浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

不妊治療 生命倫理

 立岩真也『私的所有論』(10)

今回は、第3章 批判はどこまで行けているか 第1節 自己決定の条件 である。本章のタイトルにある「批判」とは、「生殖技術(特に代理出産)に対する(倫理的)批判」である。第1節は、この批判を「自己決定」の観点から検討しようというものである。

ここで、生殖技術についてその基礎的な知識を仕入れておこう。さもないと、立岩の議論が理解できないように思われる。

柘植あづみは次のように述べている。(2006/7/31「生殖技術に対する生命倫理の課題の再考」)

生殖技術は生命倫理の中心的課題のひとつとして議論されてきた。生殖技術の開発・応用はめまぐるしく進むため、生命倫理の議論は常に技術刷新の後を追う形であった。しかし、これまでの生殖技術に関する生命倫理の議論は、生殖への人為的介入への危惧、家族関係の複雑化に対する懸念、情報開示やインフオームド・コンセントの必要性、生殖細胞や組織の商品化への批判など、対象となる技術は異なっても類似した内容が繰り返されている。

柘植は、ここで生殖技術を3つに分類している。

(1)人工妊娠中絶と避妊に関する技術

(2)不妊治療や分娩などの妊娠・出産を援助する技術

(3)胎児または受精卵・胚の状態を調べる技術 (出生前検査と着床前検査)

 本書では、(2)が本章で、(1)と(3)は別の章で取り扱われる。

 

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 http://www.yakuten.co.jp/children/3.html

 日本生殖医学会によれば、妊娠が成立するまでの過程は次のようである。(不妊症Q&A

①卵巣から卵子排卵されます。

卵子精子が卵管内で出会い受精します。

③受精卵が卵管内で成長しながら子宮に向かって移動します。

④子宮に到達した受精卵が子宮内膜に着床します。

これが妊娠までのプロセスで、着床から妊娠がスタートします。

排卵、受精、着床について、もう少し詳しい説明がされている。私が興味深かったのは、「着床」が「妊娠の開始」と定義されていること、受精卵が細胞分裂をしながら、卵管の中を子宮に向かって移動するということ、である。受精が新しい生命誕生の第一段階だと思うが、一般的には出産ないし妊娠が生命誕生と考えられているようだ。生年月日は、受精の年月日ではない。出産前あるいは妊娠前の受精卵はどのように処分しようと自由ということか?

以上のことをふまえ、次の動画を参照してください。

受精卵から人へ

www.youtube.com

 

立岩は、本章注2で次のように述べている。

人工授精・体外受精も技術の登場により、性的な関係を持たずに、提供者[ドナー]の精子卵子・子宮を利用することによって、他方で多くの場合は、子を持とうとする側の遺伝的なつながりを保ちながら、子を持つことが可能になる。…精子卵子・子宮のそれぞれについて、子を持とうとする当人のものの場合と提供者のものの場合を想定でき、…技術的にはその全て[の組合せが]が可能である。

立岩の記号を変形して、その組合せを表にしてみる。(A,Bは当人のもの、X,Y,Zはドナーのものである) 

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さて、不妊治療とはどういうものであろうか。厚労省は次のように言っている。(H30年1月、「不妊のこと、1 人で悩まないで」)

子どもを授かりたいと望み、妊娠・出産に向けた妊娠活動(妊活)の1つに不妊治療がある。不妊である状態は、一般的に「妊娠を望む健康な状態の男女が性交をしているにも関わらず、一定期間(1年間)妊娠しない状態」のことをいう。一般に、女性がもっとも妊娠しやすい年齢は20 歳前後であり、30 歳台後半以降は年齢を重ねるにつれて妊娠が難しくなるとされており、45 歳を過ぎると妊娠の可能性はほぼなくなるといわれる。

不妊の原因としては排卵障害や卵管の閉塞や癒着等の卵管因子などがある。男性は女性よりも比較的ゆっくりとではあるが、35 歳頃から精子の質の低下が起こるとされ、男性の不妊の原因としては性機能障害、精子の数や運動率の低下などがある。

不妊治療は患者の年齢や疾病に応じて治療方法が異なり、不妊治療を受ける患者は身体的な苦痛や精神的な落ちこみ、経済的な負担などの悩みを抱えている。…妊娠・出産に効果的とする治療などの情報が氾濫していることも不妊に関する悩みを深くする要因の1つとなっている。

人工授精や体外受精代理出産が、不妊治療の一環であることを理解しておく必要があろう。

厚労省資料では、体外受精と顕微授精による出生児数の推移が出ている(上表の組合せの全てを含むものではないが、日本の現状では、ほとんどが組合せ1の配偶者間人工授精 AIHだろうか?)。

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 驚くべき数字である。約5%、20人に1人が人工授精や顕微授精で生まれているというのである。これには、妊娠・出産年齢の高齢化が影響している。生物学的には、女性がもっとも妊娠しやすい年齢は20 歳前後であると言われているにもかかわらず、なぜこうなっているのか(これは本書のテーマではないが、興味あるテーマである)。

