浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

コモンズの悲劇

立岩真也『私的所有論』(6)

第2章 私的所有の無根拠と根拠 第3節 効果による正当化と正当化の不可能性 第3項に、共有地(コモンズ)の悲劇がとりあげられている。「コモンズの悲劇」といっても、ドラマティックな話ではない。しかし、「社会の有りよう」を考えようとする者にとっては興味深い話である。「コモンズの悲劇」は、単なる理論の話ではなく、また決して過去の話でもない。

 コモンズの悲劇とは、多数者が利用できる共有資源が乱獲されることによって資源の枯渇を招いてしまうという経済学における法則。共有地の悲劇ともいう。アメリカの生物学者、ギャレット・ハーディンが1968年に『サイエンス』に論文「The Tragedy of the Commons」を発表したことで一般に広く認知されるようになった。

たとえば、共有地(コモンズ)である牧草地に複数の農民が牛を放牧する。農民は利益の最大化を求めてより多くの牛を放牧する。自身の所有地であれば、牛が牧草を食べ尽くさないように数を調整するが、共有地では、自身が牛を増やさないと他の農民が牛を増やしてしまい、自身の取り分が減ってしまうので、牛を無尽蔵に増やし続ける結果になる。こうして農民が共有地を自由に利用する限り、資源である牧草地は荒れ果て、結果としてすべての農民が被害を受けることになる。(wikipedia、コモンズの悲劇)

この説明を聞いて、「確かに」と思わなかっただろうか。そう思ったとしたら、批判的な思考*1(ある意見を鵜呑みにせずによく吟味すること)をしてみる必要がある。

「農民は利益の最大化を求めて…」というが、これは「農民」を「経済人」(ホモ・エコノミクス homo economics)とみなしている。経済人とは、「もっぱら経済的合理性のみに基づいて行動する個人主義的な人間像。古典学派によって想定され、以後近代経済学でも通常、このような人間像を仮定して理論を展開する」(デジタル大辞泉)。まあ、簡単に言えば、私利私欲を第一とするエゴイストを言うのであるが、(新古典派)経済学ではこれを「経済合理的に行動する人間」と称する。

「農民が共有地を自由に利用する限り…」というが、ここで「自由に」とは、「目先の自分の利益だけを考えて」という意味である。こういうのは普通、「自由」とは言わないだろう。

「自身の所有地であれば…」というが、どのような基準で、誰の私有地にするのか、そこが問題である。そして私有地にしてしまえば、後は無条件に「相続」していってよいのか。

私利私欲に駆られて、各人が勝手に牛を増やし続ければ、資源である牧草地が荒れはてること位は、「学の無い」農民でもわかる。だとすれば、その牧草地に牛を放牧している農民たちは、話し合って、資源(牧草)保護のためのルールを定めるだろう。それをこそ経済合理性というべきである。しかるに、「学のある」経済学者が、私利私欲のエゴイストを「経済合理的に行動する人間」とし、学生がそれを信じるというのはナンセンスと言うほかないように思われる。

 

牧草地の話ではピンとこないかもしれない。現代で言えば、「マグロの漁獲」の話が、コモンズの悲劇に相当するだろう*2。「共有地」に相当するのが「公海」であり、「牧草」に相当するのが「マグロ」である。「農民」に相当するのが、「漁業従事者」または「漁業従事者の代表たる国家」である。

以下は、NHKのクロマグロに関する記事6本(合瀬宏毅、解説ア-カイブス、2017/4~2018/4)からの引用である。

  • クロマグロは生まれてから3才までに体長1メートル20センチ、体重30キロ程度となり、ここで初めて産卵をするようになります。そして4才で全体の半分が産卵。5才になって初めて全てのクロマグロが産卵するようになります。ところが、太平洋クロマグロの場合、71%が0才魚、24%が1才魚で、3才までに98%が取り尽くされてしまいます。つまり産卵前にほとんどのクロマグロが取り尽くされてしまう訳で、これでは資源は先細りしていくばかりです
  • 日本近海を含める太平洋のクロマグロは、資源量が過去最低水準にあると言われ、資源の回復が強く求められている。そこで国際機関は2014年に、資源回復のために特に重要とされる30キロ未満の幼魚のクロマグロについて、各国が漁獲量を過去の半分にすることを合意し、日本は年間4007トンとする漁獲量を受け入れた。
  • 現在の規制が導入された2014年以前は、規制は一部で、いわば取り放題。先に獲った方が勝ちと乱獲につながった。私たちがイメージする大型のクロマグロは、取り尽くされ、ヨコワやメジマグロと呼ばれるクロマグロの幼魚が、大量に水揚げされているのが実態だった。

