浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

共同体論(3) 各人は自由に、自分が良いと思う生き方を追求してよいのか?

平野・亀本・服部『法哲学』(31) 

共同体論者の言う「自由社会の病弊」とは、次のようなものであった。(共同体論(1)彼氏レンタル/彼女レンタル 参照)

  • 共同体を衰退させ、歴史や伝統に培われた共同体の価値を失わせる
  • 人間関係の希薄化を招く
  • 個々人のアイデンティティを浅薄なものにしてしまう
  • 共同体の事柄ないし公共的な問題に対する真に主体的な取り組みを難しくする
  • 個人は、市場権力(自由競争を通じ、力を持った大きな企業)によって翻弄される
  • 個人は、国家的庇護(官僚機構)の下で無力化される
  • 権力の集中が、個々人における対抗力の弱まりと主体性の喪失を招く
  • 市場価値になかなか変換できないような共有の価値である「共同体の文化や伝統」が次第に廃れていく
  • 共同体における地域的人間関係に支えられた相互扶助的なシステムがなくなる
  • 医師や大工など専門職業人の使命感や気概、誇りがなくなる
  • 公民的徳としての信頼や勇気、誠意がなくなる
  • 市場の自由競争は、価値の多元化ではなく、価値の一元化を招く
  • 平等化を推進する福祉国家は、差別の解消と引き換えに、特殊な伝統・文化を有する共同体を解体してしまう。
  • 個人利益(自分が良ければそれで良い)の追求により、家族が崩壊する(離婚、虐待、老親の遺棄)
  • (子どもの保育や老親の世話など)公的な福祉に依存することにより、家族関係が希薄になり崩壊する
  • 公共的なものへの関心の薄れが、差別を助長するとともに、窃盗、麻薬、暴力など、少年にまで及ぶ犯罪と非行の増加にもつながっていく

このような自由社会の病弊の指摘に対して、私は批判的なコメントを書いたのだが、それはこれらの指摘に概ね賛同するが、一面的な見方なのではないかということを、言おうとしたものである。舌足らずなことは承知しているが、それはこの指摘が舌足らずであろうことに照応している(と勝手に思っている)。

 

平野はこう述べている。

このような自由社会の病弊は、共同体論によれば、他でもない平等な自由を保障する自由主義的な法秩序の一つの帰結なのであり、その根本原因は、そうした秩序を支える自由主義的な正義の理論によるところが大きいとして、それが批判される。正と善の区別、「負荷なき自我」の観念、関係性の欠如という3つの点について、批判論の要旨をみておきたい。

 

正と善の区別

自由主義的な正義論では功利主義理論によるのであれ、リバタリアニズムによるのであれ、あるいはまた平等主義的な福祉国家論によるのであれ、自由・平等の権利を保障する公共的な法の枠組みの下で、各人は自由に自らの幸福を追求できるとされる。すなわち理論的に言えば、公共的な枠組みとしての「正」の原理が、多様な「善」の追求を可能にする基礎的な条件を提供する。ここには、正と善の関係について次のような3つの想定が含まれている。すなわち、正は善から区別されること、正は善に優先すること、正はいかなる特定の善の観念にも依存せず、独立かつ中立的に規定できる、ということである。

ここでの「正と善の関係」の話は分かりにくいので、前回の共同体論(2)共同体論者の自由主義(リベラリズム)批判を参照願いたい。児玉聡は、次のように言っていた。

社会の制度が、唯一の善の構想に従って作られているのではなく、各人が公正な社会の中で、自由に自分の考えに従って人生を決められるという状態を、「善に対する正の優越」と呼ぶ。つまり、社会的正義は、ある一定の善の構想に依存しないということ。(児玉)

この「社会的正義は、ある一定の善の構想に依存しない」を、もっと分かりやすく言えば、「社会的正義は、独裁者とか特定階層の人々の善の構想に依存しない」ということになろう。

では、共同体論者は、自由主義をどのように批判しているのか。「いかなる善の観念にも依存せず中立的な正の原理を定めることはできない」というのである。児玉の表現を利用すれば、「ある一定の善の構想に依存しないでは、社会的正義は定められない」ということになろう。

 

自由・平等・公正・寛容は、それら自体、「善」即ち善き生活を実現していくための価値であり、その意味からすれば一定の善が正と捉えられていることになる。正が善と結びついているとすれば、正と善の区別という自由主義理論の基本テーゼはそもそも成り立たなくなる。

「社会的正義」とか「中立的な正」とか「自由・平等・公正・寛容」とかいっても漠然としている。仮に自由主義理論の基本テーゼが「社会的正義は、ある一定の善の構想に依存しない」だとするならば、この「社会的正義」なるものが「ある一定の善の構想」に他ならない、というのが共同体論者の批判のポイントだろう。ある一定の善の構想に依存するべきではないと言っているにもかかわらず、一定の善の構想に依存している、と言いたいのであろう。

