浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

デザインとは何か?

柏木博『デザインの教科書』(1)

第1章 デザインって何? 4つの視点が挙げられている。

 (1) 心地良さという要因

 (2) 環境そして道具や装置を手なづける

 (3) 趣味と美意識

 (4) 地域・社会 である。

柏木の説明を聞く前に、この視点について言えば、デザインが「設計、計画、意匠」などの意味を持つことからすれば、(2)は「設計」、(3)は「意匠」の意味で何となく分かるが、(1)と(4)の視点はちょっと意外に感じた。

 

視点1 心地良さという要因

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 スコットランドグラスゴーでチャールズ・レニー・マッキントッシュ[1868-1928]が20世紀初頭にデザインしたウィロー・ティールームという喫茶店では、椅子の背もたれを高くして人の視線を遮るようなデザインをしている。マッキントッシュが視線をどう扱うのかということを問題にしていたことがわかる。

どうすれば心地よくすることができるか。そのことに私たちは心をくだいて生活している。どれほど狭い住まいであっても、そこを少しでも快適にしたいという気持ちは誰にでもあるはずだ。私たちはわずかでも「居心地の良さ」を求める。どうやら私たちの中に、そうした状態を求める根源的な欲望があるようだ。

喫茶店で心地よく過ごすために、椅子の背もたれを高くする。それは椅子のデザイナーの発想か喫茶店主の要望か分からないがなかなか興味深い。

現代の感覚で言えば、ハイバックチェアは、背中まで支えてくれてリクライニングであればいいだろうが(ヘッドレスト付であれば頭も支えてくれる)、喫茶店のような場所では実用的であるとは思えない。ところが「心地よさ」を求めて「視線を遮る」というニーズがあったのであれば、美的要素も取り入れて、マッキントッシュのようにデザインされるのだろう。

ここで大事なことは、座る人と椅子の関係だけでなく、その椅子がどういう「場」に置かれるのか、その「場」において、椅子がどういう機能を果たすのかを考慮に入れてデザインすべきということであろう。その際のキーワードが「心地よさ」である。

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視点2 環境そして道具や装置を手なづける

アフォーダンスが、私たちに対する対象物の持ついわば「潜在的有用性」だとすれば、それに対する人間側からの人工的働きかけを「表象行為」と言ってもいいだろう。その「表象行為」をデザインと言い換えることも出来る。

こういう表現に出会うと、(ギブソンやノーマンの)アフォーダンス概念について詮索したくなるが、ここで深入りしてもしょうがないと思うので、次に進もう。

椅子をはじめとして様々な家具は、それらが使われる場所や使われ方によってデザインの変化を生みだしていく。このことは家具に限られたことではない。…もちろん、使い方によってだけではなく、時として形態的な差異をつくることそのものが目的化されてしまったことも否定できない。形に対する好みや趣味があるからだ。…道具は身体の延長といえる。またそうした道具を進化させ、複合化し、さらに新たな道具を生みだしてきた。こうしたことが、デザインの進化であり、デザインのバリエーションを生みだしてきたのである。…自然や道具や装置を手なずけていくことの一連の実践がデザインの役割である

道具や装置の「設計」の意味では、その通りだろう。「手なづける」という言い方は面白い。

この後、柏木は、自然を手なづけることが、近代産業では自然の収奪や搾取とつながるというような言い方をしているが、これでは話が拡散してしまう(焦点ボケする)ように思われるので、コメントしないでおこう。

 

Hot Candy Heater(アルコールストーブ専用ヒーター)

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視点3 趣味と美意識

日々の暮らしの中で使う道具や衣服や家具などに、私たちは古くから装飾を施してきた。装飾は、道具や衣服や家具などに、あるときは親しみや使う楽しみを与え、またあるときは荘厳な雰囲気を与えてきた。…ニワシドリのように装飾する動物が人間以外にも存在することが知られている

ニワシドリ(庭師鳥)の愛の巣

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https://matome.naver.jp/odai/2138734842643069001

 

美術史家のエルンスト・H・ゴンブリッチ[1909-2001]は、人間の装飾を成立させているのは、「秩序の感覚」であるとしている。また、装飾を生みだすことは、動作の熟練と関わっているのだともいう。動作の熟練を様々なことに利用するところにまた人間を特徴づけるものがある。熟練した動作を私たちは、編み細工や彫刻に向けてきた。それは装飾の発生と結びついている。人々は、秩序を持った幾何学的な模様と共に、植物や動物を装飾に使ってきた。こうした装飾は、文章でいえば、「いろどり」「あや」(彩)つまり文彩(ぶんさい)にあたるだろう。文彩はフランス語ではフィギュール(figure)というが、この言葉には「顔つき」「図形」などといった意味もある。英語のフィギュアも、文章の「修辞」の意味と同時に、「図案」などの意味がある。また、音楽における「音型」あるいはモティーフを意味する。文章を「いろどる」ことや音楽における一連の「音型」(モティーフやフレーズ)を作ることもまた、「図案」を作る、つまり広い意味での装飾を作ることに他ならないだろう。…

ヨーロッパの装飾の歴史を振り返ると、過剰に装飾することと装飾をできるだけ抑えて簡素にすることとが、相互に行われてきたと言われている。…視点を変えてみれば、非装飾的であることも、また装飾的秩序の意識によっていると言えるだろう。

