浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

パヴロフの犬

木下清一郎『心の起源』(14)

第2章 心の原点をたずねる 第5節 生得的情報から自発的行動へ の続きである。

条件反射

動物がある刺激を受けると、否応なしに一定の反応が起こってしまうことがある。これは生得的反射であって無条件反射と呼ばれる。これに対して条件反射と呼ばれるものがある。生得的な反射行動が起こっている時に、これと同時に(あるいはわずかに先立って)、その反射とは無関係な知覚刺激が繰り返し与えられると、反射の誘因であった刺激がこなくても、本来ならば無関係であったはずの刺激のみによって、さきの生得的反射が引き起こされるようになってしまうことをいう。

これは生得的な刺激の代わりに後天的な刺激によっても、ある条件のもとでは反射行動を引き起こす誘因となり得たことを示している。この現象を実験的に示したのはパヴロフであって、犬を使ってベルの音によって唾液の分泌を起こさせるようにした実験は有名である。生物学の用語では、条件反射を成立させることになった知覚刺激を条件刺激といい、そこに至るまでの過程を条件付けといっている。

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http://diamond.jp/articles/-/109557

 

「不眠」に悩む人は多いが、睡眠専門医の坪田聡は、即寝の技術(布団に入って、すぐに寝落ちするための技術)というものを紹介している。(http://diamond.jp/articles/-/109557

「即寝」のメリットは、睡眠に費やすムダな時間を削ることだけではない。「ふとんに入るとすぐに眠れる」という癖をつけることで体が眠ることに慣れ、ノンレム睡眠への導入時間が短くなるのだ。この導入を早くすると脳と体が急速に回復する。…(布団に入っても寝付けないというのは)多くの場合、「睡眠空間」を整えられていないことに原因がある。ふとんが「眠る場所」になっていないのだ。ふとんの上でゴロゴロしながらテレビを観たり、スマートフォンをいじったりすることが習慣になっている。すると脳は、ふとんを「眠る場所」ではなく、リビングのソファーのような「ダラダラ過ごす場所」として認識してしまう。

そこで「条件反射」を利用する。

「ふとんの上=眠るだけの場所」と条件づけをしてしまうのだ。条件反射を利用し、「ふとんの上は、眠る以外に何もしない場所」とイメージづけをするこの方法は刺激コントロール法と呼ばれ、アメリカで30年ほど前に開発された。ふとんの上を「眠るだけ」の環境にするためには「寝室に何も持ち込まない」ことが大切。テレビもスマートフォンもパソコンも食べ物・飲み物もすべて持ち込み禁止。そして寝る直前に寝室に入る。これを習慣づける。…条件反射という意味では、眠れないまま、ずっとふとんにいることもよくない。これを続けると、今度は「ふとん=眠れないところ」と条件づけられてしまい、不眠症になってしまう。ふとんに入って30分以上眠れない場合は、まだ心身ともに「眠るとき」ではないと考え、思い切ってふとんから出よう。そして、次のことをしながら、眠くなったらふとんに戻るとよい。(1) ホットミルク、ハーブティーを飲む、(2) クラシックやヒーリング音楽を聴く、(3) ストレッチをする。

これでもダメなら、専門医に相談したほうがよいかもしれない。

ここでこの話を紹介したのは、「条件反射」というと、私には次に述べるように悪いイメージ(固定観念)があったのだが、発想を柔軟にすることによって、このような効果を期待できることになるということに、あらためて気づかされたためである。

 

空白な記憶から正の記憶へ

条件反射が成立した後でも、別の刺激を用いてあらためて条件付けをやり直せば、かなりの時間はかかるが、いったん条件刺激を別のものに置き換えることができる。このように知覚刺激の刻印が可逆的であり可塑的である点が、条件反射の特徴である。前にふれた刷り込みの段階では、用途の決められた空白のページがあって。そこには情報の書き込みが一回に限って許されており、取消は不可能であったが、条件反射の段階に入ると、情報を何度でも書き込んだり消去したりして(つまり取消可能となって)、反射行動を誘発する条件刺激として使えるようになったのである。ここまできて初めて「正の記憶」の一つの祖型があらわれたとみてよいであろう。

先に挙げた刷り込みといま述べた条件反射とを、単純に並べるのは若干の飛躍と無理があるが、あえて比較を試みるならば、この両者のもっとも大きな変化は、行動を誘発する誘因とそれによって実現される生得的の連結様式にみられる。即ち、刷り込みでは解発刺激と行動パターンの連結は固定的であって変更不可能であったが、条件反射になると条件刺激と反射行動の連結は可塑的で変更可能になっている。実はこの変化こそは、これに引き続いて起こる意志行動への大きな変動の伏線となっているのである。