不妊症の原因としては、次のようなものがある。(不妊症Q&A

女性の不妊症の原因には、排卵因子(排卵障害)、卵管因子(閉塞、狭窄、癒着)、子宮因子(子宮筋腫、子宮内膜ポリープ、先天奇形)、頸管因子(子宮頸管炎、子宮頸管からの粘液分泌異常など)、免疫因子(抗精子抗体など)などがあります。このうち排卵因子、卵管因子に男性不因子を加えた3つは頻度が高く、不妊症の3大原因と言われています。

男性の不妊症の原因は、射精がうまくいかない場合(性機能障害)と、射精される精液の中の精子の数や運動率が悪くなっている場合(精液性状低下)にわけられ、後者は軽度・中等度のものと、高度および無精子症にわけられます。

不妊症の検査をしても、どこにも明らかな不妊の原因が見つからない場合を、原因不明不妊と呼んでいます。原因不明不妊不妊症の1/3 をしめるといわれていますが、本当に原因がないわけではなく、検査では見つからない原因が潜んでいます。その原因のひとつは、何らかの原因で精子卵子が体内で受精していない場合で、人工授精や体外受精治療の適応となります。もう一つの原因は、精子あるいは卵子そのものの妊孕性(にんようせい)(赤ちゃんを作る力)が低下している、あるいはなくなっている場合です。後述する加齢などがこの原因となると考えられており、その一つの証拠として原因不明不妊は夫婦の年齢が上昇すると一般に割合が高くなることが報告されています。

加齢による精子卵子の老化は、妊孕性の低下と言い換えられる。

用語の解説を見ておこう。

人工授精精子を受精の場である卵管膨大部の近くに送り届けることであり、男性不妊の治療法として汎用されている。精子の数が少ない、あるいは精子の運動が不良な精子無力症では、受精に必要な数の精子が卵管膨大部まで到達できない。このような症例では、用手的に[手を用いて]採取し調整した精子を、排卵日に子宮頸管あるいは子宮腔(くう)内、さらには卵管内に注入し、卵管内で受精が成立することを期待する。人工授精では体内で受精がおこる。(吉村泰典、日本大百科全書

夫に精子はあるが数が不足の場合,性交不能症(早漏尿道下裂など),頸管(けいかん)粘液が精子の受入れに不適合な場合などにはAIH(配偶者間人工授精、Artificial Insemination by Husband),夫の無精子症,血液型不適合などの場合にはAID(非配偶者間人工授精、Artificial Insemination by Donor)を行う。(百科事典マイペディア)

AIDの場合(精子がドナーのものである場合)、倫理問題が生ずる。

体外受精胚移植(in vitro fertilization-embryo transfer:IVF-ET)…体外に取り出した卵子の入った培養液に調整した精子を注入(媒精)し受精させる操作であり、分割胚を腟を通して子宮腔(くう)内に移植することである。卵管内での受精が不可能な不妊症に対する治療法である。…卵管性不妊、男性不妊、免疫性不妊、原因不明不妊に加え、子宮内膜症など本法以外の治療によって妊娠の可能性がきわめて低いと判断される病態が適応となる。(吉村泰典、日本大百科全書

採卵により未受精卵を体外に取り出し、精子と共存させる(媒精)ことにより得られた受精卵を、数日培養後、子宮に移植する(胚移植)治療法です。最初は卵管の障害が原因の不妊治療に用いられてきましたが、現在はその他の不妊原因の治療としても使われています。(不妊症Q&A)

顕微授精(卵細胞質内精子注入法、ICSI)…体外受精では受精が起こらない男性不妊の治療のため、卵子の中に細い針を用いて、精子を1 匹だけ人工的に入れる治療法です。(不妊症Q&A)

この解説によれば、体外で受精卵・胚を作製さえすれば、上記組合せの全てにあてはまると思われる。この場合も、精子又は卵子又は子宮がドナーの場合、倫理問題が生ずる。

 

不妊治療の方法は、

一般的な不妊治療の流れは図2-1[省略]のとおりだが、患者とパートナーの年齢や疾病などに応じて治療法が異なる。治療の過程では、痛みを伴う採卵や複数回の注射による下腹部の腫れなどの身体的負担や服薬によるイライラ感、落ちこみなどの精神的変調など身体的・精神的な苦痛を伴うことが多い。治療の対象は主に女性のため、このような種々の苦痛や負担は女性に集中している。(厚労省、「不妊のこと、1 人で悩まないで」)

不妊治療の治療費は、

図2-2のとおり治療費は保険適用と適用外がある。医療機関によって異なるが、保険適用外の場合は治療費が総じて高額となり、治療を継続する中で経済的な問題を抱えることも多い。各センターの相談員と相談者からの聞き取りによると、人工授精が1回1万円~3万円、生殖補助医療が1回20 万円~70 万円を要する場合もあるとのことだった。(厚労省、「不妊のこと、1 人で悩まないで」)

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 いま問題にしようとしている不妊治療は、保険適用外の人工授精と生殖補助医療である。しかし、保険適用の不妊治療に問題がないわけではない。加齢による精子卵子の老化が不妊の一因であるとすれば、晩婚化(←経済的要因)が大きな問題なのであるが、これは別途としよう。