久米郁男他『政治学』(13)
今回は、第6章 市民社会と国民国家 第2節 市民社会 である。本書を読む前に、植村邦彦*1に対するインタビュー記事<日本に「市民社会」は存在しないのか?>(2018/1/12) を参照しよう。
- civil societyという言葉は、当初は「国家」を意味していた。(アリストテレス的用語法。ギリシア語politike koinonia:国家共同体)
- アリストテレス的用語法とは異なる「市民社会」概念の系譜は、18世紀末にドイツ語圏で始まる。アダム・スミスが描いた分業と商品交換に基づく「文明的商業社会」が、「市民社会」だと理解されることになった。ヘーゲルがこの用語法を取り入れて、経済社会としての「市民社会」と「国家」を区別し、それをマルクスが引き継いだ。
- 広辞苑の「市民社会」の定義…特権や身分的支配・隷属関係を廃し、自由・平等な個人によって構成される近代社会。啓蒙思想から生まれた概念。
- この定義には「大きな誤解」がある。啓蒙思想から生まれた概念ではない。civil societyという英語表現は、そもそもアリストテレス以来の「国家共同体」を指す言葉。それはいつの時代にも存在する政治的支配のシステムであって、「自由・平等な個人によって構成される近代社会」ではない。
- ロックやルソーの場合、この言葉は「政治社会」ないし「国家」を指すものである。しかも、どちらの場合にも、この「国家」は、土地所有者が自分たちの所有権を守るために作り上げた政治秩序を意味する。彼らにとってcivil societyは、けっして「自由・平等な個人の理性的結合によって成るべき社会」ではなかった。
- 鵜飼信成*2は、ロックのcivil societyを「市民社会」と訳しただけでなく、civil governmentを「市民政府」と訳した。ここにも、戦後民主主義の系譜につながる「市民」運動を背景にした、ロック思想の現代的読み込み、つまりは歴史的文脈の無視を見ることができる。原語では国家や経済社会を意味していた「市民社会」が、実現されるべき理想に変質した。
- 「市民社会」という言葉が、ヘーゲルやマルクスが批判対象とした資本主義的経済社会の同義語としてではなく、むしろスミスが描いた近代的な文明的商業社会を表現する概念として、広く受け入れられていくことになった。日本では、「市民社会論」というのは、前近代に対する闘い=一種の近代化論=西欧なみの近代的な文明的商業社会をつくりだそうというものであった。
- 保守の言う「新しい市民社会」は、権利を主張するだけではなく、自己抑制的に自分の義務を遂行する国民からなる社会である。体制を変革するのでなく、体制に奉仕する主体が市民だとされた。その背景にあるのは、日本企業の輸出競争力に支えられた経済的繁栄である。(「企業共同体」あるいは「会社主義」の言説)
- 東欧の反体制運動の中で〈civil society〉という言葉が使われるようになるのは、1980年代のポーランドとハンガリーである。英和辞典『リーダーズ・プラス』(1984)では、〈civil society〉は「[東ヨーロッパで独裁的国家体制に反対する]市民団体」と説明されていた。
- 1990年に西ドイツのユルゲン・ハーバーマスたちが改めてcivil societyの直訳語として使い始めたのがZivilgesellschaftという新造語だった。これは、「公共的な討論」に参加して「世論を形成する諸結社meinungsbildende Assoziationen」という性格づけを与えられた「市民団体」の総称である。「市民社会」というと空間や領域をイメージするが、もっと具体的な団体や結社のことを意味している。
- 政治社会=国家(政府)とも経済社会=市場(企業)とも異なる、第3の社会領域の組織および運動として、「市民社会=市民団体」の影響力を評価する立場が、現在の「市民社会」論の主流になった。