私は、「各人は自由に善の構想(幸福)を追求してよい」が自由主義のポイントとなる考えではないかと思っていて、「各人は自由に善の構想(幸福)を追求してよいのか」が問われるべき問いであると思う。「善の構想」などという言葉も分かりにくいので、「各人は自由に、自分が良いと思う生き方を追求してよいのか」と言い換えたほうが、誰もが理解できると思う。考えるべきは「各人が自由に、自分が良いと思う生き方を追求したらどうなるか?」である。

 

また、選択の自由や公正な手続以外の他の価値が重要な問題となっている時にも、それら「正」と捉えられる自由主義的な価値が維持されるべきであるのか。例えば、表現の自由は最大限保障されるべきであり、場所や態様について公共的な必要から規制できる部分があるとしても、表現内容の良し悪しを理由とする規制はすべきでない、その意味で法の中立性は維持されるべきである、とされる。内容に踏み込んだ判断は、特定の善の是認ないし否定に関わってしまうからである。

この自由主義の主張を「その通り」と賛同する人は多いと思われる。しかし、「その通り」と賛同する人は、「ヘイトスピーチ」に対する所見がなければならい。その所見なしに「その通り」と主張するなら、考えが浅いと言われても仕方あるまい。

ヘイトスピーチとは、

人種、出身国、民族、宗教、性的指向、性別、障害など自分から主体的に変えることが困難な事柄に基づいて個人または集団を攻撃、脅迫、侮辱する発言や言動のことである。…日本の市民団体によると、日本におけるヘイトスピーチの対象は在日、反原発運動、広島の平和運動生活保護など多岐にわたるとされる。Wikipedia)

「憎悪にもとづく発言」の一形態。匿名化され、インターネットなどの世界で発信されることが多い。定義は固まっていないが、主に人種、国籍、思想、性別、障害、職業、外見など、個人や集団が抱える欠点と思われるものを誹謗・中傷、貶す、差別するなどし、さらには他人をそのように煽動する発言(書き込み)のことを指す。差別の一形態とする見解もある。ヘイトスピーチを行う目的は自分の意見を通すことにあり、あらゆる手法を用いて他者を低めようとし、反対意見にまともに耳を貸すことはない。よって、憎悪、無力感、不信などを被害者に引き起こし、相互理解を深めようとする努力を無にする、不毛かつ有害な行為とされる。そのため、ヘイトスピーチを規制する動きが全世界的に広がっているが、先進国中、アメリカと日本は法的に規制していない数少ない国となっている。(2013/2/21)

憎悪に基づく差別的な言動。人種や宗教、性別、性的指向など自ら能動的に変えることが不可能な、あるいは困難な特質を理由に、特定の個人や集団をおとしめ、暴力や差別をあおるような主張をすることが特徴。欧州にはヘイトスピーチを禁止する法律を設けている国が多いが、日本にはこれを特別に取り締まる法律はない。2013年に入り、日本ではインターネット上やデモで近隣諸国に対するヘイトスピーチが急増しており、問題視されている。(2013/5/13)(知恵蔵mini)

 

平野は、次のように述べている。

しかし、そうした中立性は、例えば特定の民族を蔑むような差別的言論が問題となる場合でも維持されうるかどうか。もし差別的言論の規制を正当化するならば、中立性の原則は維持できない。差別的言論でも言論の自由によって許容するなら、平等の要請に反することになる。その他、経済活動の自由に関する倫理的規制や、個人的な選択ないし同意によらない団体責任の問題についても、正の原理では説明がつかないし、正の原理だけで適切な対処がなされうるものとも考えられないと批判される。

平野は、本書が「教科書」だからかもしれないが、態度を保留している。

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https://ipredator-educationviewsor.netdna-ssl.com/wp-content/uploads/cyber-harassment-ipredator-new-york-internet-safety-michael-nuccitelli-psy.d.-cyberstalking-cyberbullying.png

 

(参考)日本の人権状況に対する国連人権機関の懸念事項と勧告(2014/8/20)

1966年に国連で採択された「市民的及び政治的権利に関する国際規約」(1976年発効、以下「国際人権 (自由権)規約」,または「自由権規約」という)は、世界人権宣言と異なり、多国間条約である。以下、日弁連の「自由権規約委員会は日本政府にどのような改善を求めているのか」

https://www.nichibenren.or.jp/library/ja/kokusai/humanrights_library/treaty/data/liberty_rep6_pam.pdf による。

自由権規約は単に実体的な人権保障を規定するだけでなく,その実効的な実施を確保するための手段を規定しています。…さらに,自由権規約は,国連における国際人権(自由権)規約委員会による各国の規約の履行状況の監督の制度を定めています。…自由権規約委員会は、国際的に最も権威のある人権機関と考えられています。…自由権規約委員会は、規約の履行状況について各締約国の報告書を受理し審査し意見を表明[することになっています]。

2014年7月に日本政府の第6回報告書審査が実施された。審査にかかる総括所見(8月)は、A.序論。B.肯定的側面、C.主要な懸念事項と勧告からなる。このうち、C.の項目を挙げよう。国際的な人権機関が何を問題にしているのか分かる。