 「装飾」が美意識に直結する。いたずらに飾りたてるのではなく、「非装飾的であることも、また装飾的秩序の意識によっている」という意味においてである。なお、「秩序の感覚」の話は後で出てくるので、ここではふれないでおく。

装飾的なものと非装飾的なものは、文字のデザインから家具そして建築など巨大なものにいたるまで、そこここに見ることが出来る。例えば、文字で言えば、16世紀前半のドイツのヨーハン・ノルディアによる「古ラテン文字基礎教程」や画家のアルブレヒト・デューラーによる「測定論」に現れる文字は、均整のとれた非装飾的なデザインだが、17世紀初頭のパウル・フランクによる「花文字」は解読しにくいほどの装飾的なアラベスクとなっている。

 

非装飾的なデザイン:アルブレヒト・デューラー

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装飾的なデザイン:パウル・フランク

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https://www.pinterest.jp/taz1958/~-calligraphy-~/?lp=true

 

メイリオの誕生

文字のデザインと言えば、メイリオの話が思い浮かぶ。グラフィック・デザイナー、河野英一がデザインしたフォント「メイリオ」である(Windows Vistaから標準で添付されている)。私は、Windows 7から利用している。それまでは、MS P明朝MS Pゴシックを使っていたが、不満が残るフォントであった。

メイリオ――横書きを前提に欧文・和文が混在するテキストを表示したときに美しく文字が組まれること、ディスプレイで読むことを最優先として液晶ディスプレイのサブピクセル表示を使ったスムーズな文字を作ること。こうしたマイクロソフトの要請のもと、河野氏メイリオに取り組み始めたのは2002年のこと。後にメイリオと名付けられるフォント作りの決定は、偶然の産物だったという。「2002年の9月に試作フォントをプレゼンテーションしたときに、たまたま当時日本のマイクロソフトの会長だった古川享さんが、同じビルに来ていらしたんです。それで偶然私が試作したフォントを見て、これ、いいじゃないかとなったんです」。「古川さんはビル・ゲイツと親しかったので、会議の席で、“これはやるべきだ、やらなければバカだ”ぐらいのことを言ったわけですよ。ビル・ゲイツは半信半疑だったんでしょうけど、古川さんがそこまで言うならというので、承諾しました。私はラッキーだったんですね。それで翌月の10月には予算が下りたんです」。古川氏は、このときの経緯を振り返るブログ記事の中で、「これに投資しなくて、なにが次世代のWindowsだ」とビル・ゲイツ氏と議論でやり合ったとしている

「木から森をいかに作るか」という次の話は面白い。

「日本語フォントで画面用に適しているものを指摘してほしいとマイクロソフトに依頼されました。でも2002年当時、画面に適したフォントはおそらくないので作るしかないとお答えしました」。実際には当時、すでにアドビ システムズ、写研、モリサワ、タイプバンクなどがフォントのデジタル化を進めていたのだが、いずれもコストや権利処理の問題から候補とならなかったという。「何もないところから4万とか5万もの字をどうやって作るのか。ちょうどその頃うまく見つかったのがC&Gという会社です。日立のワープロ時代から文字を作っていた坂本達さんが作った会社です。昔のワープロはドットの文字で、画面上でどう見えるかについては非常な経験がある」。「この人なら製作の問題点を聞いてもらえると思って話をしたら、C&Gは台湾のアーフィックという会社と提携しているということを知りました。アーフィックは漢字処理技術で進んでいました。例えば“木”という文字のアウトラインを作って、それを上手に解析して“林”や“森”になったときに、どういうポジションでどういうバランスになるかという処理に取り組んでいました。解析処理によってアウトラインの大部分をソフトウェアで生成する技術です」。

最後に人間が微調整するとはいえ、偏(へん)や旁(つくり)から文字を生成するというのは、門外漢の私には意外だった。デザイナーともなれば、1文字1文字を大切にするアーティストのようなものなのだろうという先入観があったからだ。ところが河野氏は、フォントはむしろ工業製品や工芸品に近く、製作のための効率も重要だというプラクティカルな立場をとる。「日本建築で建材を三寸とか六寸という単位でモジュール化するのと同じです。モジュールを使って全体を作れば効率が良いですし、個々にバランスをとらなくても大局的にバランスが取れるというメリットがあります。“木”という字からいかに“林”を作るかですよ」

フォントのデザインとは、柏木の言う(2)「設計」、(3)「意匠」(美意識)の混合なのであろう。

メイリオは、デザイン当初から和文・欧文の混交を考えていたという。

横組みで問題となるのはベースラインやキャップと呼ばれる、欧文特有の水平基準線だ。例えば「g」のような文字の下部分はベースラインより下に配置されるが、和文は箱に入れていくように文字を置くので、そもそも発想が異なる。そこでメイリオでは…(以下、略)

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(2010/1/7、「実はメイリオまだ進化中! 誕生秘話を河野氏に聞いた」http://www.atmarkit.co.jp/news/201001/07/meiryo.html

クロカネ-EB

テレビのテロップで、ひらがなの「て」が、「T」のようにみえるものがある。「くろかね-EB」というフォントらしい。下に見るように、ポップ(「軽い」「気取らない」「ごちゃ混ぜ感覚の」…知恵蔵)としては悪くはないのだが、「て」だけはどうもいただけない。

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https://bunkyo-kumihan.com/kumihan_blog/?p=2581