浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

「虚偽の文書」をどう解釈すべきか?

平野・亀本・服部『法哲学』(47) 

今回は、第5章 法的思考 第2節 制定法の適用と解釈 第3項 解釈技法の使い方 である。解釈技法が、法解釈の実際の場面でどのように使用されるべきかについて述べられている。

以下の議論は、抽象的でたぶん面白くないだろう。ただ次のような事案を問題意識として持っていれば、その基礎的理解に資するものとして興味を持てるかもしれない。

学校法人「森友学園」への国有地売却に関する決裁文書の改ざん問題で大阪地検特捜部は31日[2018/5/31]、虚偽公文書作成などの疑い*1で告発された佐川宣寿国税庁長官不起訴(嫌疑不十分)とした。また、売却額を約8億円値引きし損害を与えたとして、背任容疑で告発された迫田英典元理財局長を不起訴(嫌疑なし)とした。財務省職員ら36人も不起訴となり、昨年2月に発覚した問題を巡る一連の捜査は終結した。告発人は不起訴処分を不服として、来週にも検察審査会に審査を申し立てる方針。

改ざんがあったのは佐川氏が理財局長だった2017年2~4月で、国有地取引に関する14の決裁文書。特捜部は売買契約の内容などが変更されていない点を重視。「虚偽の文書を作成したとまでは言えない」と判断した。 国有地の格安売却を巡っても、幹部や職員に自らの利益を図ったり、国に損害を与えたりする意図は認められず、背任罪は成立しないと結論付けた。(2018/5/31、日経、https://www.nikkei.com/article/DGXMZO31194650R30C18A5AC8000/

「虚偽公文書作成罪」や「背任罪」という犯罪がある。この犯罪の成立要件は何か。「虚偽公文書作成罪」については、事実に反する内容に変更されていなければ問題ないと解釈して良いのか。「背任罪」については、自らの利益を図ったり、国に損害を与えたりする意図がなければ問題ないと解釈して良いのか。

大いに疑惑のある事案で、裁判所に判断をゆだねることなく、検察における一つの「法解釈」で不起訴にすることでよいのか。

「嫌疑不十分」で不起訴ということであれば、捜査不十分ということを意味していよう。捜査権限のある機関が、「嫌疑不十分」ということは自らの無能力を告白しているように聞こえる。(検察は、不起訴理由を「嫌疑不十分」と発表したのだろうか?)

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201803/CK2018031102000124.html

 

正当化と討論

解釈に争いがある場合、解釈案の主張者は、自己の見解を正当化しなければならない。逆にいうと、反対者が異論を呈する場合にのみ、あるいは異論がある論点についてのみ正当化を行えばよいのであって、異論のない点については、とりあえず一致があるものとして、正当化の作業を進めてよいのである。これは解釈の正当化を、いわばディベート的討論ないし対話の枠組の中に位置付けるということである。一人で解釈案の適否を検討する場合も、討論の場面を想定して、賛成者の側に立ったり、反対者の側にまわったりしながら、思考実験を繰り返せばよい。

「反対者が異論を呈する場合にのみ、あるいは異論がある論点についてのみ正当化を行えばよい」というが、果たしてそうだろうか。具体的な事実に、抽象的なルールを適用しようという場合、解釈が必要になる。その場合、その解釈に(現在のところ)反対者がいなくても、その解釈が妥当なものであることを、根拠をもって示すことが必要なのではなかろうか。(もちろん、反対者がいれば、議論は深められるだろう)

法的正当化の推論構造

法的正当化は、他方で、推論という観点からみることもできる。「法による裁判」が要請される以上、そして裁判の場面を想定して法的正当化が行われる限り、法的推論は最終的には、判決三段論法の形をとらなければならない。それはすでに述べたように、論拠としての法規範及び事実、そして結論という構造を持つ。

法規範または事実に異論が呈されたなら、結論の主張者はそれを正当化しなければならない。事実の正当化の構造は、裁判において証拠法上の制約がある点を除いて、科学や日常の分野における事実の正当化と基本的に異ならないから、以下では法規範の正当化に考察を限定する。

判決三段論法(法的三段論法)については、次の説明を再掲しよう。(2017/12/06 法的思考 法的三段論法 参照)

 法規の適用において用いられる三段論法を「法的三段論法」などと呼ぶ。法的三段論法も、大前提・小前提から結論を演繹的に導き出すことは変わらない。そして法的三段論法における大前提・小前提は、以下のものに置き換えられる。

 大前提:法規(法令の条文、条文解釈により定立される規範等)

 小前提:具体的事実

 結 論:法適用の結果

法令の条文は抽象的なので、条文の文言の意味内容を具体的に明らかにして,その定義・規範を定立する「法解釈」が必要となる。法的三段論法における大前提とは,法律の条文およびその解釈によって定立された定義や規範である。(LSC綜合法律事務所、http://www.lsclaw.jp/law/sandanronpou.html

