浮動点から世界を見つめる

井蛙には以って海を語るべからず、夏虫には以て冰を語るべからず、曲士には以て道を語るべからず

遺伝子概念の揺らぎ

山口裕之『ひとは生命をどのように理解してきたか』(3)

今回は、第1章 生命科学の急発展と「遺伝子」概念の揺らぎ 第2節「遺伝子」概念の揺らぎ である。イントロとして、「遺伝子操作ベビー」と「美女遺伝子」について触れようかとも思ったのだが、本節を読んだ後の方が良いと思い直した。

 

「遺伝子」概念の揺らぎ

[DNAに書き込まれた情報は mRNA(メッセンジャーRNA)へと「転写」され、それがさらにタンパク質へと「翻訳」されるのだが]真核生物の場合、DNAから転写されたRNAの内部にタンパク質に翻訳されない部分が含まれていることが1970年代後半に発見された。そうした翻訳されない部分が切り取られ、残りの部分がつなぎ合わされてタンパク質に翻訳される。このとき翻訳されない部分を「イントロン」と呼び、タンパク質のアミノ酸配列の情報を担っている部分を「エクソン」と呼ぶ。要するに、真核生物の遺伝子の塩基配列の中には、アミノ酸配列の情報を担わない部分(イントロン)が挿入されており、情報を担う部分(エクソン)はいくつかに分断されているのである大腸菌など原核生物にはイントロンのような無意味な(つまりタンパク質のアミノ酸配列に対応しない)配列は基本的に存在しない。他方、ヒトなど高等な生物の場合には、転写される領域のうちでエクソン領域よりイントロン領域のほうが長いことも多い。いったん転写されたRNAの一部が切り取られ、エクソンだけがつなぎ合わせられるプロセスを「スプライシング」という。

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http://www.seibutsushi.net/blog/2008/08/535.html

 

遺伝子が担う情報は、「基本的には、タンパク質のアミノ酸配列の情報」であった。であれば、タンパク質に翻訳されない部分を「遺伝子」と呼んでいいのか。

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https://www.omakizaru.com/entry/alternative-splicing-20161022

 

これだけでも十分にややこしいプロセスだが、「選択的スプライシング」とは、一つのRNAに含まれるエクソンの組み合わせを変えて複数のタンパク質が作られるという現象である(1984年に発見された)。これは決して例外的な現象ではなく、例えばヒトの場合、半分以上の遺伝子で行われており、一つの遺伝子からエクソンの組み合わせを変えて作られるタンパク質の数は平均して5個程度と見積もられているという。さらに、トリパノソーマなど一部の生物においては、複数の遺伝子に由来するエクソンが組み合わされる「トランススプライシング」と呼ばれる現象が観察されている。

古典的な分子生物学では遺伝子の単位や機能はタンパク質に対応づけることで定義されてきたのだが、これらの現象において「一つの遺伝子」をどのようにして定義すればよいのかが分からなくなってしまう。

 「選択的スプライシング」や「トランススプライシング」と呼ばれる現象が観察されるなら、もはや「遺伝子」をタンパク質と1対1に対応づけることはできない。だとすると、「一つの遺伝子」とは何を意味するのか。

 

RNAにまでは転写されるがタンパク質に翻訳はされない「遺伝子」がヒトゲノム中から大量に発見されたのである。その数は約8000と推定されるという。こうしたncRNA(non-coding RNA:タンパク質に翻訳されないRNA)の一部は遺伝子の発現制御の機能を果たすと考えられているが、大部分については機能が未知であり、現在解析が進められている。「今までmRNA=タンパク質をコードする遺伝子だったのですが、ncRNAの発見でこの定説が揺らぎ始めており、遺伝子を確定する作業は思ったよりは容易でなくなってきました」(服部正平)

この後ncRNAについて、やや詳しく説明されているが省略する。

近年明らかになったncRNAはあまりに数が多く、種類も多い(ただし、量は少ない)。…こうした様々なncRNAの情報を担う部分を「遺伝子」に参入するなら、もはや例外扱いは難しく、「遺伝子」の定義が揺らぎかねないのである。

以上の説明では、遺伝子の「定義」という言葉の問題のようにも受け止められるが、山口はそうではないという。

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分子生物学セントラルドグマ http://www.ach.ehime-u.ac.jp/bchem/protein%20synthesis.html

 

1960年代に提唱された「分子生物学セントラルドグマ」では、DNAの配列情報がmRNAに転写され、それをもとにタンパク質が作られると考えられた。一般にこれは細胞内での情報の流れを示す説だと考えられているが、同時に、分子の種類を機能の分担と対応させる説であったとも言えるだろう。つまり、情報保持はDNAの機能、情報伝達がRNAの機能、細胞内で酵素などとして実際に仕事をするのがタンパク質、というふうに対応づけがなされたわけである。こうした対応づけのお陰で、細胞内の複雑な諸現象を「情報伝達」と「機能の発現」といった形で整理することは、恣意的な分類(観察する人間の側の勝手な解釈)ではなく、分子の種類という物質的な根拠のあることだと言うことができた。タンパク質でないのに酵素として機能するリボザイム*1の発見が驚きをもって迎えられたのは、こうした理解枠組みの根拠を揺さぶるものだったからであろう。

いまや分子の種類という物質的な根拠が失われ、細胞内の複雑な諸現象を「情報伝達」と「機能の発現」といった形で整理することができなくなった、というわけである。

そして、いまやタンパク質に翻訳されないRNAは「例外」ではないことが明らかになりつつある。RNAという種類の分子を情報伝達という機能と対応づけることはもはやできないということである。近年、むしろRNAはタンパク質に比肩するほどの実働部隊ではないかと考えられるようになってきている。分子の種類に応じて機能を割り振るというシンプルで美しい理解枠組みは、どうやらシンプルすぎたようなのだ。この点において、タンパク質に翻訳されない多数のRNAの発見は、単に遺伝子の定義を混乱させるだけでなく、細胞内の現象を整理し理解するための基本的な枠組みそのものに綻びを感じさせるものである。

RNAが情報伝達に限定されない機能を有する実働部隊だとしたら、細胞内の現象の理論枠組みはどのようなものになるのであろうか。

 

遺伝子の「機能」の揺らぎ

遺伝子について揺らいでいるのは、その定義だけではない。遺伝子の「機能」が何かという点についての理解もまた、揺らぎつつあるように思われる。

先に述べたように、ゲノムの中からの遺伝子の発見と機能推定がポスト・ゲノム時代の主要な研究テーマとなっているのだが、こうした研究を推進しているのは、純粋に知的好奇心に動機づけられた研究者だけでなく、むしろ、ゲノム情報をもとに新しい医薬品を開発して大儲けしたい製薬会社やベンチャー企業のほうが、大量の資金を投入して精力的にゲノムの解析を進めている。健康と病気とに関連する遺伝子を特定することが彼らの主要な関心事である。

 こうした観点からの研究において、遺伝子の機能とは、人を病気にしたり健康にしたりすることだと考えられているのだろう。しかし、…

ちょっときりが悪いが、今回はここまでとしよう。「遺伝子操作ベビー」と「美女遺伝子」の話は、お預けである。

*1:リボザイム(ribozyme)…触媒活性をもつRNA。従来,生体内で触媒として働くのは,タンパク質の酵素だけだと考えられてきたが,一部のRNAもそうした機能をもつことがわかり,リボ核酸(ribonucleic acid)の酵素(Enzyme)という意味でこう呼ばれる。(百科事典マイペディア)