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http://www.kngyoren.jp/gyojou.html

 もちろん、公海と共有地は異なるが、この話には似たところがある。合理的な経済人(エゴイスト)は、「先に獲った方が勝ち」と行動し、資源の枯渇を招くことになる。規制前の漁業者の姿であろう。規制なき自由市場ではこうなる。子どもでも分かるこんな状況に対して、国際機関は漁獲量削減のルールを定める。日本はこのルール策定にどれほど貢献したのだろうか(勉強不足で何とも言えない)。先ほどの「農民」を「国」とみなせば、農民=国は、「愚か」ではないから、しかるべきルールを定める。そして自らの行動を律する。

  • 規制をまもることで将来的にクロマグロは増えていくのか?…国際機関はそう考えている。これは卵を産む太平洋クロマグロの親魚の数の推移です。かつては10万トン以上いた親魚は、日本などが親魚になる前に捕りすぎたことなどから、右肩下がりに少なくなり、現在は1万7000トンと歴史的な低水準になっている。国際機関としては、これを2024年までに4万1000トンにまで増やすことを目標にしており、そのためにも30キロ以下の幼魚を保護する必要がある。漁獲量半減はそのための措置です。この措置を続ければ、2024年には目標は達するとされている。

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太平洋クロマグロの親魚(3才以上)の資源状況 http://www.jfa.maff.go.jp/j/suisin/s_kouiki/taiheiyo/attach/pdf/index-3.pdf

  • 日本はクロマグロの世界一の消費国で、資源管理には率先的に取り組まなければならない立場にある。
  • クロマグロに対する日本の資源管理については、海外から厳しい目が向けられており、水産庁としても、国内の資源管理について厳しく対応せざるを得ません。
  • 国は漁業区を6つに分け、漁区や漁法ごとに漁獲量を振り分け、上限を超えないように呼びかけてはいた。そしてそれぞれの区域で漁獲枠の80%を超えたら警報、95%となったら、漁を止めるよう操業自粛を出して、上限を超えないように注意を促していた。ところが国の許可を得ないで漁を行ったり、漁獲量を報告せずに漁業を行う違反が頻発したりした
  • 今回、例えば長崎県で許可を得ていない船がクロマグロを捕ったり、クロマグロなのに他の魚としてごまかした。また操業自粛中なのに、報告せずにクロマグロを捕ったりしていた事例が三重県など全国9県で、みつかっています。こうした事例が頻発するようでは、まじめにやっている人は報われません。
  • どうしてそうしたことが起きるのか?…国内対策は漁業関係者の自主的なルールに任せていたことが大きいと水産庁では見ています。このため水産庁は法律を改正し、許可を得ないでクロマグロを漁獲したり、漁獲量を報告せずに操業したりした業者について、来年から、3年以下の懲役または200万円以下の罰金を科すことにしている
  • 水産庁は漁業関係者に毎週漁獲量を報告させ、注意を呼びかけていた。ところが、罰則も無いために国の許可を得ないで漁を行ったり、漁獲量を報告せずに漁業を行う違反が頻発したりして結局、この状態になってしまった。水産庁は法律を改正し、来年から罰則付きのより厳しい管理をする方針です。

国際機関や水産庁による規制強化(法律改正)を、(新古典派)経済学者はどう評価しているのであろうか。

共有地を私有化する=公海を各国領土に分割するという方向ではないことは明らかだろう。

立岩の議論は次回にみることにしよう。

*1:「批判的な思考」に関しては、カテゴリー「読書ノート」でとりあげた、伊勢田哲治『哲学思考トレーニング』を参照願いたい。

*2:公海で捕獲される魚であれば、別にマグロに限らないのだが、ここでは、中トロ、大トロでお馴染みのクロマグロに限定しよう。