 大前提を、本書は「論拠としての法規範」と言っている。

 

法規範の正当化の構造

判決三段論法における法規範の正当化の場面で使われるのが、種々の解釈技法である。繰り返しふれたように、解釈技法のほとんどは推論図式という側面も持っている。推論図式の各々は、判決三段論法と同様、いくつかの論拠と1つの結論との結合からなっている。推論図式を構成する論拠の1つに異論が出たなら、それを援用して自己の解釈を理由づける者は、その論拠を正当化しなければならない。その論拠を正当化するのに、さらに別の推論図式が援用され、これにまた異論が提出される場合にも同様のプロセスが繰り返される。

これまで「推論図式」の説明はなかったと思うが…。ただ「類推解釈」の説明で、次のような説明があった。

類推解釈を推論方法とみる場合、その推論図式は、

(1) pであればq (pは要件、qは効果)

(2) pとp‘は類似している

故に、(3) p‘の場合もq

というものである。注意すべきことは、(1)及び(2)から(3)への移行は、論理必然的なものではない。法的な類推論法では、(1)には既存の法規範が来る。(2018/04/13 杓子定規な考え方を打破する 参照)

「推論図式を構成する論拠」とは、要件pの類似性のことを言っているのだろうか。

例えば、それは次のような手順を踏むであろう。主張者Aが法規範Nのある解釈を正当化するのに類推論法を使用し、「本件の事項pと、既に確立されて異論のない法規範の要件p‘とは類似しており、両事項に同様の法律効果を与えるべきである」と主張する。これに対して、反対者Bが、「類似しているとしても、どうして同様の効果を与えるべきなのか」と疑問を呈する。これに応えてAは、「解釈の対象となっている法規範NとNとの目的の同一性を考えれば、同一の効果を与えてしかるべきである」と反論する。これに対して、Bはさらに「どうしてNとNの目的が同一だといえるのか」と反論するかもしれない。その場合Aは、体系的連関に言及したり、立法の沿革を参照して、自己の見解を正当化するかもしれない。

このような過程は、異論がある限り、延々と続くであろう。もちろん、時間的制約がある裁判では、永久に続くことはないが、法解釈学内部では、原理的にはいつまでも続きうる。

この例を見れば、要件pの類似性のことを言っているようだ。この正当化は成功するだろうか。理性的な議論が可能であれば合意が得られるだろうが、悪意ある反対者にかかれば合意を得られない(正当化は成功しないだろう)

だが、これは法規範の正当化の話なのだろうか。この例では、(1)の法規範は「既に確立されて異論のない法規範」であって、これを問題にするのではなく、(2)の「要件」の類似性が正当か否かを問題にしているのではなかろうか。

 

法的な論拠と非法的な論拠

ここで注意すべきことは、このような法規範正当化の推論において持ち出される論拠は、最初のうちは法的な性格が強いもの、例えば制定法の条文や、最高裁が採用する、その解釈命題であろうが、議論が進むにつれて、次第に法的な性格が弱くなり、最後には、倫理的命題など法に属するとは必ずしも言えない論拠に至るであろう、ということである。というのは、原理的に言って、法的な論拠を法的な論拠によって正当化する作業は、どこかで限界に突き当たるからである。第2章でとりあげた法システム論的にいえば、法システムの境界に至るのである。そこで述べたように、法システムは開かれたシステムでもあるから、外部の環境からの要請を法の内部に取り込むことができる。その媒介をするのが、(広義の)原理という種類の規範であり、これは法の内部構造に組み込まれながらも、外部からの規範的要請をくみとる、いわば器の機能を果たしうるものである。

ここまでの正当化の説明は、もう一つすっきりしない感じがする。ここで、2018/02/25 規範的判断の正当化の根拠としての「法原理」 でとりあげた「法的正当化における法原理の位置」(平野仁彦)における法的正当化の話を再掲しよう。

第1に、法的正当化は,事案に最も近い法的ルールの検討から始まる。それでこと足りるのが議論の余地のない単純なケースであるが,法的ルールの内容に関し,あるいはその適用/不適用に関し疑義が提起されると,法的ルールの基礎にある法原理へと降り下った検討が行われる。そしてさらに根拠づけが必要な場合には,更に根本的な法原理へと遡って検討が行われる

第2に,それに従って,法的判断の基礎となる法原理も,異なる層に及んでいることが認められる。重層的に存在する法原理とは…

法原理1 問題となる特定の法的ルールの趣旨ないし目的

法原理2 問題となる法規を含む当該法令全体の基本的目的

法原理3 上位法の原理的な基本条項

法原理4 基本権が相互に衝突する場合などに調整機能を果たす解釈原理

法原理5 諸種の法規やそれを基礎づける様々な個別的法原理の根幹に位置すると見られる現行実定法体系の基本原則(私的自治,意思自由,罪刑法定主義基本的人権の保障,平和主義など)

