久米郁男他『政治学』(8)
第4章 福祉国家 の構成は、第1節 福祉国家の政策レパートリー(公的扶助、社会保障、社会扶助)、第2節 福祉国家をもたらしたもの 第3節 福祉国家がもたらしたもの である。今回は、第2節、第3節をとりあげようと思っていたのだが、著者がどういう問題意識をもってこの文章を書いているのか伝わってこないので(単に、一部の学説紹介にとどまっている感じで、全然面白くない)、前回とりあげた「平成24年版厚生労働白書」に依拠して、頭を整理しておきたい。
本白書の第1部は「社会保障を考える」、第2部は「現下の政策課題への対応」である。第1部の内容は、
第1章 なぜ社会保障は重要か
第2章 社会保障と関連する理念や哲学
第3章 日本の社会保障の仕組み
第4章 福祉レジーム
第5章 国際比較からみた日本社会の特徴
第6章 日本社会の直面する変化や課題と今後の生活保障のあり方
第7章 社会保障を考えるに当たっての視点
ここでは、私が重要だと思った点のみピックアップしておく。
第1章 なぜ社会保障は重要か
- 現在に通じる社会保障制度は、近代社会・産業資本主義社会の形成を前提として必要とされるようになった。
- 工業化に伴う人々の労働者化により、血縁や地縁の機能は希薄化した。…産業資本主義の社会では、企業が潰れたり、解雇されれば失業してしまい、また、けがや病気などで働けなくなった場合、労働者は所得を得られなくなる。その一方で、労働者が血縁や地縁の関係から一定程度独立した結果、それら血縁や地縁で結ばれた人間関係を基礎とする支え合いの機能は、近代以前の社会と比べて希薄化しているため、個人にとって、生活が立ちゆかなくなってしまうリスクは大きなものとなる面があった。
血縁とは「家族」のことである。いまでも「共同生活」の基本単位であることに変わりはないが、少子高齢化に伴い世代間の支え合いの機能が弱体化しているようだ。地縁とは「地域社会」のことである。地方でも、隣の家の住人の動向が分らなくなってきている。
- 近代的な社会保障制度の創設はドイツから始まり、欧州各国に広がっていった。…ドイツでは、19 世紀終盤に、帝国宰相の地位にあったビスマルク(1815-98)により、法律上の制度として世界で始めての社会保険制度(疾病保険法(1883年)、労災保険法(1884年)、老齢・障害保険法(1889年))が制定された。…それまでヨーロッパ各国で主流であった事後的な「救貧」施策から事前の「防貧」施策への第一歩を踏み出した点でも大きく評価された。…20世紀初めの英国では、貧困が広がり、労働運動も高まる中、貧困は個人の責任というより社会的・経済的な要因によって引き起こされるとの認識が影響力を持つようになり、リベラル・リフォームと呼ばれる社会改革(老齢年金法、職業紹介法、国民保険法などの制定)が行われた。
近代的な社会保障制度が創設されたのは、1880年代であることは覚えておいてよい。一世紀以上前の話である。「貧困は個人の責任というより社会的・経済的な要因によって引き起こされる」という認識が影響力を持つようになったという。しかし、この認識がどれだけ深められたのであろうか。
傷病、老齢、失業などのリスクに、個人の自助努力では対応できないが故に、社会的に対応する(助け合う)のだということは、いくら強調してもし過ぎることはないだろう。無知な者や邪悪な者は、これを理解できない(理解しようとしない)。
- 世界恐慌から第二次世界大戦までの間に、戦後社会保障の構想が練られていった。…英国の経済学者であるウィリアム・ヘンリー・ベヴァリッジ(1879-1963)は、市場経済を取り巻く社会環境、とりわけ貧困問題に注目した。生活困窮者を極貧からどのように救うべきか考えた結果、ベヴァリッジが出した答えは全国民に社会保障のネットワークを張りめぐらすというプランであった。…その後、ベヴァリッジは、第2次世界大戦中の1942年に、いわゆるベヴァリッジ報告(『社会保険および関連サービス』)を英国政府に提出し、「ゆりかごから墓場まで(From the Cradle to the Grave)」のスローガンの下、新しい生活保障の体系を打ち立てた。このベヴァリッジ報告の影響を大きく受け、第二次世界大戦後には世界の多くの資本主義諸国で、経済の安定成長と完全雇用、国民福祉の充実を目指す「福祉国家」の潮流が広がっていった。
「ゆりかごから墓場まで」の生活保障!