- 坂本義和*3は、「市民社会」を「人間の尊厳と平等な権利との相互承認に立脚する社会関係がつくる公共空間」だと定義し直している。そのような「市民社会」の構成員は、「人間の尊厳と平等な権利を認め合った人間関係や社会を創り支えるという行動をしている市民」である。「市民社会」の構成員は、また「国内・民際))*4のNGO組織に限るものではなく、都市に限らず農村も含めて、地域、職場、被災地などで自立的で自発的(ボランタリー)に行動する個人や、また行動はしていないが、そうした活動に共感をいだいて広い裾野を形成している市民をも含んでいる」。ここでは、かつての「市民社会論」と同様の理念的社会像と、NGO組織を中心とする新しい「市民社会=市民団体」論とが混じり合っている。
- 「市民社会」という訳では、具体的な組織や結社から離れて、さまざまな「市民」が構成する「公共空間」というあいまいで抽象的な、一種の理想化された「社会」を想起させてしまう。
- 民主主義社会の政治的主体となる「自由・平等な個人」(市民)の確立を求める議論が、市場経済の枠の中で「自由に」選択して意思決定し、その結果に個人として責任を負う「自立的主体」の確立を求める議論へとすり替わっていった。ここにおいて、「市民社会」とは「自己責任論」が支配する新自由主義的な競争社会を意味する。
- 「市民社会=市民団体」の両義性を明確に認識することが必要である。「市民社会=市民団体」を持ち上げて、その社会変革的側面に期待したり、それ自体の功罪を議論したりする前に、それが置かれている政治的・経済的文脈を見直すべきである。
- 現代の「市民社会=市民団体」論の多くが、国家領域=政府諸機関や経済領域=企業(資本主義的営利組織)とは区別される、非政府組織NGO・非営利組織NPOとしての「市民団体」とそのネットワークに期待をかけるのは、もちろんそれなりの社会的根拠がある。その一つは、政府が企業の際限のない営利活動を有効に規制せず、他方で社会福祉が後退していく中で、政府は頼りにならないという国民の政治的感覚だと思う。
www.vns.or.jp/C01_kiso_kouza/2014.2.13_kariya/6-1_3sector.ppt
川出(本章担当)は、代表的な市民社会の観念として4つ挙げている。
今日の市民社会論については、次のように述べている。
市民社会の観念がこのように歴史的に見てきわめて多様であるため、今日の市民社会論も市民社会の定義づけに関して、必ずしも一枚岩ではない。最大の論争点は、市民社会というカテゴリーに、企業活動を含めるかどうかという問題であろう。ヘーゲル的な市民社会概念からすれば、企業活動はまさに市民社会そのものといえるところだが、現代の市民社会論は、私企業の諸活動を市民社会の枠の外に置こうとする傾向が強い。というのも、そこではしばしば、市民社会とは国家と市場(とりわけグローバル化する市場)に対抗するだけの潜在的な可能性を持つ、いわば第三のセクターとみなされているからである。これに対しては、市民社会とは要するに家族と政府とを除いたすべての領域を総称するもので、経済活動を通して形成されるさまざまなネットワークを市民社会から一律に排除するのは問題であるとの異論もある。…現代の市民社会論は、公共的機能を果たすのは国家だけではなく、市民社会もまた公共性の担い手であるという前提を多かれ少なかれ共有している。
これだけの説明では、現代の市民社会論(市民的団体の集合体?)が、なぜ「私企業の諸活動」を市民社会に含めないのかわかりづらい。「国家と市場に対抗するため」らしいが、なぜ国家と市場に対抗しようとしているのか。
「第三のセクターとみなされている」とか「市民社会もまた公共性の担い手である」とか言うが、ここでは「第3の社会領域」といった程度の抽象的な概念であって、非政府組織NGO・非営利組織NPOとしての「市民団体」とそのネットワークというような、具体的なイメージがないように思われる。
私は、現代の諸問題を「市民社会」というカテゴリーで論じる意味はないと考える。NGOやNPOという組織(「市民団体」と称する必要はない)の可能性については、よく考えなければならない。(不勉強なので、いまは何とも言えない)
まず、さまざまな問題があるのである。問題意識無くして知識を仕入れたところで、世の中が良くなることはないだろう。(問題意識無くして、あれやこれやの「既存の知識」を並べ立てるテキストは面白くない。)