浮動点から世界を見つめる (旧:気の向くままに)

井蛙は以って海を語るべからず、夏虫は以て冰を語るべからず、曲士は以て道を語るべからず

ポスト・ゲノム時代 合成生物学 人工生命

山口裕之『ひとは生命をどのように理解してきたか』(2)

今回は、第1章 生命科学の急発展と「遺伝子」概念の揺らぎ 第1節 ゲノム科学の進展と現状 の続きである。

ゲノム・プロジェクト以後の時代(つまり現代)を、ポスト・ゲノム時代と呼ぶそうである。何が違うのだろうか。生物学研究の基本枠組み(パラダイム)の転換?

ゲノム・プロジェクト以前の時代には、遺伝子はまずは突然変異に対応するものとして探求されるのが常であった。つまり、ある突然変異を起こした個体の染色体を正常な個体の染色体と比較して、その変異に対応する遺伝子の染色体上の位置を推定するのである。

この例として、ショウジョウバエの眼が形成されない突然変異体を調べて、眼を形成する「アイレス遺伝子」(眼なし遺伝子)*1が発見されたことが挙げられている。

ゲノム・プロジェクト以後はどうなったのか?

ゲノム全体の塩基配列が分かるようになった現在、突然変異体が存在するか否かに関係なく、ゲノム中における塩基配列の特徴のみから遺伝子だと推定される部分がどんどん見つかるようになってきた。先に「DNAの塩基配列にはタンパ質のアミノ酸配列の情報が含まれている」と述べたが、実はそれだけではなく、DNAの塩基配列には、情報の読み取り開始位置や読み取り終了位置、読み取り開始を制御するための情報なども含まれている。読み取り開始位置は通常、ATGという塩基配列であり、終了位置はTAAかTAGかTGAである。それゆえ、ゲノム全体の中で、読み取り開始位置を示す塩基配列(ATG)から、終了位置を示す塩基配列(TAAかTAGかTGA)までの範囲が遺伝子だと推定できるのである。その範囲は、ORF(開かれた読み取り枠Open Reading Frame )*2と呼ばれている。

ゲノム・プロジェクト以前は、「遺伝子の機能が先に想定されており、そこから遺伝子の本体を探そうとする方向で研究がなされている」のであるが、ゲノム・プロジェクト以後は「遺伝子の機能が先に想定されることなく、遺伝子の本体を推定できる」というのであるから、画期的であると言えよう。但し、この記述から明らかなように、形式的に遺伝子と推定されるだけで、遺伝子の機能はわからない。

このように、塩基配列のみを検索することでゲノムの中から遺伝子と思われる部分を見つけ出すことができるのだが、この場合、その遺伝子がどんな機能を果たすものであるかはすぐには分からない。細胞の中で実際に機能を果たす実働部隊はタンパク質分子だが、ORFから分ることはそこから生産されるタンパク質のアミノ酸配列だけで、そのタンパク質がどんな働きをするかという情報は書かれていないからである。 

 かくして、

遺伝子から機能へという方向で探求が進められることになった。これは従来の研究の方向を180度転換させる革命的な事態だと言えよう。とはいえもちろん、実際の研究はそれほど単純なものではない。ORFの候補となる配列を探し出すことは比較的容易なのだが、それが本当に遺伝子として機能しているかどうかは必ずしもはっきりしない*3のである。

 

ここでアノテーションという言葉が出てくる。この言葉は覚えておきたい。

そこで、ゲノムの塩基配列データから実際に遺伝子として働いている部分を見つけ出し、それらの機能を明らかにすることが、ポスト・ゲノム時代における主要な研究課題となっている。そうした作業をアノテーション(注釈づけ)と呼ぶ。

「注釈づけ」という意味がよくわからない。

ゲノム分野における「アノテーション(annotation)」とは、塩基配列データに、遺伝子構造や遺伝子機能の情報、また文献情報などを注釈付けする事をさしています。また、人が目で確認を行う場合を「マニュアルアノテーション(manual annotation)」、コンピュータが自動で行う場合を「自動アノテーション(automatic annotation)」と分類しています。(http://ynlab.info/about/annotationnavi/

なるほど。塩基配列データに、注を付けるわけだ。構造や機能と対応づけるという意味のようだ。

アノテーションを実行する上での中心的な戦略は、見つかったORFを既知の遺伝子の塩基配列と比較することである。あるいは単に、研究したい生物のゲノム配列の中から、既知の遺伝子と同じか類似した部分を探すということもできる。これらの方法を相同性検索ホモロジー・サーチ)という。