- 戦後、どの先進諸国にとっても社会保障は不可欠なものになった。…社会保障のかたちは、特に貧しい人だけを救う救貧の段階から、全国民に最低限の生活を保障するナショナル・ミニマムなどの段階を経て、障害の有無、性別、年齢などにかかわらず、障害者を含む全ての人たちが、共に地域で暮らし、共に生きる社会こそ普通(ノーマル)であるということを理念とするノーマライゼーション に発展する国々も現れ、どの先進諸国にとっても、社会保障はなくてはならないものとなった。
ナショナル・ミニマムとは、
国家が国民に保障する最低限度の生活を営むために必要な基準。この概念を日本国憲法では第25条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」の生存権として定めている。また、生活保護法などの法や社会保障制度の基礎となっている。(知恵蔵)
最低限の生活が保障されればそれで良い、というものではない。
ノーマライゼーションとは、
障害者や高齢者がほかの人々と等しく生きる社会・福祉環境の整備,実現を目指す考え方。1950年代,デンマークの知的障害者収容施設で多くの人権侵害が行なわれていたことに対し,行政官ニルス・エリク・バンク=ミケルセンが提唱した理念で,1959年同国で制定された知的障害者法に盛り込まれたことから欧米諸国に広がった。従来の福祉活動で行なわれてきた,社会的弱者を社会から保護・隔離する傾向を反省し,すべての障害者の日常生活の様式や条件を,通常の社会環境や生活様式に可能なかぎり近づけることを目指す。また障害者が自己を確立し,社会的価値のある役割をつくりだし,それを維持できるよう援助していくことも大切であるとされる。日本では,1981年の国際障害者年をきっかけに認知され始めた。やがて国際社会における福祉の基本理念として定着した。(ブリタニカ国際大百科事典)
障害の有無、性別、年齢などによる差別なく、全ての人たちが、共に生きる社会こそ普通(ノーマル)である。「障害者」に力点をおくのではなく、全ての人たちが、不当な差別なく、共に生きる社会こそ普通(ノーマル)なのだと考えたい。
- 1970年代、オイルショック後の経済成長の鈍化等により、社会保障・福祉国家批判は大きな潮流になった。…新自由主義(ネオ・リベラリズム)の立場からの批判…福祉国家が経済政策の失敗の元凶である、福祉国家による過剰な給付が家族や共同体(コミュニティ)の解体をもたらしている等を内容とする福祉国家批判は大きな潮流となり、1980年代の先進諸国では、「福祉国家の危機」が叫ばれるようになった。
- 1980年代、新自由主義的な政策が採用され、社会保障・福祉国家の「見直し」が行われた。…英国のサッチャー政権の「サッチャリズム」、アメリカのレーガン政権の「レーガノミクス」。
- 新自由主義的な政策は、経済のグローバル化の趨勢とも親和的だった。…国によっては、労働市場の規制が緩和されたり、最低賃金制度の撤廃に至るものまで現れた。
新自由主義(ネオ・リベラリズム)については、別途検討しよう。
- 社会保障・福祉国家の「見直し」がもたらした弊害は大きなものだった。…英国では、福祉国家の見直し路線の下で社会保障給付の削減等が行われた結果、失業者の増加、所得等の格差の拡大、医療や公的教育などの公的サービスの質の低下(例えば、医療についていえば、患者の負担能力によってサービスの格差が生まれ、平等性が後退したことが挙げられる。)といった弊害がもたらされた。また、①適切な所得や資源からの排除(貧困化)、②労働市場からの排除(失業、無業、低賃金労働など)、③社会サービス(水道、電気、ガス、電話などの屋内サービスや、交通機関、金融機関、小売店舗などの屋外サービス)からの排除、④社会関係からの排除(社会活動への不参加、社会的サポートの欠如、人間関係からの孤立)など、弱者が社会の中に居場所を見出せないという、所得だけで計測できない新たな貧困ともいうべき「社会的排除」が問題となった。アメリカでも失業者の増加、貧困状態にある人の増加、高齢者・障害者向けの公的医療保険制度であるメディケアのサービスの低下などの弊害を生み出した。(①から④は、1999年に英国で実施された「社会的排除調査」で採用された4つの切り口である)。
