気の向くままに

井蛙は以って海を語るべからず、夏虫は以て冰を語るべからず、曲士は以て道を語るべからず

心の働きの最初の兆候を、行動の能動性の発揮という点に認めるとするならば、それは記憶の成立から始まる

木下清一郎『心の起源』(15)

今回は、第2章 心の原点をたずねる 第6節 負の記憶・空白の記憶・正の記憶 である。これまでの「まとめ」でもある。

本節を読んで、木下の言わんとすることがようやく少し分かってきたような気がする。(以下に述べることは「素人考え」ですので、誤りがあれば指摘して下さい)

  • 木下は、「心の起源」を探っているのであって、「人間の認知機構」を解明しようとしているのではない。
  • 「心の起源」の話は、「生物」を前提しているだろうが、「人間」を前提していない。
  • 「生物」という場合、木下は「動物」を意識しているかもしれないが、これを前提してしまうと、例えば「植物の心」とか、「細菌の心」とかが問題にされなくなる。
  • 「心」というわけの分からないものを、神秘的に理解する(宗教)のではなく、理性的に理解したい。
  • 「心」というわけの分からないものを、言葉の言い換え(哲学)で理解しない。
  • (人間以外の生物に)「心」があるのではないかと思わせるのが、「自発的行動」とか「能動的行動」とか言えるような行動を「見る」(観察する)ときである。(「能動的行動」は、「受動的行動」に対応する)
  • 「能動的行動」には、「記憶」が関与しているかもしれない。「記憶」なしには「能動的行動」は成立しないかもしれない。

 

木下は次のように述べている。

記憶の成立まで

私たちは心の起源をたずねて、ここまで探索をつづけてきたのであったが、介在神経系内に情報の可塑的な刻印が可能になった時点が、一つの大きな転換点であったことにあらためて気づかされる。なぜなら、ここを境にして誘発的行動から自発的行動へ、受動的行動から能動的行動への転換が起こっており、能動的行動の出現は心の誕生と深く関わっているからである。この転換を可能にしたものが、「負の記憶」に始まり、「空白の記憶」を経て、「正の記憶」に至るまでの記憶の変遷であったとするならば、記憶の成立は心の誕生にとって要の位置を占めていることになる。それは「記憶以前の記憶」から「真の記憶」に至るまでの推移である。この推移はもう少し深く掘り下げておきたい。

記憶の働きを分解してみると、情報の刻印にあたる「記銘」、それを保存し続ける「保持」、これを再現させる「想起」の三つの機能が併せ含まれている。その一つを欠いても真の記憶とはならないであろう。さきの変遷の過程を通じて、これらの三機能はどういう順序であらわれて、真の記憶の完成にまで至ったのかを振り返ってみよう。

  •  誘発的行動から自発的行動へ、受動的行動から能動的行動への転換…この転換を可能にしたものが記憶。
  • 能動的行動の出現 → 心の誕生
  • 記憶の3つの機能…記銘、保持、想起

 

1.本能の段階

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まず本能の段階からみていこう。本能行動を誘発する因子(リリーサー)に着目してみると、それが何であるかはすでに生得的に刻印されたまま封印されており、あらためて記銘したり保持したりする必要はない。これを先に「負の記憶」と称したのであった。しかし、外界からある刺激が入ってきたときには、封印は破られて照合することができるのであるから、想起の能力はいつでも働けるようになっている。つまり、記銘・保持・想起という記憶の3要素のうち、記銘と保持とは全く固定的であって変更される余地はないが、想起のみは外からの刺激に応じて検索されて照合の場にあらわれる。ここに固定の枠から自由になった想起の能力があらわれているとみられよう。

ここでの木下の「想起」の説明はよく分からない。「想起のみは、外からの刺激に応じて検索されて照合の場にあらわれる」とは、どういう意味か。

「動物の形態,色,発音,におい,動作などのあらゆる特性がリリーサーになりうる。多くのガの雌が放散するにおい(性フェロモン)は,雄の配偶行動を促すリリーサーである。」(世界大百科事典)。雄の配偶行動が促されるためには、その匂いが識別されなければならない。識別とは、当該性フェロモン(化学物質)と他の匂い(化学物質)との識別である。これを「想起」というのは、ちょっと違うような…。

「検索されて照合の場にあらわれる」…何があらわれるかといえば、(雄にとっては)遺伝的に組み込まれている「雌が放散するにおい(性フェロモン)」である。しかしこれはおかしな表現である。異性が発散する性フェロモン(化学物質)を受容する回路が遺伝的に形成されている。外界から投入されてきたにおい(化学物質)が、受容回路にマッチングすれば、性フェロモンとして作動する。というのが客観的な記述ではなかろうか。「想起」とか「検索」とか「照合」という言葉には、「意識的な主体」が前提されているようなニュアンスがある。

 