この法原理5を「倫理的命題など法に属するとは必ずしも言えない論拠」と呼ぶべきではないだろう。では「法に属さない倫理的命題」にはどのようなものがあるのだろうか。そのようなものは、法的判断の正当化の論拠となりうるのだろうか。例えば「神の教えに従う」という倫理的命題があるとしたら、それは根本的な法原理となるのか。

 

制度化

上で、「法的な性格」が強いとか弱いということについて語ったが、それは何を意味するのでろうか。それは「法的な正統性をもって制度化されていること」と言い換えることができる。これは事実に関する概念であり、程度問題である。「規範的な命題が法的な正統性を持っている」とは、それが法で定められた手続きと内容に則って定立されていること、及びそのことを当該規範の名宛人が(評価的に)承認していることを意味する。「制度化されていること」は、これと部分的に重なるが、規範的命題が相当程度実効的で、定着していることを意味する。その背後には、違反に対する実力行使の威嚇もあり得るが、真にそれを支えているのは、上に述べた名宛人の承認である。

これはどういう意味なのかよく分からない。「正統性」とは、「手続き」の正しさをいうものではないか。「法で定められた手続きと内容に則って…」とあるが、「内容」がどう関係してくるのか。「正統性」とは「手続」に関する話であり、「正当性」とは「内容」に関する話なのではないか。さらに当該規範の名宛人とは、「~しなければならない」「~してはならない」という規範の対象者を指すものと思われるが、そのような対象者の「承認」がなければ、「正統性を持たない」ということになるのだろうか。これは理解できない。それとも「名宛人」の解釈誤りか。

「法的な正統性をもって制度化されている」という基準によれば、制定法が大体において遵守または活用されている場合、そのような制定法は法的な性格が最も強い、と言って良いであろう。制定法の解釈命題についてもこれと同様に考えることができる。最高裁判例で採用され、実際にも従われている解釈命題は、解釈命題のうちで最も法的な性格が強いであろう。遵守の点で同様な特徴を持っているが、その妥当性が最高裁でまだ確認されていない解釈命題は、それよりも法的な性格がやや劣るであろう。多くの人々が従っている道徳規範は、制度化の度合いは相当強いが、法的な正統性の点で、法的性格にかけるであろう。

最高裁判例(解釈)が、最も「法的な性格」が強いというのは理解できない。司法内部で最高裁解釈が最も尊重されるというだけのことではないか。

 

最初の「財務省決裁文書改ざん」の話に戻るが、郷原信郎が興味深い記事(財務省決裁文書改ざんが起訴できない本当の理由)を書いている。

私が、「虚偽公文書作成罪での起訴の可能性が低い」としてきたのは、同罪に関する法解釈の問題というより、同罪に関する従来の刑事実務の観点からだ。「虚偽の文書」という文言を、「少しでも事実と異なる記載がある文書はすべて虚偽の文書に当たる」とすると、公務員が作成した文書の多くについて虚偽公文書作成罪が成立することになりかねない。そこで、「虚偽の文書」については、「その文書作成の目的に照らして、本質的な部分、重要な部分について虚偽が記載された場合に限られる」という限定を加えるべきという考え方になる。

しかし、そのような消極論は、「虚偽の文書」という文言解釈から当然出てくるものではなく、理論上の根拠や判例上の根拠があるわけではない

今回の事件についての虚偽公文書作成罪の成否は、検察の判断如何にかかっていると言ってよい。決裁文書を改ざんする重大な行為が虚偽公文書作成罪で処罰されないのはおかしい、納得できない、という世の中の常識や圧倒的な世論を受けて、もし、検察が、虚偽公文書作成で起訴した場合、検察の判断を否定する理由はなく、裁判所はほぼ間違いなく有罪判決を出すであろう。しかし、私は、検察が今回の事件を「起訴しない」と確信していたそれは、検察が、自らの「虚偽公文書作成罪」の問題に関して過去に行ってきたことと比較して、「組織的な虚偽公文書作成」が疑われる事件を起訴することは凡そあり得ないと考えられたからだ。(以下、省略)(2018/6/4、郷原信郎

※ 2018/02/25 規範的判断の正当化の根拠としての「法原理」の記事で、以下の転記ミスがあり、訂正しました。

(1) 「ルール、一般基準、原理」の項で、(誤)他の考慮すべき事情があれば… (正)他の考慮すべき事情がなければ…

(2) 平野論文の「1.はじめに」で、(誤)法の範囲でせいか正当化を遂行… (正)法の範囲で正当化を遂行…

*1:虚偽公文書作成等罪…公務員が、その職務に関し、行使の目的で、虚偽の文書若しくは図画を作成し、又は文書若しくは図画を変造したときは、印章又は署名の有無により区別して、刑法154条、155条の規定の例によって処罰される(刑法156条)