社会的排除の4つの切り口は、興味深い。4つが適切かどうかはともかく、さまざまな差別の存在により、「弱者が社会の中に居場所を見出せない」のは、極めて深刻な事態であると思う。これこそ格差の本質ではなかろうか。
- 1990年代以降、社会保障の重要性が再認識され、過去に指摘された問題点に応える努力をしながら、社会保障・福祉国家を再編成する時期に入っている。…効率と公正の両立、ワークフェア
- 今日では、社会保障は様々な機能を持っており、私たちの経済社会に欠かせない重要な仕組みである。…今日では社会保障は、個人の視点からみれば、傷病、失業、高齢など自活するための前提が損なわれたときに生活の安定を図り、安心をもたらすことを目的とした「社会的セーフティネット(社会的安全装置)」という機能を果たしている。また、それを社会全体としてみれば、所得を個人や世帯の間で移転させることにより貧富の格差を縮小したり、低所得者の生活の安定を図る「所得再分配」や、「自立した個人」の力のみでは対応できない事態に社会全体で備える「リスク分散」という機能を果たしているといえる。さらに社会保障は、必ずしも恵まれない人たちにも社会の一員としての帰属意識を共有してもらうことで社会的な統合を促進させる。また、消費性向が高い低所得の人たちに所得移転し購買力を高めることで個人消費を促進したり、医療、介護、保育などの社会保障関連産業における雇用の創出を通じて経済成長にも寄与する。こうした「社会の安定及び経済の安定と成長」といった機能も果たしている。このように、社会保障は私たちの経済社会にとって欠かせない重要な仕組みとなっている。だからこそ、支え手である現役世代(働く世代)の人口が減る少子高齢社会において、どのようにして持続可能な制度を構築していくか、若年者等の失業問題や社会的弱者が孤立を深める状況(社会的排除)を改善するためにどのように社会保障制度を機能させていくべきか、経済のグローバル化に伴う国際競争の激化が雇用の柔軟性や流動性を要求する状況など社会保障が前提としてきた雇用基盤の変化や経済の低成長が続く中で、どのような所得再分配や雇用政策が適切なのかといった点は、先進諸国にとって、重要な政策課題となっている。
社会保障が、極めて重要な「政策課題」であることに異論はないと思うのだが、それにしては「政治学」のテキストである本書が、まともな解説をしていないように見受けられるのは残念なことである。
Hopeless by Natalia Drepina
https://nataliadrepina.deviantart.com/art/Hopeless-526875886
第2章 社会保障と関連する理念や哲学
- 近現代の社会の人間像は「自立した個人」だが、人間はひとりでは生きていけない。
- 19世紀には、貧困等の格差問題が深刻になる中で、自由主義と社会主義が激しく対立した。…個人が社会の中で生存している以上、人間は家族、職場、地域社会等、様々な形で、他者と接触する中でしか生活し得ないというところに「連帯」が発生する根源がある。その意味で、連帯は古今東西を問わず、人類社会に常に存在している。…富める少数の資本家とは対照的な多数の労働者の貧困、労使対立の激化、蔓延する病気、頻発する労働災害、悲惨な住宅事情、教育を受けられない子どもたちの存在。…悲惨な社会状況を見ても、自由放任の経済学を信奉する経済学者たちは、私有財産の不可侵を主張し、国家の役割はもっぱら個人の自由と財産を他者による侵害から守ることにあり、苦しんでいる人々に手を差し延べるのは、あくまで私的な慈善(チャリティー)によるべきだとした。他方、社会主義者たちは、国家が生存権を保障することは義務であり、私的所有は資本家の不正や搾取によって得られた特権に過ぎず、国家の介入によって労働者が労働の果実を正当に受け取れるようにしなければならないと考えた。
学者の分類はともかく、貧困(生活不安)や差別(排除)の根本原因をどのように考え、どのような対策をとるべきなのかの見識を持たない政治経済学者の言説は信頼できない。