2.刷り込みの段階

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次に刷り込みの段階に進んで、同じくリリーサーに着目してみよう。ここではリリーサーの枠が空白のままになっていて、その空枠に後から後天的因子が組み込まれないと完成しない。本能では生得的に刻印されていたはずの情報が取り払われて空白のままになっている。それで先には「空白の記憶」と名づけたのであった。この空白部分を使って後に刻印が為されるのであるが、これは記銘に相当するものであろう。しかし、その刻印は動物が幼児の一時期にただ一回限り許されており、何が刻印されてもそれを受け入れはするが、後からの変更は許されない。このように不可逆的な刻印であるという点で、真の記銘にはまだ隔たりがあるものの、記銘の能力の原型があらわれたと見よう。

「刷り込み」という現象を、「ある行動」と、「その行動を誘発する要因」(リリーサー、後天的に与えられる)の関係として捉え、人間社会にあてはめて考えてみると面白い例はいろいろ考えられようが、本書の趣旨から外れる。

いまは「心の起源」を考えている。そして「能動的行動」を可能にするであろう「記憶」に焦点をあてている。ここで着目しているのは「リリーサー」である。世界大百科事典は、「動物の形態,色,発音,におい,動作などのあらゆる特性がリリーサーになりうる」と言っていたが、この意味でのリリーサーは、本書が、1.本能の段階、2.刷り込みの段階、3.条件反射の段階、4.意志の段階に区分して説明している「リリーサー」すべてを含んでいると思われる(図参照)。

リリーサーのうち、「音声」に注目してみよう。思春期*1において(直接・間接に)出会った「ある異性の声」*2が、(諸々の要因の影響を受け)甘美な気持ち(恍惚感)で感受されるとき、それはリリーサーとなりうる。その声をきくとき、行動が誘発される。

 

3.条件反射の段階

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最後に条件反射の段階まで進んでみる。ここでは条件刺激がリリーサーに相当すると考えるならば、条件付けでは情報の刻印のされ方がもう一段の変化を受けていると言える。条件刺激となるべき情報の刻印は幼児とは限らず、動物の生涯を通じて可能であり、刻印された情報は後から差し替えられる、つまり、情報の記銘とその保持とは可逆的になった。先の刷り込みでは、刻印はあらかじめ用意されていた空白のページにのみ許されたのであったが、条件反射では恐らく知覚領域のかなり広い部分が解放されて、そこへの刻印はすべて条件刺激として共用されるようになっている。その上、いったん刻印された情報も新しい情報に置き換えることが出来るのであるから、保持は固定的ではなく可逆的になっている。こうして保持の能力に可塑性が与えられたことになり、ここで記憶の3要素の原型が揃ったことになる。

ちょっとした「しぐさ」は、条件反射になるだろうか。

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4.意志の段階

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 ここまでの経過をまとめてみると、記憶の要素をなしている三つの機能は、同時にあらわれたものではなく、次々に付け加えられていったもので、その順序は次のようになっている。即ち、本能の段階で「想起」の機能が現れ、刷り込みの段階では不可逆的ながら「記銘」が、さらに条件反射の段階に至って可逆的な「保持」(つまり「保持」と「抹消」)の機能が加わってすべての要素が揃い、ここで初めて真の記憶が成立したのである。記憶の成立と共に、これまでひたすら受動的であった生物は、能動的にふるまう基盤を持ったことになり、自らの主体性を確立し始めたと言えよう。

木下は、リリーサーに着目して、記憶の3要素(記銘、保持、想起)を考えている。そして、この3要素が揃って初めて記憶が成立し、「能動的行動」の基盤を持つことになったという。でも未だ腑に落ちない。

 

しかし、記銘、保持、想起のいずれをとっても、記憶の生物学的な内容は未だ何も明らかになっていない記憶として働くからには、情報は将来の検索に備えて抽象化され、新しい記号体系に移されて収納されていなくてはならないが、そういうことについても分かっていない。従って、これからの議論では記憶というものを括弧に括ってしまい、一つのブラックボックスとして扱わざるを得ないという困難さを抱えている。 

 「腑に落ちない」というのは、こういうことなのだろう。木下は「記憶の生物学的な内容」を説明していない。「記号体系」についても説明していない。

そういう困難にもかかわらず、心の働きの原点に記憶の成立があり。ここから心の将来の発展が始まっているであろうという仮定を立てた。というのは、生物学的にたどってみる限り、記憶以外のものを心の源流に見出すことは出来ないように思うからである。

ここで立てた仮定は次のようである。

(5) 心の働きの最初の兆候を、行動の能動性の発揮という点に認めるとするならば、それは記憶の成立から始まる。

 今後、「記憶」の話を木下以外から聞くこともあろうが、その際、「受動的行動から能動的行動」への説明になっているか?ということを頭においておくのがよいだろう。

 

私は、遺伝情報、環境情報を取り込んだ、神経回路内での「情報処理のありかた」の解明こそが、「心」の解明の最も有効なアプローチのような気がしている。

*1:刷り込みは「幼児期」や「思春期」に限定する必要はないのではなかろうか。

*2:例えば「鼻にかかった声」というのがあって、一部の男性を惹きつける。