ある人(A)が、自分の気に入らないことを言った(した)とする。最初は「イヤな奴だ」と思うが、それまでのことだ。しかし、これが何度も続くと、Aの名前を聞いただけで、「イヤな奴」という反応がおきる。ある人にとっては、トランプ=イヤな奴、安倍晋三=イヤな奴、となる。レッテル貼りである。言うこと為すことすべてに反対するようになる。こうなると、Aが自分と同じ意見を言っても、何かウラがあるに違いないと思うようになる。このレッテルをはがすのは容易ではない。この場合、Aの名前は、パヴロフの犬にとってのベルになっている。

ある国(B)が、自分の気に入らないことを言った(した)とする。最初は「イヤな国だ」と思うが、それまでのことだ。しかし、これが何度も続くと、Bの名前を聞いただけで、「イヤな国」という反応がおきる。ある人にとっては、北朝鮮=イヤな国、中国=イヤな国、となる。レッテル貼りである。言うこと為すことすべてに反対するようになる。こうなると、Bが自分と同じ意見を言っても、何かウラがあるに違いないと思うようになる。このレッテルをはがすのは容易ではない。この場合、Bの名前は、パヴロフの犬にとってのベルになっている。

私はこのレッテル貼り=条件反射のメカニズムが、「争い」を避けられなくしているのではないかと思う。それは、生物にとって(食物連鎖を考慮すればわかるように)「生存」のありかたに関わるものであるようだ。ではそれは「不可避」なのか。…この話は、いずれまた。

まあ、教訓としては、「名前」で決めつけてはいけない、という平凡なものに落ち着くわけだが、「名前」で決めつける言動が、(学歴とは関係なく)広範にみられるということには、どうすればいいのか?

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誘発から自発へ

介在神経での情報の刻印のされ方が変化していくにつれて、知覚と行動の情報はここを中心として統合されるようになる。これまでの介在神経の役割は、知覚情報と行動情報との橋渡しに過ぎなかったが、ここからは介在神経の回路で蓄積され統合された情報によって行動が支配を受ける、この転換は画期的な出来事と言うべきであろう。というのは、これを契機としてこれまで環境に対してもっぱら受動的であった動物が、環境に対して能動的に働きかけるようになるからである。この画期的な転換を可能にしたものが記憶の成立(本来の意味での)であったことは重要な点である。

「介在神経の回路で蓄積され統合された情報」により、心(意識)が成立し、受動的な行動から能動的な行動に転換した、というのが木下の主張(仮説)であるようだ。しかしこれが意味するとところは、まだ漠然としている。

これまでは環境から受け取る情報によって、行動は誘発されるのみであったが、ここで初めて内部から自発する情報によって、環境を変化させるような行動を選択できるようになった。誘発から自発へ行動様式を転換したところに、意志行動の芽生えが認められるといってよいであろう。選択と言う過程に意志の祖型が見出されると考えるのである。しかし、そこはまだ未知の世界である。いまはまず心の源泉をたずねる作業をしているのであった。その仕事を終えてから、あらためて思考や意志の問題に入るのが順序であろう。

木下が「誘発から自発への行動様式の転換」というところがポイントだろう。それはどのように証明されるのか。

長々とみてきたが、本能行動から意志行動に至るまでの変遷で、もっとも顕著であったことは「記憶」の成立であった。記憶が成立した瞬間に、動物は従来の受け身一方の機械的な体制から脱却し、行動の自発性と能動性を獲得したとすれば、まさにその時点で、自らの中に今までなかった何ものかを生ぜしめたと考えられる。これは心の始まりとみなしてよいものであろう。私たちがずっと求めてきた心の原点が、やっとその姿を見せ始めたように思われる。 

 「自らの中に今までなかった何ものかを生ぜしめた」というが、それは「記憶」(介在神経の回路で蓄積され統合された情報)、何ものかを生ぜしめた、というのだろうか。それとも、X記憶(情報)を使って、何ものかを生ぜしめた、というのだろうか。

 

ここで立てた仮定はつぎのようである。

(4) 神経系が発達するにつれて、神経回路での情報処理の過程は変化していく。まず生得的な本能情報が刻印されるが、やがてこの回路を修正して、後天的な知覚情報を可塑的に刻印することを可能にする。