「諸組織(諸器官)は、生存競争をしているのではなく、連帯して活動している」というのは、言われてみれば当然なのだが、現代人には「競争」が強迫観念になっているようにもみえる。「進化論」なる説でもって、生存競争を当然視すべきではない。
連帯主義とは、
19世紀末―20世紀初頭に主張された社会・政治思想。一方では,集権主義的性格の強い社会主義に,他方では古典的な自由主義に対抗して主張された。社会を社会成員の相互依存関係を基礎としてとらえる観点から,具体的な形態はさまざまだが,おおむね,各人が能力に応じて社会に奉仕するという社会を提唱した。レオン・ブルジョワの提唱した運動がその一例。集合意識が個人意識に優越していた前近代の抑圧的な機械的連帯の社会に対し,近代は個人意識が優越した,分業による有機的連帯を構想しうる社会であるとするデュルケームの議論は,連帯主義の思想に社会学的,また道徳的な論拠を与えた。(百科事典マイペディア)
「同じ仲間」(同質の個人)の連帯ではなく、「ある面では同じ、他の面では異なる仲間」(異質の個人)の連帯を構想すること。
自由主義と社会主義とかのレッテル貼りではなく、「現に存在する社会問題」に向き合い、原因を究明し、対策を考えるべきである。(もちろん、過去の議論を参照することは大切である)。
赤字にした「社会保障は、個々人を基底とすると同時に、個々人の社会連帯によって成立する」という言葉は、熟読玩味されてよい。
- 現在の社会保障改革は、自助・共助・公助の好循環を生み出すことを目指している。…社会全体で連帯して、お互いの自立を支え合って生きていくことが、生き生きとした活力のある社会をつくることにつながる。
自助・共助・公助の概念は、興味深い。この概念は、
個人(企業)/地域/行政の役割分担を表すこの基本的な考え方は、EU統合の過程でEU(欧州連合)と各加盟国の間で締結されたマーストリヒト条約の中に謳われている「補完性の原則」が、地方自治に応用されたものです。補完性の原則とは、決定や自治などをできる限り小さい単位で行い、出来ないことのみをより大きな単位の団体で補完していく、という概念です。(https://www.newton-consulting.co.jp/bcmnavi/glossary/subsidiarity.html)
補完性の原則は、単純には受け取れない。「決定」を要する事項がどのようなものであるかをよく考えないと、「決定や自治などをできる限り小さい単位で行うこと」が良いとは限らない。
「地域包括ケア研究会報告書」(H25/3)は、「互助」という概念を加え、以下のような図示をしている。
ハイエクやフリードマンについては、いずれ詳細検討するかもしれないが、あまり気乗りしない。
- 社会保障には、公正だけでなく、効率にも資する側面がある。
- 効率と公正の二者択一的議論から脱し、人々が真に幸せになるためには本質的に何が必要かを、具体的かつ全体的に整合性のとれた形で考えていく必要がある。…「国家か、市場か」、「効率か、公正か」という議論は、歴史的には一巡しているともいえる。その結果、明らかになったのは、「国家も、市場も」、「効率も、公正も」――つまり、効率と公正を同時に実現すべきということではないだろうか。市場は資源配分の面で優れた機能を持つが、失敗することがあり、国家の関与を必要とする。しかし一方で、その関与が不適切なものであれば、社会的損失が生じてしまう。また、効率と公正のどちらか片方だけを追求し、片方を犠牲にするやり方では社会はうまく回っていかず、何より社会のメンバーである人間一人ひとりを必ずしも幸せにしていない。諸外国の好事例も参考にしながら、二者択一的議論から脱し、日本で現実に起きている社会の諸問題に適切に対応するために、そして人々が真に幸せになるためには本質的に何が必要か、どのように社会保障制度を改革していくべきかを、市場の役割、国家の役割等を踏まえ、具体的かつ全体として整合性のとれた形で考えていくことが必要である。
「公正と効率の同時追求」は、ほとんどの人が受け入れられる結論だろう。問題は、総論賛成・各論反対に対して、どのように合意を得るのかという点である。政策の立案、議論がどうあるべきか。この点は、本書でこれから説明があるだろう。
第3章 日本の社会保障の仕組み
前回記事参照。