よく、「ヒトとチンパンジーとではゲノムは99%同じだ」などと言われるが、多くの生物のゲノムが明らかになるにつれて、例えばマウスとヒトでもゲノム配列の70%位は同じで、遺伝子についてのみなら90%位は同じもの(ないし類似したもの)であることが明らかになってきた。異なる生物種の間で共有されている遺伝子を「相同遺伝子(ホモログ)」という。ヒトと大腸菌との間でさえ、500個位の相同遺伝子があると言われる。

ここで「相同」という言葉を、「ある形態や遺伝子が共通の祖先に由来すること」(Wikipedia)と理解すると、紛らわしくなる。

このように、系統関係の離れた生物種間でも相同遺伝子が広く見つかることから、例えばマウスやショウジョウバエではすでに明らかになっているがヒトではまだ見つかっていない遺伝子について、それと類似した配列をヒトゲノムのデータ中から探すことで、新たな遺伝子を同定することができる。この相同性検索という方法の利点は、遺伝子を発見すると同時に、その機能も推定できるところにある。つまり、この方法で見つかったヒト遺伝子は、探索する時に元になったマウスやショウジョウバエの遺伝子と基本的に同じ機能を担っていると推定できる

ここで「相同性検索」を、「ゲノムデータから、同一ないし類似した配列を探すこと」と理解しておく(「共通の祖先」云々は関係ない)。ポイントは、「遺伝子の発見」と「機能の推定」である。

 

生物分類の組み直し

様々な生物種で相同遺伝子が見つかるが、それらの塩基配列の差異を利用することで、生物の系統関係を推定することもできる。例えば、ある相同遺伝子について、Aという生物とBという生物では全く同じ塩基配列だが、Cという生物では塩基配列の一部が異なっていたとすると、AとBとは同じ系統に属し、Cは、AやBから分れた系統に属すると推定することができる。こうして推定された系統関係に基いて生物を分類することも一般化してきた。

「例えば」以降の文章がちょっと紛らわしい。「ある相同遺伝子について…Cという生物では塩基配列の一部が異なっていたとすると…」とあるので、相同遺伝子には類似の塩基配列のものも含むように理解されようが、全く同じ塩基配列のもののみを相同遺伝子とし、塩基配列の一部が異なっているものは相似遺伝子と呼んだほうが良いように思われる。相同性検索というのは、全く同じ塩基配列を検索していて、一部異なる塩基配列が見つかることもある(それも意味がある)ということだと理解しておこう。それは系統関係の推定→生物の分類に役立つ。

従来は、生物の分類や進化的な系統関係は、形態上の類似発生過程の類似化石による証拠などから推定されていた。ところが遺伝子レベルでの比較によって系統関係が解析されるようになった結果、生物分類体系が見直されつつある。例えば、生物が古細菌(深海や高温の温泉などに生息する特殊な微生物)、原核生物大腸菌結核菌など普通のバクテリア)、真核生物(動物、植物とカビ類)の3ドメイン(領域)に大別できることは、それぞれのゲノムが比較され、相違点の大きさが明らかになったことから広範な支持を得ることになり、現在では定説とされている。

現在の定説となっている3ドメイン説を確認しておこう。もっとも、その内容を単なる知識として知っているのではなく、遺伝子レベルでの比較(塩基配列の比較)が根拠になっていることを理解しておく必要がある。

現在主流の3ドメイン説では、生物全体を細菌、真核生物、古細菌の3つに大別する。1990年にカール・ウーズ*4が提唱した。

細菌(Bacteria、バクテリア)…細胞膜を持つ原核生物大腸菌、枯草菌、シアノバクテリアなど。

古細菌(Archaea、アーキア)…メタン菌・高度好塩菌・好熱好酸菌・超好熱菌など。

真核生物(Eukaryota)…動物、植物、菌類、原生生物など。(wikipedia)

 本書は、①細菌を、原核生物としている。細菌と古細菌が区分されていることが興味深い。

古細菌…形態や名称こそ細菌(バクテリア)と類似するが、細菌と古細菌は異なる系統に属しており、その生態機構や遺伝子は全く異なる。非常に多様な生物を含むが、その代表例として高度好塩菌、メタン菌、好熱菌などが良く知られている。(Wikipedia

