浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

ヒトゲノムの完全解読 その後は?

山口裕之『ひとは生命をどのように理解してきたか』(1)

今回から、『ひとは生命をどのように理解してきたか』を読むことにする。本書の構成は、

 序章  生物学と哲学

 第1章 生命科学の急発展と「遺伝子」概念の揺らぎ

 第2章 生物学の成立構造

 第3章 二つの遺伝子

 第4章 機械としての生命

 終章 「生命の存在論」へ向けて

である。著者は、生物学者ではなく哲学者である。序章は省略する(最後にふれるかもしれない)。第1章の「遺伝子」概念の揺らぎとは、興味をそそる表題であるが、それは第2節で述べられる。今回は、第1節 ゲノム科学の進展と現状をみることにしよう。(「遺伝子」や「ゲノム」等の基本用語については、文末※の解説を参照)。

 

本書を読んですぐに退屈する前に、次のビデオを見ておこう。これはイントロとしてすぐれものだと思う。特に、17分あたりからのパネルディスカッションがおもしろい。(後で、この話に関連した話がでてくるかもしれない)

 

ヒトゲノム解読完了・DNAらせん発見50周年記念講演会(2003/4/19、日本科学未来館にて)


遺伝子・DNA・ゲノムー50年でわかったこと ヒトゲノム解読完了・DNAらせん発見50周年記念講演会

 

ヒトゲノム解読には、「国際ヒトゲノム配列コンソーシアム」の他に、クレイグ・ヴェンター率いる民間営利企業セレラ社が参入したことは、ある意味興味深いが、話が横道に逸れるので、本筋の話題から見ていこう。

ゲノム解析の速度や低コスト化が飛躍的に進んだ背景には、塩基配列の自動読み取り装置(シークエンサー*1などハード面の開発・改良のほか、生物学分野への情報科学者の参入による解析プログラムの開発がある。一民間企業であるセレラ社が世界各国の大学や研究機関の連合体である国際コンソーシアムを相手に互角以上の競争を演じることができたのは、…同社を率いるクレイグ・ヴェンターが、情報科学者の協力を経て全ゲノム・ショットガン法というゲノム配列決定の技法を開発したことが主要な理由だと言われる。

これはどういう方法か。

これは、超音波でゲノムを短い断片に切断して、それら断片の配列を片っ端から決定していき、次いでそれらの両端部の配列の重なりを手掛かりにしてつなぎ合わせることで、もとの一本のゲノム配列を再構成しようとする方法である。…この方法は、理屈は単純なのだが、これで30億塩基対にものぼるヒトゲノムを再構成するとなると、何億ピースものジグソーパズルを作るようなもので、人手ではとうてい無理である。くだんのスーパーコンピュータと複雑なプログラムが不可欠であった。 

 次のような説明もある。

まず長い配列を短いランダムな断片としてクローニングし、最初にそれらの配列を決定する。 このとき一本の長いDNA鎖から沢山のコピーを取り、断片同士がオーバーラップするようにしておく。 最終的に、これらのオーバーラップ部分についてコンピュータ上でアライメントを行い、元の長い塩基配列を決定する。(Wikipedia)

ジグソーパズルをコンピュータで解くといったイメージである。パズル好きには刺激的なテーマだろう。

ヒトゲノムの解析後ベンターは、単に一生物のゲノムを解析するだけではなく、サルガッソ海から海水を採ってきてそこに含まれるDNA分子を十把一絡げに解析し、それをつなぎ合わせて何百種類もの細菌やウィルスのゲノムを再構築するという離れ業をやってのけた。ある生態系に属するすべての細菌のゲノムをひとまとめに解析してしまうこうした研究法はメタゲノム解析*2と呼ばれる。

海水中に含まれるDNA分子を一つずつではなく、十把一絡げに解析するとは実に面白い。

サルガッソ海は栄養分が少なく、したがって生物も少ない「海の砂漠」だと言われていたが、彼はその海水中から大量のDNAを取り出した。それらの解析の結果、130万以上の新奇な遺伝子が見出された。さらに彼は太平洋へと調査を進め、結局400の新種の微生物と600万の新奇な遺伝子を発見したという。…メタゲノム解析では、ある環境中に生息する細菌種のゲノムを一網打尽に明らかにすることができる。後で見るように、遺伝子の塩基配列からその機能を推定することができるので、未知の細菌をいちいち育てて実験したりすることなく、その細菌がどのような性質を持っているかをある程度予想することができるのである。ベンターが大量の新種を発見できたのには、そうした事情がある。

でも何か違和感がある。生命を見ているのではなく、パズルを解いているだけのような気がする。その次は何なのか?

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https://www.dna.bio.keio.ac.jp/research/comp/projects/tools.html

 

※ 基本用語(本書の序章より)

  • 遺伝子物質としてはデオキシリボ核酸(DNA)であり、アデニン(A)、チミン(T)、グアニン(G)、シトシン(C)という4種類の塩基が鎖のようにつながって作られている。これら4種類の塩基の連なりが、あたかも文字のように情報を担っている。
  • 遺伝子が担う情報…基本的には、タンパク質のアミノ酸配列の情報である。タンパク質は、細胞を構築する各種の部品となったり細胞内の様々な化学反応を制御したりと、細胞の活動を担う実働部隊のような分子である。これも鎖状の分子で、20種類のアミノ酸がつながってできている。そして、どのような種類のアミノ酸がどのような順序で並んでいるかを指定しているのが、DNAの塩基配列なのである。
  • 分子生物学セントラルドグマ…DNAに書き込まれた情報は mRNA(メッセンジャーRNA)へと「転写」され、それがさらにタンパク質へと「翻訳」される。基本的にその逆方向の情報の流れはない。これがいわゆる分子生物学セントラルドグマ(中心教義)である。
  • ゲノム…「ゲノム」とは「ある生物種が持つ遺伝子の全体」という意味で、細胞の核の中に納められたDNA分子全体のことである。ゲノム配列を調べる研究とは、要するにDNA分子を構成する4種類の塩基がどういう順番で並んでいるかを調べているのだ。

*1:シーケンサー…DNAなどの塩基配列を解析するための装置。生物から取り出したDNAを制限酵素などで断片化し、ベクターと結合させた上でクローニングを行う。これをPCR法によりさらに大量に増やし、電気泳動にかけて解析し、配列を読み解く。DNAシーケンサー。(デジタル大辞泉

*2:メタゲノム解析…培養という過程を経ずに、環境中の微生物がもつ核酸、遺伝子、DNAのすべてを抽出、収集し、これらの構造(塩基配列)を網羅的に調べれば、個々の核酸や遺伝子がどの微生物由来かはわからないものの、環境中の微生物の集合体(コミュニティー)がもつ遺伝子群が分かる。このような手法をメタゲノム解析と呼び、その研究分野をメタゲノミクスと呼ぶ。(知恵蔵)