浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

Zマシンは核実験装置か? 科学批判の思想

加藤尚武『現代倫理学入門』(32)

今回は、第15章 科学の発達に限界を定めることができるか である。

ながらく人間の文化には、科学や技術の目的の倫理性と道程の安全性についてチェックするシステムが存在しなかった。科学技術から生まれた自然破壊などの否定的な結果を見ると、科学技術開発の自由を制限し、人間文化のこれ以上の科学化を止めさせて、科学文化を小さな規模のものにした方が良いという意見が出ている。

「科学や技術の目的の倫理性」なぞ、誰がまともに考えているだろうか。せいぜいが「それがあれば、便利でいいな」くらいだろう。もちろん、A氏は自分が関わっている「科学技術」について、その「目的」を問われれば、「〇〇」と答える(紋切型の答え)。「〇〇」について、それ以上問われることはない。なぜなら、A氏が答えに窮するような質問をすることは、タブーなのである。A氏が答えに窮するのは、「目的」が「倫理」に関わってくるからであり、そこはA氏の専門領域ではない。

原子爆弾、環境汚染、公害病、資源枯渇が、何から生まれたかと言えば、科学と技術から生まれたことは確かである。果てしない科学化と技術化の動向に、どこかでストップをかけて、生活の中の自然らしさを保つようにしないと、人間性が破壊されてしまうと恐れる人々が出てきた。現代文化の全面的な技術化・機械化に歯止めをかけないと、人間の内なる自然も、外なる自然も破壊されてしまうという警告が出されるようになった。

人間性の破壊」というと難しく聞こえるが、「日々の生活が破壊される」、「心身が傷つけられる」という意味に理解しておく。誰が、「日々の生活を破壊し、心身を傷つける」のか。それは「国益を追求する政治家・官僚」であり、「利益を追求する私企業」であるのではないか*1。彼らに雇用される(または契約する)科学技術者は、この意味で、「日々の生活を破壊し、心身を傷つける」加害者となりうる。

核兵器に関する科学者の責任を論じた唐木順三[1904-80、評論家、哲学者、思想家]の次の言葉は、『沈黙の春*2についての責任を含むものと考えてよいだろう。

核兵器は絶対悪であるという発言、弁解の余地のない無条件悪という発言は、人と言う種の一員としての発言、あるいはhumanity[人間性]そのものからの発言と受け取るべきであろう。私の素朴な疑問を率直に言えば、絶対悪であると断定されている核兵器を作り、その実験に携わったものはもちろんのこと、それの根拠となる理論、条件を明らかにした現代物理学、例えば素粒子論、巨大な実験装置……等々に直接・間接に関与している学者・技術者もまた<悪>に引きずり込まれた者とすべきではないかという点である。(『科学者の社会的責任についての覚書』、1980)

核兵器は「弁解の余地のない無条件悪」であるというのは、「人を殺傷してはならない」という証明不要の価値前提(「証明なしに受け入れましょう」という価値)である、と考える*3北朝鮮の核実験やミサイル実験に反対するのは、この価値前提からの当然の帰結である。それは米国、ロシア(ソ連)、イギリス、フランス、中国、インド、パキスタンについても同様である*4

但し、「素粒子論、巨大な実験装置等々に直接・間接に関与している学者・技術者」を、すべて「<悪>に引きずり込まれた者」とするのは言い過ぎだろう。

 

科学批判の思想

第一に、科学が生命を破壊することによって、非人間化した。科学は、人間性に適った目的に奉仕するのではなくて、直接に人命を大量に破壊する武器を生みだした。また、安いエネルギーを入手する、害虫を駆除する、農業の生産性を高める、便利な品物を作り出すという、それ自体としては、人間のためになる目的に役立つ技術が、反面で、人間の心身の健康を損なうような結果を生みだしている。技術の一面的な機能が高能率化し、地球の生態系を破壊するまでの規模に達したためである。

科学技術者は、間接的にではあれ、科学技術がこういう帰結をもたらす可能性に無自覚であってはならないだろう。人は、科学技術者である前に人間である。(私は、兵器製作に従事する科学技術者の人間性を疑っている)

第二に、本来は手段の体系である科学・技術が巨大な枠組みとなって一人歩きして自己目的化し、人間が逆にその枠組みに巻き込まれ、巨大装置が実現する目的に逆に人間が隷属する結果となっている。人間は装置の中で目的設定の自律性を失っている。これは社会制度が独り歩きして、個人が<自己>を喪失してしまったことと結びついている。

