浮動点から世界を見つめる

井蛙には以って海を語るべからず、夏虫には以て冰を語るべからず、曲士には以て道を語るべからず

地域コミュニティ 明るい農村 ひるのいこい

阿部彩『弱者の居場所がない社会-貧困・格差と社会的包摂』(5)

今回は、第4章 本当はこわい格差の話 第3節 格差とコミュニティ をとりあげる。

地域コミュニティ

  • 阪神淡路大震災後に、仮設住宅で多くの孤独死が起きてしまった反省もあって、東日本大震災においては地域コミュニティ単位で仮設住宅が割り当てられるなどの配慮がなされた。
  • 地域と個人の関係は「顔と名前のわかる関係」である。いくら国家が個人を包摂しようとしても、それは所詮かなり希薄な関係である。
  • 地域コミュニティ(日本では、自治会・町内会活動、PTA活動、地域のスポーツ・チームでの活動など)は、人々のセーフティネットや心の支えとなり、「居場所」と「役割」を与え、人と人とをつなげる(?)。
  • パトナムは、イタリアとアメリカの地域力と所得格差を図り、コミュニティ活動への参加の度合いが高い地域ほど、所得格差が小さいことを見出した。格差は、人々の不信感を煽り、攻撃的にし、差別を助長し、人間関係を悪化させるだけでなく、コミュニティ自体の機能をも麻痺させてしまう。

「地域コミュニティ」が、顔と名前のわかる関係にあり、居場所と役割を与えるなどと言われると、「明るい農村」や「ひるのいこい」という言葉が思い浮かぶ。

明るい農村」というのは、「1963年4月1日から1985年3月31日までNHK総合テレビで放送されたドキュメンタリー番組・教養番組である。近代農業に必要なテーマ・試みをその時々の時代背景を勘案しつつ提案した番組で、日本各地の農村で取材を行った。」(wikipedia)。

ひるのいこい」は、NHKラジオ第1等で現在も放送されている。「農業・漁業関連のニュースや季節の話題、リスナーからのはがき、投稿俳句を読む「暮らしの文芸」を紹介し、それらの合間に音楽をかける。」(wikipedia)。

私は「明るい農村」は見たことがないが、「ひるのいこい」はクルマの中で何度か聞いたことがある(リスナーからのはがき(ふるさと通信)には、心温まる話題が多い)。 

ひるのいこい

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「ひるのいこい」は、 http://www.nhk.or.jp/r1/hirunoikoi/  で聞くことができる。以下の記事を読む前に、ぜひ一度聴いてみて下さい。私たちの生活、「日常生活」について考えさせられます。


ひるのいこい・日曜名作座・今週の明星  古関裕而作シリーズ

 古関裕而作曲のテーマ曲を聴きながら、上の画像を見ていると、「のどかな田園風景(農村風景)」と感じるかもしれない。

 

明るい農村

では、「明るい農村」とは、どういう番組であったか。製作者(ディレクター)の話を聞いてみよう。(http://www.nhk.or.jp/archives/search/special/detail/?d=culture008 より)

原安治 終戦直後、農家が600万戸、耕地が600万ヘクタールあったわけですね。でも、その600万ヘクタールを持っていたのは200万戸の地主で、残りの400万戸は小作人だったわけです。で、その400万戸の小作人に農地を解放するというのが「農地改革」だったわけですよ。日本を占領していたアメリカは、日本の農民を命令に何でも従う屈強の兵隊に育て上げてきたのは日本の農村の貧しさだと考えた。その日本の農村の貧しさ封建制を打破しないと、日本はまた軍国主義に戻るということで農地解放をしたわけです。そこで、せっかく土地を持った農民を貧しさと因習と重労働から解放したい、その手助けをしたいというのが「農事番組」の一つの狙いだったと思いますね。もう1つは、戦後、復員軍人とか海外からの引き揚げ者が700万人もいたっていうんですが、それがみんな農村に帰っていって食糧増産をやろうということですね。だから、農地改革を母体として「農村の民主化」と「農業の近代化」、「食糧増産」とを目指し、ちょうど始まったテレビもそれに貢献したいということだったんだと思いますね。

大橋昭喜 農業番組って知識がたまるとどんどん深いことが見えてきて面白くなるんですよ。でも、農村が「明るい」という実感は無かったですね。

関孝夫 『明るい農村』というタイトルの話は昔からよく出たんですよ。この番組は22年続いたんですが、前身の『のびゆく農村』(昭和32年昭和35年)『村の記録』(昭和35年~昭和38年、以降は『明るい農村』に統合)を入れればまぁ30年近く続いてます。でも「明るい」というのはほんの最初の10年あるかないかなんですよね。そのあとは「暗い」部分を描かざるを得なかったですね。