第4章 福祉レジーム
- 福祉レジームの相違が、福祉国家の類型を決めている。…社会保障を考えるに当たっては、福祉国家(政府による社会保障)をみるだけではなく、幅広く社会全体における福祉の生産・供給主体等も含めて議論することが必要である。デンマーク出身の社会政策学者であるアンデルセン(1947-)は、「福祉が生産され、それが国家、市場、家族の間に配分される総合的なあり方」としての「福祉レジーム」の相違が、福祉国家の類型を決定するとしている。この考え方が示唆するのは、社会保障を考えるに当たっては、福祉を生産・供給する主体として国家(政府)のみに着目するのではなく、市場や共同体(家族や地域)も福祉の生産・供給主体であり、これら3つの主体を、それぞれの特徴や機能を踏まえながら、どのように組み合わせていくかという視点が重要であるということである。
福祉を「生産・供給する」という言い方は気に入らないが、国家(政府)のみではなく、市場や共同体(家族や地域)を考慮するというのは当然だろう。
白書は、国家(政府)、市場、共同体(家族や地域)を3主体としている(後で「職域」を共同体に追加している)。アンデルセンは、共同体(家族や地域)ではなく、家族としている。
私は、「共同体」という言葉を、「家族」や「地域」に限定して使いたくない。「国家」も中間レベルの共同体として把握すべきと考えている。…「市場」は異質な主体である。統治者(意思決定者)が目に見えない。企業とか顧客というのであればわかる。
レジーム(regime)とは、体制とか制度の意味。福祉レジームを、福祉体制とか福祉制度と表現してはまずいのだろうか。
「市場の役割が大きい」とは、「公的制度による社会保障」が「不要」もしくは「特に貧しい人だけを救えば良い(救貧)」ということを意味しよう。第1章で述べられた歴史的事実認識をどう評価するのだろうか。
- 社会民主主義レジーム…北欧諸国は、国家の役割が大きい福祉レジームである。典型例としては、スウェーデン、デンマーク、ノルウェー。このレジームは、普遍主義、リスクの包括的な社会化を志向している。社会民主主義レジーム諸国では、社会保障を受ける権利の基礎は個人の市民権(シティズンシップ)にあるという考え方から、社会保障制度の基本理念として普遍主義を採用している。これは、高所得者であれ低所得者であれ、皆が同じ権利を持ち、同じ給付を受けるというものである。(社会保障給付を、困窮層など特定の対象にターゲットを絞るのが選別主義である)。…生活上のリスクを社会的な制度でカバーする範囲が広いため、社会保障給付(支出)の水準は高く、負担の水準も高い(高福祉・高負担)。また、他のレジームに比べて現役世代への給付が手厚い。
「選別主義」というと何か立派な主義であるかのように聞こえるが、厳しい条件を付けて、厳しく調査の上、救済対象者を絞り込むということを意味しよう(貧民救済)。普遍主義とは、高所得者であれ低所得者であれ、将来リスクに対して、社会全体でカバーしようというものである。
「家族」や「職域」(職場)や「地域」の役割を否定するというのではない。それだけで福祉(社会保障)のニーズに応えられないようになっていることが問題である。また、「家族」や「職域」や「地域」のウェイトが大きくなれば、そこにおける格差が問題となる。
第1章の最後に次のような文章があった。
支え手である現役世代(働く世代)の人口が減る少子高齢社会において、どのようにして持続可能な制度を構築していくか、若年者等の失業問題や社会的弱者が孤立を深める状況(社会的排除)を改善するためにどのように社会保障制度を機能させていくべきか、経済のグローバル化に伴う国際競争の激化が雇用の柔軟性や流動性を要求する状況など社会保障が前提としてきた雇用基盤の変化や経済の低成長が続く中で、どのような所得再分配や雇用政策が適切なのかといった点は、先進諸国にとって、重要な政策課題となっている。
このような「政策課題」の提示は、はるか以前から為されてきた。しかし有効な解決策は見出されていない。あるいは、既に解決策は提出済なのかもしれないが、政治的に合意できない。何故か?
唐突だが、私は「グローバル・コミュニティ」、「国家」概念の再検討が必要と考えている。