これまでの総括所見

委員会は,締約国の第4回[1998年]及び第5回[2008年]の定期報告書の審査後になされた勧告の多くが履行されていないことに,懸念を有する。

締約国は,委員会が今回及びこれまでの総括所見において採択した勧告を実施すべきである。

 国内裁判所による規約上の権利の適用可能性

(略)

国内人権機関

委員会は,人権委員会法案の2012年11月の廃案以来,統合的な国内人権機関を設立するために締約国が何らの進展を見せていないことに,遺憾の意を表明する(第2条)。

委員会は,前回の勧告(CCPR/C/JPN/CO/5, para. 9)を想起し,締約国に対して,人権の促進と保護のための国内機関に関する諸原則(パリ原則)(総会決議48/134,附属文書)に沿って,人権に関する幅広い権限を持ち,政府から独立した国内人権機関を設立することを再考し,それに対して十分な財政的及び人的な資源を提供するよう勧告する。

 ジェンダー平等

(略)

ジェンダーに基づく暴力及びドメスティック・バイオレンス

(略)

性的指向及び性同一性に基づく差別

(略)

ヘイトスピーチ及び人種差別

委員会は,韓国・朝鮮人,中国人又は部落民などのマイノリティグループの構成員に対する憎悪及び差別を扇動している広範囲に及ぶ人種差別主義的な言説並びにこれらの行為に対する刑法及び民法における保護が十分ではないことに懸念を表明する。委員会は,また,過激論者によるデモが許可されて頻繁に行われていること,外国人の生徒・学生を含むマイノリティに対する嫌がらせと暴力が行われていること,さらには民間の施設において「ジャパニーズ・オンリー(日本人以外お断り)」などと書かれた標示が公然と掲げられていることについて,懸念を表明する(2条,19条,20条,27条)。

締約国は,差別,敵意又は暴力を扇動する人種的な優越性又は憎悪を唱道するあらゆる宣伝を禁止し,かつ,そのような宣伝を広めるためのデモを禁止すべきである。締約国は,また,人種差別主義に反対する意識向上活動のために十分な資源を割り当て,裁判官,検察官及び警察官がヘイトクライムや人種差別主義的な動機に基づく犯罪を発見することができるように研修させることを確保する努力を強化すべきである。締約国は,また,人種差別主義者による攻撃を防止し,かつ,加害行為の嫌疑者が徹底的に捜査を受け,起訴され,そして有罪の場合には,適切な制裁をもって処罰されることを確保するため,あらゆる必要な措置をとるべきである。

死刑制度

(略)

性奴隷としての「慰安婦

(略)

人身取引

(略)

技能実習生制度

委員会は,…技能実習生制度の下において,性的な虐待,労働に関連する死亡,強制労働にもなりかねない労働条件に関する報告が多く存在することに,懸念をもって留意する。…(以下、略)

強制入院

委員会は,多数の精神障害者が極めて緩やかな要件の下で強制入院を余儀なくされ,かつ,自らの権利侵害に対して異議申立てをする効果的な救済手段を利用できないこと…(以下、略)

代替収容制度(代用監獄)と強制された自白

(略)

難民申請者及び非正規滞在者の退去強制と収容

委員会は,退去強制手続中における虐待に関する複数の報告事例について懸念を表明する。結果として,2010年には1人が死亡している。…(以下、略)

 ムスリムに対する監視

委員会は,法執行官によるムスリムに対する監視活動が広く行われているという報告について,懸念を有する(2条,17条及び26条)。…(以下、略)

拉致及び強制による改宗離脱

(略)

「公共の福祉」を理由とする基本的人権の制限

委員会は,「公共の福祉」の概念が曖昧かつ無限定であり,かつ,規約(2条,18条及び19条)の下で許容される制約を超える制限を許容する可能性があることについて,繰り返し懸念を表明する。

委員会は,前回の総括所見(CCPR/C/JPN/CO/5, para. 10)を想起し,かつ,締約国に対して,規約18条3項及び19条に定める厳格な要件を満たさない限り,思想,良心,宗教の自由又は表現の自由を享受する権利に対して,いかなる制限も課すことを差し控えるよう,強く求める。

 特定秘密保護法

委員会は,近年国会で採決された特定秘密保護法が,秘密指定の対象となりうる事項の定義が曖昧かつ広汎であること,秘密指定の要件が漠然としていること,及びジャーナリストや人権活動家の活動に対して萎縮効果をもたらしかねない重い刑罰が規定されていることに懸念を有する(19条)。…(以下、略)

島原子力災害

(略)

体罰

委員会は,体罰が学校において明文で禁止されているだけであって,これが蔓延し,社会的にも受け容れられていることに対し懸念を表明する(7条及び24条)。…(以下、略)

先住民

(略)

 

表現の自由」との関連で、「ヘイトスピーチ」の部分だけとりあげようかと思っていたのだが、国連人権機関が何を問題にしているのかを知る意味で、項目タイトルだけでも書いておくことにした。

 

表現の自由」と「ヘイトスピーチ」については、次回にとりあげる予定。(とりあげないかもしれない)