 うん、『明るい農村』になった昭和38年というのは高度経済成長の真っ只中だからね。『明るい農村』が始まる直前までは日本の食糧自給率って80%ぐらいだった就業人口の3分の1ぐらいは農民だったわけでしょう。それが毎年毎年、自給率が下がって、1960年代の80%が1990年代には40%。農業人口もどんどん減って10%切るようになった。だから、『明るい農村』というのは、明るい農村を築くために作った番組ではあるけれども、決して『明るい農村』を取材したわけじゃないんですよね。

* この番組は、22年にわたってほぼ毎日放送されました。それだけに、日々変化していく日本の農林水産業の姿や人々の暮らしがきめ細かく映像に記録されています。食糧増産、減反、過疎、経済摩擦、農産物輸入自由化、食の安全…大きく揺れ動く産業構造と多様化する視聴者ニーズ。こうした中で『明るい農村』も変化し、様々な挑戦を繰り返していきました。

 僕ら『明るい農村』始めた時は、何ていうかね、農業近代化っていうのが1つの旗印で、要するに化学肥料と農薬とそれから新しい農機具と、その3つが“三種の神器”みたいなもんでね、農業も楽になって農村も豊かになってこれから良い時代が来るっていうようなことで、そのお先棒を担いだみたいなものなんです。だけど、ある時期に、食品添加物の問題とか、農薬の公害だとかっていうのがだんだん分かってきたら、今度はこれを告発するような番組を作り続けたわけです。結局何だったんだと思う。最初は旗振ってその次は批判して、というとこがあったんですよね。その時はベスト尽くしているつもりだけど、欠けるところはあったなっていう感じがしますね。それで『明るい農村』が昭和60年の3月に終わった時にね、やっぱり限界だったんだよね、もう『明るい農村』っていうタイトルやそういう番組が…

 茨城県の東村ってね、水郷でとても豊かな田園風景があったんだよね。それが僅か20年で世界最大の穀物輸入倉庫とか、鹿島臨海工業地帯とかに変わっちゃった。もはや農業だけでやっていける農家っていうのは全国にほとんどいないでしょう。そうすると、われわれの取材対象がアメリカの穀物メジャーがどうしたというようなことになっちゃうわけですよ。…最近、日本中で恐ろしい悲惨な事件が毎日のように起こっていますね。母親が自分の子どもを虐待したり、子が親を殺すとか、いじめで自殺する子どもが相次ぐとか、それが特に地方、農村で頻発している。その根底に作物や家畜を育てる感動や喜びを忘れた食と農の荒廃があると、僕は思うんですよ。

この話を聞いていかがだろうか。「明るい農村」「のどかな田園風景」のイメージとは裏腹に、歴史の現実(農民の苦渋の歴史)を思わざるを得ない。つまり「明るい農村」から「暗い農村」への移行である。

 

地域コミュニティ

冒頭の「地域コミュニティ」の話に戻ろう。「地域コミュニティ」の住人はどういう人たちであろうか。もはや農民のコミュニティではない。さまざまな職業、地位、収入の人々が暮らしている異質な集団である。ただ同一地域に住んでいるという点で共通性があるにすぎない。もちろんコミュニティによっては同質と言ってもよいところもあるだろうが、「地域コミュニティ」だから同質集団であり、「顔と名前のわかる関係」にあり、居場所と役割が与えられるとは言えない。

大部分の人にとって、1日の大半の時間は、「仕事」の時間である。では仕事をしている人(就業者)は、どのような仕事をしているのだろうか。就業者を職業別に見ると、次のグラフの通りである。

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資料出所 総務省労働力調査

 

「地域コミュニティ」の就業者の職業別の構成は、平均的には、上記の割合であると考えてよいだろう。(職業分類の詳細は、http://www.stat.go.jp/data/kokusei/1995/04-04-35.html 参照)

このような職業に就いている人が、就業時間外に集まって、「コミュニティ」に関する何ごとかを話し合うとしても、極めて限定された事項であって、それでもって「顔と名前のわかる関係」にあり、居場所と役割が与えられるとは到底考えられない。

即ち、「地域コミュニティの活性化」の唱道は、「明るい農村」(人と人とがつながる社会)の幻想をふりまいたとしても、「暗い農村」(不安な社会)の現実を克服するものとは考えられない。