疫系→神経系の生成が進化の過程なのだろうか。今後説明があるかもしれない(本書は進化論の本ではないから、そのような説明はないかもしれない)

 

記号化

表2 情報の記号化の比較

  • 神経系…電気的信号としての伝導、化学的信号としての神経伝達物質、細胞反応としてのシナプス形成
  • 免疫系…細胞反応としての異物認識
  • 内分泌系…化学的信号としてのホルモン

神経系で使われている記号は独自のものであって、これを神経系の第一の特徴にあげてもよいほどである。実は記号化ということは神経系に限らず、情報とは切っても切れない関係にあるので。まずそのことから考えていこう。外界の情報が生物体に受容されるには、情報は必ず何らかの記号に変えられなければならない。なぜなら、外界の変化は記号に変えられることによって、はじめて情報となりうるのであって、記号化できないものは情報にはなれないからである。記号化は生物体への受容にとっても必須の条件である。記号化はそれが便利だからなどという些末なことではなく、情報の受容そのもの、つまり情報の本質なのである。

神経系はもちろんのこと、内分泌系や免疫系でもそれなりに情報を記号化しているが、それぞれの器官系で転換された記号の性質は、それぞれの器官系の情報処理に大きな制約を与えずにはおかない。これが器官系の特異性を定めている。

 「情報」とか「記号」とか「信号」とかの言葉が出てくると、頭が混乱する。辞書をみてみよう。情報とは、

  1. ある物事の内容や事情についての知らせ。インフォメーション。
  2. 文字・数字などの記号やシンボルの媒体によって伝達され、受け手に状況に対する知識や適切な判断を生じさせるもの。
  3. 生体系が働くための指令や信号。神経系の神経情報、内分泌系のホルモン情報、遺伝情報など。(デジタル大辞泉

 本書の文脈では、情報の意味は、3番目の意味だろうが、そうすると木下の説明がちょっとわかりにくい。「外界の情報が生物体に受容されるには…」とあるが、「外界の情報」なるものがあるとは考えられない。「生物体の生存に影響がある外界の変化」を「外界の情報」と表現しているのだろうか。

すぐ後に、「外界の変化は記号に変えられることによって、はじめて情報となりうる」とあるので、外界の変化を何らかの形で「感覚」し、特定物質を作動させる機序を、「記号化」という言葉で表しているように思われる。

「記号化は、情報の受容そのもの、つまり情報の本質である」というのは、分かったようで分からない。但し、ケチをつけることが本意ではないので、この段落全体は、「外界の変化を何らかの形で「感覚」し、特定物質を作動させる化学的信号や電気的信号がある」と理解しておこう。(誤解があれば訂正します)

 

神経系の記号

神経系では電気的記号と化学的記号(さらに後になってからは、神経細胞の接続という構造的記号)、内分泌系では化学的記号、免疫系では細胞の認識というやや複雑な化学的記号となっている。それぞれの器官系で働く記号は機能に応じた特異性を持っているが、興味深いことにそれらは進化の糸で互いにつながっているのであって、分子のレベルまで奥深く辿っていけば、根源は恐らく一つであろうことを示唆している。それは恐らくは細胞としての情報交換の手段、つまり一種のコミュニケーションから発しているのであろう。このことはそれだけで一つの課題となるほどの内容を持っているが、いまはそれに深入りはするまい。ただ、神経系と内分泌系の間の関係はことに密接であって、これは神経系が活動すればしばしば内分泌系がともに活動を始めることや、心のはたらきの下敷きとして「気分」があることなどを、指摘するにとどめよう。

ただこれらの記号を比べてみるならば、新しい情報を蓄積したり、新旧の情報を照合したりする働きでは、神経系がとびぬけて有利であることは明らかであろう。何よりも記号の体系の単純さと、そのことからくる記号の照合の迅速さは、他との比肩を許さないものがある。心の座を神経系に求めようするのは、このような記号体系の独自性も大きな理由の一つである。

木下が、神経系に心の座を求めようというのは、記憶(新しい情報を蓄積)と照合(新旧の情報の照合)、一言でいえば、神経系が「情報の蓄積と照合」という機能を持つから、ということになるだろう。

なお、「細胞としての情報交換の手段」に関しては、次のイメージ図が参考になる。但し、この内容には深入りしないでおこう。

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http://www.mbl.co.jp/company_profile/images/MBL_CompanyProfile_2015-2016_biology_07.pdf

*1:脳内お花畑…精神病の一種。まるで頭の中にお花畑でもできたかのように気分が舞い上がり、正常な思考を保つことが困難となることからこのように呼ばれる。(Uncyclopedia