 Wikipediaに、古細菌アーキア)の興味深い解説がある。まだ読んでないが、今後とりあげるかもしれない。

人間を相対化すること。例えば、メタノブレビバクター(Methanobrevibacter)は、「代表的なメタン菌で、哺乳類やシロアリなどの消化器官、水田、湖沼、海洋汚泥、ぬれた土など広範囲の嫌気環境に分布する。人体から最も多く分離される古細菌もこの属で、腸内古細菌として結腸内にも生息している」(Wikipedia)という。このメタン菌にとってはヒト(人間)は、どのような存在であろうか。

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生物の分類  (Wikipedia)

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最小の生命と人口の生命

遺伝子の数は、ヒトは2万数千個、大腸菌は4000個ほど、インフルエンザ菌は1700個ほど、マイコプラズマ・ゲニタリウム(細菌)は480個ほどであるという。

では、生物が生物として成り立つために遺伝子は最低何個ぐらい必要なのだろうか? そしてその遺伝子の機能はどのようなものか? 

「生物として成り立つために」とは、「死ぬことなく、生命を維持するために」という意味だろう。

先ほどの遺伝子の数の話を聞いて、こういう問いを立てるあるいは発することができること。立問力あるいは発問力*5

ベンターは、上記の問いに答えるべく、ミニマル・ゲノム・プロジェクトを立ち上げた。彼とそのチームはまず、マイコプラズマ・ゲニタリウムに目を付けた。この細菌の持つ遺伝子の数が、知られている生物の中で最小に属するものだからである。ベンターはそのゲノムを1995年に既に解析していた。彼らはその遺伝子をひとつずつ破壊して、細菌が死ぬかどうかを観察することで、それが生存に必須な遺伝子かどうかを調べていったのである。加えて、相同性をもとに機能推定も行い、480個の遺伝子のうち、99個は生存に不要らしいと結論した。つまり、380個ほどの遺伝子があれば、一個の生物として何とか生きていけるのではないかと考えられるわけである。これが生物としての最小ゲノムの候補となる。

これだけであれば、学問研究の範囲内である。しかし……

現在彼らが取り組んでいるのは、化学合成で作った人工の「最小ゲノム」を細胞に植え付け、一個の生物として機能するかどうかを確認する研究である。こうした人工合成のゲノムで新しい細胞を作製する方法について特許も申請しているという。このように、ゲノムを人工的に加工することで新規な生物を作製したり、生物に(現在のところ主に細菌に)ガソリンを合成する能力や汚染物質の分解能力などといった好みの性質を与えたりしようとする研究分野を、合成生物学という。

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https://www.sbj.or.jp/division/division_synthetic.html

 

このような合成生物学であってみれば、当然に「生命倫理、安全保障、安全、健康、エネルギー資源、知的財産権」などに大きな影響を及ぼし(Wikipedia)、利害が絡んでくる。遺伝子組み換え技術に関しては、国際的な規制があるようだが、合成生物学→産業技術化(軍事技術化)に、対処しえているのか、見直す必要があるだろう。

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https://www.genengnews.com/gen-articles/synthetic-biology-expands-and-grows/6083

*1:従来の遺伝学研究では、突然変異に対応する者として遺伝子を探すので、それが壊れたときの結果から名前がつけられていることが多いという。

*2:ORF…DNA またはRNA 配列をアミノ酸に翻訳した場合に終了コード配列(termination codon; 終止コドン)を含まない読み取り枠(Reading Frame)がオープンな(Open)状態にある(タンパク質に翻訳される可能性がある)塩基配列を指す。(Wikipedia) 

*3:山口は、実際には遺伝の機能を果たしていない「偽遺伝子」の例をあげている。こうした偽遺伝子は、ヒトゲノム中に2万個ほどあったという。

*4:カール・ウーズは、遺伝子の類似点から生物を23の門に分け分岐図を描き、真正細菌古細菌、真核生物の3つを比べ、古細菌真正細菌でも真核生物でもないと考えた。それまでは生物の分類には、形態などの物理的分類、代謝などの化学的分類が主であり、遺伝子による分類は生物学・細菌学では用いられておらず、旧来の方法とは全く異なる新しい手法であった。この理論はサルバドール・エドワード・ルリア、エルンスト・マイヤーらに代表される生物学者たちから激しい反発を招き、受容に時間を要した。(Wikipedia) 

*5:国家エゴむき出しで相争う。なぜなのか? 私の問いの一つである。