浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

花嫁の母のドレスの色は…

柏木博『デザインの教科書』(6)

今回は、第6章 デザインを決める具体的な要素 第1節 色彩 をとりあげる*1とはいえ、ここに引用したいと思うような文章は無い。文化的現象としての色彩、色彩の表記法(マンセルの方法等)、浅葱色(あさぎいろ)とか利休ねずみとかの色名、などの言葉(用語)にはひっかかるものがあるが、更なる説明がないので、コメントしようがない。「色彩の意味」(緑とか青とか赤とか黒とかの意味)に関してはいろいろな例をあげているが、表面的な説明のみで面白みがない。

そこでここでは、(狭義の)デザインに関連した色彩について若干考えてみることにしたい。とりあげる事例は、「花嫁の母のドレスの色」に関するネット上の議論(雑談?)である。

スコットランドのカップルが約一週間後に結婚式を挙げるにあたって、新婦の母親が、自分が結婚式に着ていくドレスとしてどうかと新婦に写真を送ったが、カップルはそのドレスの色について意見が食い違った。そしてカップルはFacebookにその写真を投稿したが、友人らのあいだでも色についての意見が食い違ったのだった。すなわち、白と金色のレースに見えた人もいれば青と黒のレースに見えた人もいたのである。

新郎新婦の共通の友人…マクネイルが2015年2月26日に、写真をTumblrに投稿しフォロワーに同じ質問をしたことで、写真にまつわる議論がさらに一般の人々の間にまでも広がっていった。(Wikipedia、The dress)

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左の写真が問題の写真である。

数多くの著名人からの関心も集めており、テイラー・スウィフト(米、歌手、女優)…は青と黒だと言ったのに対し、アナ・ケンドリック(米、女優)…は白と金色だと発言した。ルーシー・ヘイル(米、女優、歌手)…は時間によって色が違うように見えると発言した。レディ・ガガ(米、歌手)は…砂色に見えると言ったが、一方デイヴィッド・ドゥカヴニー(米、俳優、作家)は鴨の羽色だと発言した。政治家、政府機関、著名ソーシャルメディアプラットフォームまでも議論に参加している。…このドレスそのものは、ローマン・オリジナルズが販売している「レース・ボディコン・ドレス」のロイヤルブルーと判明している。他の色は3色あるが、白と金色の配色のものは販売されていない。

実際このドレスの色は青と黒であるのにもかかわらず、色について意見を交わす人々や特定の色を知覚する理由はもちろん、論争自体の馬鹿馬鹿しさを論じる人まで出るなどネット上の様々な場所で議論の対象となっていった。神経科学や色覚といった分野の研究者も錯視の視点で科学的意見を述べている。(Wikipedia、The dress)

私は、このWikipediaの説明のアンダーラインを引いた部分に賛成できない。それは、2018/05/27の記事、「色感覚 マリンハチェットフィッシュは、どんな色を見ているのだろうか?」でみたように、「色は、光を見る側の人間の生理学的な現象として生じる」、「色の感覚とは、三種類の視細胞の興奮の度合いの組み合わせに伴う脳神経回路の興奮の様相である」と考えるからである。上記説明では、「実際このドレスの色は青と黒であるのにもかかわらず…」とは、「そのドレスの色が青色や黒色であるのは、客観的な真実であるにもかかわらず…」と言っているように受け取られるからである。また、「このドレスそのものは、ロイヤルブルーと判明している」とは、ある特定の条件下で、ロイヤルブルーと見えるものを唯一正しいかのように述べているからである。錯視という「言い方」にも賛成できない。この点は後で述べることにして、もう一度、「色感覚」について見てみよう。

 

以下は、「色」って何だろう?…(その2)からの引用である。

光源色と物体色

私たちは一言で「色」と言いますが、「色」は大きく分けると、光源そのものが発する色(光源色)と、光源からの光を受けた物体が示す色(物体色)があります。物体色は更に、その物体表面での反射によって発する色(表面色、または反射物体色)と、半透明物体を透過した光によって生ずる色(透過色、または透過物体色)に分けられます。光源色は、光源からの光が直接眼に入射して視細胞(錐体)を刺激することによって認識される色です。また、物体色は、光源からの光が物体に当って、その物体特有の波長毎の反射(透過)特性の影響を受けた光が眼に入射して視細胞(錐体)を刺激することによって認識される色です。

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色彩学を学んだことがあれば、色が光源色と物体色に分類されることは「常識」なのだろう。

図aと図bを、よく覚えておこう。次のように表記してみる。

 (a) 光源色=光×視覚

 (b) 物体色=光×物体×視覚

(a)は、光源の色は、光と視覚から成り立つ、と読む。

(b)は、物体の色は、光と物体と視覚から成り立つ、と読む。

物体の色が異なるのは何故か?