 科学技術に限らず、一般に「社会制度」は硬直化する、「社会制度」に人間が隷属する傾向がある、というべきかもしれない。とりわけ自らが関与しない(できない)制度に関しては、「目的設定」の自律性など最初からない。

第三に、技術の規模が巨大化したブラック・ボックスとなり、その中にいるどの人間も見通せないほどになっている。人間が見たり、経験したりすることは、それぞれの人間の専門に応じた細分化された部分だけであり、全体を見る視点はどこにもありえないという事態になっている。

「ある装置」に関しても、それが作動するためには、ほとんど無数の要因がからむ。それらの全体を見渡すことは不可能である。全体を見る視点など、そもそもありうるのだろうか。…それでも多様な視点から見るというのは肝要なことだろう。

第四に、科学は、本来、二元論の立場に立って、自然の外部から、自然の人間の調和・内的な生命の破壊をあえてしてまで、自然の秘密を明らかにしようとするもので、科学の本性に、自然からの離脱と、自然破壊が含まれている。

これは一つの自然科学観だろう。「科学の本性に、自然からの離脱と、自然破壊が含まれている」というのは、違うのではないか。

第五に、技術の自然化(太陽エネルギーの利用、天敵による害虫駆除など)と小規模化によって、技術を人間化しなければならない。「人間は小さいものである。だからこそ小さいことはすばらしい」。

これは、シューマッハーの主張かもしれないが、文字通りには受け取れない。

*1:この単純な物言いには、当然に反論が予想されるが、ここは「問い」を提出したのである。

*2:沈黙の春…米国の生物学者レーチェル・H.カーソンが1962年に刊行した著作。カーソンは,当時米国の各地で行われていたDDTなど有機塩素系農薬の大量空中散布によって,野鳥や魚介類などが大きな被害を受けるだけでなく,散布された農薬が農作物や魚介類に残留して人体に取り込まれ,人の健康に悪影響を及ぼす危険性があることを,この本で初めて警告した。(百科事典マイペディア)

*3:これは一つの「論点」ではあるが、詳細は別途。

*4:

Zマシン(ずぃーマシン)…アメリカ合衆国のサンディア国立研究所が保有する核融合実験装置であり、2016年現在世界最強のX線発生装置でもある。世界各国で行われている核融合研究の主流とは大きく異なる、Zピンチと呼ばれる物理現象を利用した実験装置であり、これによって発生させた強力なX線で物質を爆縮し、熱核兵器の内部と同程度の極度に高温、高圧の条件を作り出すことができる。この方法により、2003年3月には重水素燃料のみで核融合を達成している。この装置はサンディア研究所のパルスパワープログラム (Pulsed Power Program)の一環を成し、その最終目的は慣性閉じ込め方式核融合(Inertial Confinement Fusion : ICF)プラントの可能性の実証とされているが、米国の核兵器備蓄性能維持計画(Stockpile Stewardship Program)の一環として、2006年から2007年にかけての大がかりな改造においてはエネルギー省(DOE)傘下の国家核安全保障局 (NNSA:Stockpile Stewardship Program を実行するために2000年に新設された機関)から多額の資金供給を受けている改造後はNNSAの下で臨界前核実験(Subcritical Experiment)を補完するための実験装置としても利用されており2010年11月には最初の少量プルトニウム実験を実施して物議を醸している(この実験は、マスメディアなどでは臨界前核実験とは区別して「新型核実験」と呼んでいる)。この新型核実験は、判明しているだけで今までに12回実施されており(2014年11月の時点、最新のものは2014年10月3日実施)、NNSAの担当者は中国新聞の取材に対して「1回の実験で使用されるプルトニウムは8g以下」と答えている。

f:id:shoyo3:20170827115352j:plain

http://atomictoasters.com/wp-content/uploads/2012/03/z-machine.jpg

 

2014年4月5日に朝日新聞は、Zマシンの日本の報道機関への初公開を伝える記事において、「研究所によると、実験では、X線は照射されず、核分裂反応も一切起きない。爆発に近い状態を再現しているわけではないという。」という証言を載せているが、これが事実であれば新型核実験の真相を示唆する情報であり、X線による爆縮ではなく、Zマシンによって行われている別の実験プロジェクトである、強力な磁場による金属ペレットの加速技術(20㎞/sまでの加速に成功してる)を用いて、経年劣化したプルトニウムの高温、高圧下での精密な状態方程式を構築することが新型核実験の実態である可能性が出てきた。このような方法が可能であることは、既に2001年のサンディア研究所のニュースリリースにおいて触れられている。(wikipedia