浮動点から世界を見つめる

「井蛙」には以って海を語るべからず、「夏虫」には以て冰を語るべからず、「曲士」には以て道を語るべからず

気の向くままに → 浮動点から世界を見つめる

私はブログを始めたとき、次のような文章を書きたかった。

梢の隙間を洩れて来る日光が、径のそこここや杉の幹へ、蠟燭で照らしたやうな弱い日なたを作つてゐた。歩いてゆく私の頭の影や肩先の影がそんななかへ現はれては消えた。なかには「まさかこれまでが」と思ふほど淡いのが草の葉などに染まつてゐた。試しに杖をあげてみると、”ささくれ”までがはつきりと写つた。(梶井基次郎、「筧の話」)*1

 

しかし、私はそのような風景の中にいない。私には、どうしたらそのような風景の中にいることができるのか、という問いが優先的な問いであった。

だから「気の向くままに」というブログタイトルは、ふさわしいものではなく、「浮動点から世界を見つめる」というタイトルに変更することにした。

 

木漏れ日の森


木漏れ日の森

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雑木林の冬


雑木林の冬~国木田独歩著書「武蔵野」の世界

*1:長田弘『なつかしい時間』(岩波新書、2013年)p.66からの孫引き。