同じ照明光の下でも、物体の種類によって見える色が異なるのは、その物体自体の持つ特性が最終的な「色」を決める大きな要素として機能しているからです。図bのように、「光」、「視覚」および「物体」の三つの要素が重なる領域で最終的な物体の色が決まる訳ですね。「光源」・「視覚(眼と脳)」・「物体」を、<物体色の三要素>と呼んでいます。

ここで、著者は、イチゴとレモンの色は何故違うのか? について、詳しく解説している。

光源からの光が物体に当って反射される時、物体の表面で、或る波長の光は反射し、或る波長の光は吸収されます。この特性(分光反射率特性)が物体の種類によって異なりますので同じ照明光の下でもモノによって色が違って見えることになります。

イチゴとレモンの「分光反射率」は、下の折れ線グラフの通りである。物体の種類により、分光反射率は異なる。(横軸:波長、縦軸:分光反射率)

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大雑把に言って、可視域の長波長光(赤く見える光)が多く反射され、短波長光(青く見える光)が殆ど吸収されているのは概ね共通していますが、中波長光(緑に見える光)の特性が大きく異なります。中波長光は、イチゴでは殆ど吸収されるのに対してレモンではかなり反射されてしまいますこの違いが、イチゴ(赤)とレモン(黄)の色の違いとなって認識される訳です。

折れ線を確認しよう。

イチゴの場合…眼に入射する光は、長波長光の成分が強い光となり、L 錐体が強い刺激を受け、S および M 錐体はあまり刺激を受けません。その結果イチゴの実は「赤い」と認識されます。

レモンの場合…L 錐体が最も強い刺激を受け、次いで M 錐体もかなりの強い刺激を受けます( S 錐体は殆ど刺激を受けません)。その結果、脳はレモンを赤と緑が加法混色された「黄」と判断することになります。

結局、モノの色というのは、光源の特性(分光分布)と物体の特性(分光反射率または分光透過率)と眼(視細胞)の特性の組合せによって決まるということになります。

物体色の三要素の内、どれが変化しても物体の「色」は変化することになります。「光源」と「視覚」は「色」が成り立つための必須条件であり、「物体」は「光源」からの色を途中で変化させる、まさに「脚色」する働きをしている、ということができますね。

以上、モノ自体に「色」がついているのではない、のである。しかし、モノ自体に色がついている、という先入観念から抜けきれない人は多い。

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http://tabippo.net/haircolor/

 

この女性の髪は、(レモンの黄色に近い、即ち)太陽光の下で、視細胞のL 錐体(赤錐体)が最も強い刺激を受け、次いで M 錐体(緑錐体)もかなりの強い刺激を受け、「プラチナブロンド」と名づける色に見える。では、この割合はどれ位なのだろうか?

 

最初の「花嫁の母のドレスの色」の話に戻れば、「本当の色」はどうなのかが問題なのではない。「本当の色」などあるはずがなく、「どのように見えるか」が問題なのである。<物体色=光×物体×視覚>なのであるから、この3要素の考慮が必要である。最初の光について言えば、太陽光の下で見るのか、パーティー会場(結婚式場)のどのような照明の下で見るのかによって異なってくる。光源がどの位置にあるのかによっても違ってくるだろう。視覚について言えば、視細胞の働き具合が問題となる。細胞の老化や一部欠損があるとしたらどのように影響するか。視覚野の働きはどうか。「見えかた」を表現するのに、言語能力がどのような影響を与えるか。

錯視について言えば、光(光源)・物体・視覚の3要素について、何らかの基準を設けて、「それが正しい見え方であり、他の見え方は錯誤である」といっているように聞こえる。

 

Wikipediaは、科学者の見解も紹介しているが、簡潔な説明でよく分からない部分が多い。次の一文だけは引用しておこう。

脳神経学者で心理学者のパスカル・ウォリッシュは、この感覚刺激は、科学にとっても、人々が心のうちで世界をどのように違った見方で見ているかを示すという範例としても、このドレスの色の見え方について議論することはくだらない事ではないと述べている。

 

「デザインとしての色」の観点から、「色の三原色」や「色相環」などについてふれようと思っていたのだが、長くなりそうなので、次回にしよう。

*1:本書の第4章は、「シリアスな生活環境のためのデザイン」で、「貧困解決とデザイン」、「生きのびるためのデザイン」、「ユーモアを持った器用人のデザイン」について述べられている。また第5章は、「デザインによる環境問題への処方」である。シリアスな生活環境とか環境問題とか、こういう社会問題をデザインの観点から論ずるのは無理があると考える。但し、チャリティコンサートと同様、その優しさ、思いやりのこころは大切なものである。。